日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎ETV特集 戦禍の中のHAIKUを見て。(日々彦俳句ノート)

〇番組はソビエト時代に「おくのほそ道」がロシア語に翻訳され、学校でも日本の俳句が教えられることがあるというウクライナとロシア。両国には本格的な俳句愛好者がいる。戦争の最中で人々は何を感じ、何を考えながらどう生きているのか。俳人たちに自作をリモートで語ってもらい、戦禍の中にある人々の「内面の声」に耳を傾けるとの趣旨で放映された。

 

 番組では、戦争の渦中にあるウクライナとロシアの市井の人たちの声や表情から訴えてくるものがあり、また俳句のもつ可能性について考えた。

 

 俳句といっても、日常の一瞬を短い言葉で切り取ったもので、しかも日本語に翻訳されていて、季語や切れ字、17音のリズムという俳句の要素となるものが漠然としている。

 

 いくつか印象に残ったHAIKUをあげてみる。

★掌に ミサイルかけら 痛い

★子ら遊ぶ 紙飛行機で 防空壕 

★砲撃後 看板なしで 通り分からず

★公園に兵士 幾度も触れる 空の袖 

★星の光。街の灯空に 去ったよう

 

 これらを詠んだブラジスラワさんは、ウクライナ・ハルキウ在の23歳。

 14歳のときに学校で俳句をならい、それ以後、英語・ロシア語・ウクライナ語でHAIKUを読んでいるそうだ。

 防空壕は日常的な暮らしの場であり、街は廃墟同然で、傷病兵を見ることもある。空はミサイルの恐怖があり死と隣り合わせだが星空は綺麗だという。

 

★耳詰まる突如の静寂雪は血に 

★色失せた 凍える女 地平線が震える(マイヤ)

 

 マイヤさんはウクライナ・キーウ在。4月にブッチャの街で多くの死者が路上に放置されていたという。

 

★遠い停車場 風に吹かれしタンポポが( アナスータシャ)

★ロシア語の「武士道」頁の間に 乾いたゴキブリ( アナスータシャ )

 

 アナスータシャさんは、ウクライナ・キーウ在。図書館勤務で、ロシア語に翻訳された「武士道」は強く戦えというだけで適切な翻訳ではないという。

 ゴキブリがえさを求めて人がいなくなったところから、人がいるところによってきてようよしているという。

 

★7月の暮れ 去年の切り株で 薪を割る(レフコ)

 

 レフコさんは、ウクライナ在。

 また、ある兵士のFBでの写真に添えられた言葉を紹介していた。その人は次の日に死んだという。

★焼け焦げたアカシアが8月に花を咲かせた 

 

★未耕作 沃野を覆う 黒い鳥 (ガリーナ)

  通常の畑では耕作すると、黒いい土とそこから這い出たミミズを食べる白いコウノトリのコントラストが見られたが、今は未耕作になってカラスが目立っているそうだ。

 

 ガリーナさんはキーウ大学で建築関係の研究をしている。現在日本にきて、広島・長崎など参考にしながら復興・復元を描いているという。また野澤明子(あき)さんと俳句の交流をしている。

★星月夜キエフを向きて祈りけり(野澤あき)

★無限の原 今年は特に 赤い彼岸花(ガリーナ)

 

★長き冬 古い教科書 捨てずにおく(アンナ)

 ウクライナキーウ在のアンナさんは、ロシアの俳句仲間と連絡とり合っているが論争になることもあるという。友情を取り戻したいという。

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〇ロシアは2022年2月24日にウクライナに対する軍事侵攻を開始した。

 

★特別軍事作戦 サラダに油 少なめに(ベーラ )

★子ら巣立つ 窓まで届きし ライラック(ベーラ )

 

 ベーラさんはシベリア在。2月24日以後、やがて来るだろう食費節約のことを思ったという。

 俳句そのものは日常の一瞬の思いを短い言葉で切り取るだけで、戦争などについては無力だという。

 啄木の好きな父の影響で詩歌を独学で学び子規のオマージュとして作った。★ずんずんと夏を流すや最上川(子規)→★流氷を貪欲に運ぶトミ川最後の雪

 

★2月 川面に穴 ルーシーの水 すべて黒し(オレク)   

★文化キャンセル 昇る日なき地 夜に沈む(バレンチナ)

★「生きてます」息子の手紙 光跳ね(ナタリア)

 

★木の匂い 一番強い 暴風後 (アレクセイ)

★ペイントボールの痣 長く見つめたら 別の惑星(アレクセイ)

 アレクセイさんは、芭蕉や一茶のことを紹介していた。

 

★瓶の魚 岸辺の絶景 海を乞う(レフ)

 レフさんは、ロシアのサンクトベテルベルグ大学で哲学の研究をしている。  東洋思想に造詣が深く吉本隆明を紹介していた。

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 これらの句から坪内稔典などがいう、俳句のもつ「片言性」を思った。

「片言性」とは、断片的で短く、言い尽くせないということで、そのことによって却って読み手から多様な解釈を誘い出し、言葉の多義性を豊かに発揮できるのだとする。