〇「はじめに」は次の言葉から始まります。
〈ビリビリマン-------、それは六三歳になる夫の呼び名。
夫の記憶は継続しないので、一週間限定で私がつけたニックネームです。
なぜビリビリマンか?
それは壁のクロスをビリビリに破ったから-------。〉
本書は、2006年50歳のとき脳梗塞で入院した「いっちゃん」。退院後職場に復帰したが、周りの人はうつ状態を感じ、心の病気ではないかと思っていたが、実は脳の病気で緊急入院し、脳静脈寒栓症を克服したいっちゃん。ところが、今度は重度の高次脳機能障がいという症状が残り、その後の介護生活を支える、妻および家族の心温まる経過、失意や後悔を含めきめ細かく描かれていきます。
まず、本書の帯の【壁紙をビリビリ破ることも、口笛で奏でることも、〈白井京子〉にとっては同じこと。それはどちらも〈白井いさお〉が生きている証だから----】が目に入ってきました。
わたしは50歳を過ぎてから難儀を抱えた高齢者や重度心身障がい者関連の活動に携わって、ある時から、一人ひとりのどのような言動も生きている証ではないのかと感じました。
そのために、どのような人にも、自分の見方を外しあるいは距離をおき、じっくりみていくこと、待つということを大事にしていきたいと思って関わっていました。
自分の体験にいくつか重なることもあり、そのことも振り返りながら、何度も立ちどまりつつ読んでいきました。
〈第三章 高次脳機能障がいな日々〉の「皆で、わけようよ」の節で、息子さんが「ママ、皆で分けようよ」「ママはパパがかわいそうかわいそうといって、何もかもパパ中心に生活しているけれど、側で見ていて、僕はパパよりママがかわいそうや。このままやったら、必ず歪みがくるよ。僕も少しもらうし、佑香にも渡して、パパ自身にも少しがんばってもらって、ママが一人でしようと思うことを皆で分けよう」と言ったのが強烈な印象に残りました。
〈第四章 口笛、楽しい!〉のなかで、10年ほどの症状を抱えたいっちゃんとの生活と教師という仕事のなかで疲弊していた妻・京子さんが、ためいきをついていたときに、あまり言葉が出なくなっていたいっちゃんが、いきなり『知床領場』を口笛で吹いたのです。それがすごくよくて心がじわーんとした京子さんは次のことを思う。
「このひと、口笛で私を励まそうとしている」
私が口笛を聞いて号泣していると、いっちゃんは急に立ち上がり私の肩をポンポンと叩いたのです。支えられているのは私だと気づいた瞬間だそうです。
いっちゃんは高次脳機能障がいになってしまって別の人になったと思っていたけれど、いっちゃんの心の奥には家族のことを誰よりも大切に思っている気持ちがあることに気がつき、その日を境に、やらされている介護がおわり、ほんとうの意味でいま生きていることに感謝することもできるようになったそうです。
その後、口笛のボランティア活動をしている人たちと知り合いになり、いっちゃんの口笛のCDをつくる「プロジェクトS」が立ち上がり、CDができるようになった。
本書をとおして、家族をはじめ、医者・リハビリ療法士・介護士・口笛活動をしている人、近所の人等々の「皆で、わけようよ」は、この本の基底音として響いていると思いました。
その中心には〈いさお〉さんがいて、さらに支える大事な一員として〈いさお〉さんがいるという構造になっています。
それゆえ、高次脳機能障がい者やその家族はむろん、いのちいっぱいに生きているどの人に対しても、分かち合いの響きが及んでいくのではないかと感じました。
参照1:『いっちゃんは、ビリビリマン ー「高次脳機能障がい」なオットと私の日々ー』白井 京子 (著), 浅川 哲二 (イラスト)、星湖舎 、2019。
※白井京子さんは、〈障がい者〉と〈健常者〉の垣根をなくす理念の一般社団法人「アイズ」をたちあげました。そこは高次脳機能障害支援をはじめ、口笛ライブなども紹介されていて、どのような人も楽しく生き生きとした暮らしの実現を目指すという活動だそうです。
そこで「高次脳機能障害」について次のように述べています。
〈事故や頭部の病気によって脳が損傷し、記憶障害や注意障害、感情障害や遂行機能障害など症状は様々でコミュニケーションや生活に支障をきたす障害です。
潜在的に全国に50万から80万人いると言われていますが医療現場でさえ十分に認知されておらず認知症や発達障害と誤診されたり、高次脳機能障害を抱えているにも関わらず、何もないと診断されたりするケースも少なくありません。
この障害は重度なら重度の軽度なら軽度の苦しさや生きづらさがあります。
一見見ただけではわからない方もいて周囲の理解を得にくい場合もあります。
後天的な原因で発症すること、一人ずつ症状が違うこと、リハビリで改善することが特徴です。(大阪府の高次脳機能障がいのページから)〉
その趣旨、経緯などは、HP『アイズ』参照。
https://project-eyes.com/about/