日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎発生から28年となる阪神淡路大震災のこと(たまゆらの記㉖)

○数年前から阪神淡路大震災の追悼行事を取りやめる動きが、兵庫県内で出てきて、コロナの影響により、今年はさらに縮小されている。

 被災者の高齢化による身体的負担が進んだこともあり、行事の減少傾向は近年続いていて、関係者からは「震災の風化につながる」と懸念する声も増えている。

 それでも、記録の大事さを感じている人による、各種のイベントや記事は少なからずある。

 

 7年前神戸に移住してきてから、当時の様子を知人からいろいろ聞いている。

 震災ウオーキングなど参加して来たが、3年前からはコロナや私の体のことでやめている。そしてネットなどでいろいろ見ていた。

 神戸市中央区の東遊園地での「1995 つなぐ 1・17」の形に並べた竹灯籠とそこに灯をともす人たちを見るとグッとくるものがある。

 

 記憶には、観念的な色合いが強いものと、身体にしみ込んでいるのとの違いがあるように思う。

 河瀬直美『沙羅双樹』のセリフに「忘れていいことと、忘れたらあかんことと、それから忘れなあかんこと」とあるが、行事として風化していこうが、ある人にとっては「忘れられない、忘れてはあかん体験」として思い、語り続けていくように思う。

 

 一人ひとり、その人ならではの阪神淡路震災忌になっていくのだろう。

 

 阪神淡路大震災に限らず、近来の豪雨や台風などの災害が起こったとき、高齢者、重病者、障がい者など弱者はより一層の困難を抱えることになるおそれがある。

 神戸新聞など当時の各種映像が記録されていて、それを見ると、大変な状況が伝わってきて、その時自分だったらどの様に動くだろうと考えていた。

 

 私の場合は、自分が逃げる、避けるなどに精一杯で、とても他を助ける、救うことに体が動かないだろう。

 おそらく妻は私に手を添えて共に逃れようとすると思うが、わたしに構わないで早く逃げろという場面も出てくるような気がする。

 その時にならなければわからないことだが。

 

参照:◎阪神淡路大震災から25年がたち、思うこと。

 三年前に投稿した記事です。状況はそれほど変わってないように思います。

 https://masahiko.hatenablog.com/entry/2020/01/19/232030