日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎それならそうと、病とつき合う

〇それまでのある程度推測はしていたが、よくわからない身体状況から、病名が脊髄小脳変性症とはっきりしたことで、それならそうと、それとつき合っていくことだなと心構えができるような気がする。妻が平然と受けとめているように見えるのも心強い。

 

 入院中にV・フランクルの『夜と霧(強制収容所における一心理学者の体験)』を読む。

『夜と霧』はフランクルが、第二次世界大戦の最中ナチスの想像を絶するほど残酷な収容所での生活を、みずから味わった過酷な経験をつづった本で、終戦後の1947年に刊行された。

 

 フランクルは、精神分析医の立場から冷静に観察し、収容所にいる人々の心理を克明に描いたなかで、そこでの過酷な生活をとおして、その生活に染まり慣れて、無感動・無感覚・無関心の感情鈍麻で典型的な「被収容者」になるか、あるいは収容所にいてもなお人間として踏みとどまり、おのれの尊厳を守る人間になるか、おおきく分かれ道があるとした。

 

 そして、身体への拘束はどうにもならないが、精神の内面は一人ひとりの態度にかかっていて、そのために、未来に希望を持つこと、感受性の豊かさを失わないこと、人間は人生から問いかけられているという心構えなどが大切ではないかと述べている。

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 強制収容所のような特異な環境ではないし、また比べることはとてもできないが、多くの人にとって、おかれた状況でどうであろうと、よりよく生きていきたいという意欲は本能的にあるだろうと思う。

 その場合に、未来に希望を持つこと、感受性の豊かさを失わないことは大切にしたいと思うし、大事なことではないだろうか。

 

 入院中わたしの病室は脳神経科関連の人が多く、3週間の入院中4人部屋で、寝たきりのひと、一日中唸っているひと、夜中に転倒してすぐに看護師・医師が駆け付け処置されたひと、退院するひとなど7人の方と一緒になった。

 一般病床数380程の大病院で、ほとんど患者が入っていて、待っている方もいるという。

 いろいろな状況の方がいるだろうけれど、看護師・医師・職員たちは、気になることいくつかあるが、総じて身体にしてはよりよくなっていこうとする一人ひとりに寄り添っていこうと思っているような気がした。

 

 退院するといっても、少なからずの人はわたしのように治癒するわけではなく、一つの区切りだろうし、体の状態は徐々に劣化していくと思われる。

 だが、感受性の鋭敏さや精神的な内面の豊かさへと誘うのはその人次第だと思う。

 

 未来への希望といってもそれぞれが描くことで、ささやかなことでも、何かをしておきたい、誰かと共に過ごしたいなど身近な願望といってもよいだろう。

 病気になること、出来なくなることで、感性が鋭くなる面もあるだろうし、感受性を磨くこともしていきたいと思っている。

 

 わたしの場合は、この病状とつき合うことで、老いる・生きることについてみていきたいと思っている。

 

   ・病を得てここを節目とこころ冴ゆ

 

※参照:V・E・フランクル『夜と霧 新版』池田 香代子・翻訳(みすず書房、2002)

「本文から」

〈・もともと精神的な生活をいとなんでいた感受性の強い人びとが、その感じやすさとはうらはらに、収容所生活という困難な外的状況に苦しみながらも、精神にそれほどダメージを受けないことがままあったのだ。

 そうした人びとには、おぞましい世界から遠ざかり、精神の自由の国、豊かな内面へと立ちもどる道が開けていた。

 繊細な収容者のほうが、粗野な人びとよりも収容所生活によく耐えたという逆説は、ここからしか説明できない。

 

・被収容者の内面が深まると、たまに芸術や自然に接することが強烈な経験となった。

 この経験は、世界やしんそこ恐怖すべき状況を忘れさせてあまりあるほど圧倒的だった。

 

・あるいはまた、ある夕べ、わたしたちが労働で死ぬほど疲れて、スープの碗を手に、居住棟のむき出しの土の床にへたりこんでいたときに、突然、仲間がとびこんで、疲れていようが寒かろうが、とにかく点呼場に出てこい、と急きたてた。

 太陽が沈んでいくさまを見逃させまいという、ただそれだけのために。

 そしてわたしたちは、暗く燃え上がる雲におおわれた西の空をながめ、地平線いっぱいに鉄(くろがね)色から血のように輝く赤まで、この世のものとも思えない色合いでたえずさまざまに幻想的な形を変えていく雲をながめた。

 その下には、それとは対照的に、収容所の殺伐とした灰色の棟の群れとぬかるんだ点呼場が広がり、水たまりは燃えるような天空を映していた。

 わたしたちは数分間、言葉もなく心を奪われていたが、だれかが言った。

「世界はどうしてこんなに美しいんだ!」

 

・最期の瞬間までだれも奪うことのできない人間の精神的自由は、彼が最期の息をひきとるまで、その生を意味深いものにした。

 なぜなら、仕事に真価を発揮できる行動的な生や、安逸な生や、美や芸術や自然をたっぷりと味わう機械に恵まれた生だけに意味があるのではないからだ。

 そうではなく、強制収容所での生のような、仕事に真価を発揮する機会も、体験に値すべきことを体験する機会も皆無の生にも、意味はあるのだ。

 

・わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えなければならない。

 哲学用語を使えば、コペルニクス的転回が必要なのであり、もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。〉

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