日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎孫の成長記録(姉2歳7ヶ月、弟9ヶ月)

〇コロナウイルスの現状のなか、保育所は「3密の壁」や社会の状況などよくわからない幼児たちをみることなど、保育士たちの気の使い方は大変だと思う。

 

 そのことばかりではないと思うが、今日は家庭で見てくれないかの要望がきて、朝から二人の孫と付き合うこともある。

 

 対応するのはほとんど妻と娘で、「じぃじ」という気楽な立場でもあり、いろいろな意味で少し疲れるが楽しい。

 

 また、孫の育ちの観察から、人が育つとは、心(脳)はどのように発達していくのだろう、社会性を身につけるのはどのようなことなのだろう、などいろいろ考えるのは面白い。

 

・弟(9ヶ月)について

 弟は、ある程度見守りがいるが、長い間安定してすわっていられる。

ハイハイはまだで、姉は8か月過ぎにはしていた。ひとりひとり成長の違いがあり心配はしていないが、太り気味なのが気になる。

 

 すわっているときは、しきりに手と口を使っていろいろな動作をする。

なんでもやたらと口で噛んだり、なめたりする。それだから側にいて見守りが必要だが。

 

 親指とそのほかの指で物を挟んで持てるようになり、つかむという動作もさかんになり、そうすることで手の機能そのものも発達してくるのだろう。

 手と口の機能が発達することで、さらにいろいろなことが出来るようになると思う。

 

 人間性の特質からみた代表的な人間観に「ホモ・サピエンス」(知性人)、「ホモ・ファーベル」(工作人)、「ホモ・ルーデンス」(遊ぶ人)がある。

 

 作る、遊ぶということは、とりわけ手と口が大きな役割を果たすのを考えると、ハイハイから2足歩行をするようになり、それに伴って知性も育ち、姉のように活動範囲を広げていくのだろう。

 

 

・姉(2歳7ヶ月)について。

 おそらく保育園では少し違っているのだろうけれど、家では、まだまだ自分の欲求を通す方が先決で、自分中心の言動をとる場合がほとんどだが、その中でも周りに気を配った行動を取れるようになり、いわゆる社会性が芽生えている。

 

 ある程度コミュニケーションがとれるようになり、盛んにおしゃべりをしてくる。

また、手先が器用になり細かい作業ができるようになり、足の筋肉もずいぶんと発達し、走ることやジャンプをしきりにする。

 

 時折勢いよく思い切り抱きついてくるので、娘は上手く受け入れているが、妻にはきついそうである。さすがに私にはしないが。

 

 食べることにはことさら関心が高く、見立て遊びからごっこ遊びへと範囲も広がって、弟や犬のぬいぐるみ相手に、ままごと遊びをするようになる。

 

 弟に対してはいいように遊んでいるようで、弟の口な中にアイスクリームだといいながら入れたりしている。

  はたから見たらオヤオヤと思うようなこともするが、それでも変なことにはならないように、それとなく見ていく必要はある。

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「参照」

・ホモ・サピエンス: (Homo sapiens 知恵あるヒトの意) ② 一八世紀スウェーデンの植物学者カール=フォン=リンネの用語。明確な言語能力、抽象的な推理能力をもつ現生人類。二〇世紀ドイツの哲学者マックス=シェーラーによれば、理性力で世界を形成し理想を実現していく人間という、古代から近代にかけての主流となった人間観。知性人。(コトバンク:精選版 日本国語大辞典)

 

・ホモ・ファーベル:(homo faber「作る人」の意のラテン語で「工作人」と訳される)フランスの哲学者 H.ベルグソンの言葉。 B.フランクリンがすでに,人間は道具をつくる動物と規定していたが,ベルグソンは人間の本質は物をつくりおのれを形成する創造活動であるとして,ホモ・ファーベルと規定。ホモ・サピエンスというあり方は,ホモ・ファーベルがおのれの作成活動を反省するところに生れるあり方であるとした。

(コトバンク:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)

 

・ホモ・ルーデンス: (homo ludens 遊ぶ人の意) 人間観の一つ。遊ぶことに人間の本質的機能を認める立場から人間を規定した言葉。オランダの歴史家ホイジンガの用語。(コトバンク:精選版 日本国語大辞典)

※ホイジンガの遊びの特徴

《ホイジンガはすべての文化は遊びであるが、その特徴は次の3点が上げられる。1つは自由であること。2つ目は非日常で仮構の世界であること。3つ目は場所や時間に限定性があり、秩序がもったものであることである。ホイジンガはこのような遊びに基づき、人間の文化は遊びにおいて、遊びとして成立・発展したと述べている。》