日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎小山正見『大花野』について(たまゆらの記㉓)

〇50歳を過ぎてから難儀を抱えた高齢者や重度心身障がい者関連の活動をしていたととき、気持ちの置き所は、一人ひとりに応じていろいろではあっただろうが、総じて第三者的な視点で関わっていることが多かったと思う。

 

3年前脊髄小脳変性症と診断され、徐々にギクシャク度が増し、今年5月頃から難病対象の訪問看護や要支援対象のリハビリ施設を利用している。

 

 以前支援していた当事者たちに、今は自分のことのように感じることも多く、あの時あの人はこんな気持ちではなかっただろうかと振り返ることもある。

 

 最近街で出会うよぼよぼ歩いている老人や、ぎこちなく何かをしようとしている障がい者に出会うと、かぶさって見えてくる自分を感じることが多い。

 

 介護など福祉関連の活動をしていたときは、対象となる人にもよるが、「施す自分」と「施される他者」との距離があり、自分自身に引き付けては、あまり思えなかったときもある

------

〇小山正見『大花野』について

 最近読んだ本で、いろいろ考えさせられた句集に、小山正見『大花野』がある。

 アルツハイマー型認知症を患う妻と暮らして10年。ありのままの命を見つめ、明滅する心の瞬間をとどめ、人間の在り方を問う36句からなる俳句集だ。

 

「あとがき」に次のように述べている。

◆「あとがき」より

《妻邦子の異常に気付いたのは、東日本大震災の翌年、ニ〇一二年のことである。検査の結果、アルツハイマー型の認知症であることがわかった。

 それから十年が経った。妻の病気は今なお進行している。ある時は穏やかに、またある時は急激に。

 度々想定外のことが起きた。

 私は妻の物忘れが進行しても道に迷うことのないよう、いつも同じ道を歩くように気を付けていた。ところが、道どころか狭い家の中で突然迷子になった。ある時は、本を逆さまに持って読もうとした。洋服の着方がわからなくなった。

 私は事態の進展に困惑し、為す術がなかった。

 本句集『大花野』は、そんな私の右往左往の様を綴ったものである。》

------

 各情報紙でいろいろ取り上げられていて、小山正見さんが寄稿した都政新報(2022/6/7)の記事など、朔出版HPで閲覧することができる。

 https://saku-pub.com/books/ohanano-sho.html

 

 その中から東京新聞(2022/4/14)に掲載されたものの一部を抜粋する。

《妻・邦子さん(74)の異変に気づいたのは、2012年の秋だった。頼まれた買い物をして帰宅すると「頼んでないわよ」と言われた。その後も気になる言動が続いた末、脳が萎縮するアルツハイマー型の認知症と診断された。

・十二月八日CTスキャンの脳画像

・冬木影アルツハイマーてふ病

 

 その後数年間は薬の効果もあり家事や外出もできたが、四年ほど前から急速に症状が進んだ。隣に寝ているはずの邦子さんがおらず、慌てて捜しに出たことも。邦子さんが「家の中に虫がいる」と言い張ることもあった。アルツハイマー型で幻覚は珍しい症状のため、「一人一人出てくる症状は違い、病気も個性なんだな、と思った」。

・長き夜や妻の寝息を確かむる

・壁の蟲(むし)居座り続く神無月

 

 小山さん夫妻は同じ大学に通っていた十九歳の時から交際を始めた。一九七二年に結婚、二人の子を育てた。邦子さんも教員を経た後、雑誌編集の仕事などにも携わった。だが病になり、できないことが徐々に増えると「もう何もできない」と思い詰めるようになった。

「僕自身、仕事での成果や、何事かをやり遂げることこそが生きる意味だと思ってきた。でも人生観が変わった。そんなものどうでもいい、ただ妻がいてくれるだけでいいじゃないかと」

・あどけなき妻の破顔や蓮(はす)の花

・憚(はばか)らず肩を抱きし冬の道

 

 戸惑いも多かった。邦子さんは、雨が降った時も、さっきしたばかりでも、自宅前の草花に水をやり続けることにこだわった。その変わりゆく姿や、慣れない介護にイライラし、妻を怒鳴る日も少なくなかった。

・荒梅雨の花に水やる君と居て

・身代はりの風船数多(あまた)数多割る

 

 そんな小山さんを支えたのは、公的な介護サービスのほか、邦子さんの友人たちだった。「多くの人に頼ることができ、恵まれていた」。目が離せない邦子さんを見守ってもらったり、集まった友人たちと食事しながら語らったりするひとときはありがたかった。

・一時を委ね小春のカフェ・オ・レ

 

 邦子さんは昨年秋から、自宅近くのグループホームで暮らす。意思疎通が難しくなる中でも、小山さんは可能な限り通って共に過ごし、語る時間を大切にしている。

「認知症になると人間が壊れていくという考えがあるが、そうは思わない。コミュニケーションの通路は狭まっても、その人自身の世界が狭まっているわけじゃない」と小山さん。

「彼女の世界がどんなふうであるのかは分からない。けれど、花に満ちているものであってほしい」

・ここはどこあなたはだあれ大花野  》

 

その他、特に印象残った句から。

★「あなたのは」とばかり訊く妻さくらんぼ ★春満月道なき道を照らしをり

★梅雨明けてわたしにできることは何 ★また一つ星を消したる朧かな 

★徘徊に誘ふ秋の螢かな ★手を握り祭の夜を彷徨す

★当て所なく師走の街に座り込む ★二人して枯れた緑を見てをりぬ

★アルバムを繰る繰り返し繰る寒夜 ★言葉にはならぬ言葉や福はうち

------

「あとがき」は、次の言葉で終わっている。

《妻と私は、一九七二年に結婚した。来年で五十年になる。

 病気が進んでも、妻は「あなたのはあるの?」といつも私を気遣ってくれた。

 この歳まで楽しく暮らしてきた。存分に生きた。

 妻に感謝している。

 深く愛している。

★暗闇に極彩色の大花野》

           2021年秋  小山正見

※小山正見『大花野』(朔出版、2022)

 小山さんへのインタビュー記事「認知症の妻との歩み紡ぐ」東京新聞(2022/4/14)

 

参照:『大花野』掲載36句

妻邦子発症★十二月八日CTスキャンの脳画像 ★冬木影アルツハイマーてふ病

★クリスマス来る筈のなきプレゼント ★身代わりの風船数多数多割る

★海を見て暗き日永をやリ過ごす ★魚屋と馴染みになりし春の暮

★松落葉一分おきに聞く時刻 ★荒梅雨の花に水やる君と居て

★「あなたのは」とばかり訊く妻さくらんぼ ★梅雨明けてわたしにできることは何

★あどけなき妻の破顔や蓮の花 ★手を握り祭の夜を彷徨す

★ほつほつと記憶の泡や浮いてこい ★家中に蟲身体中に蟲蟬時雨

★夜の秋デイサービスの品定め ★空っぽの部屋だけ残り秋暑し

★萩咲かせ昔の家に戻しけり ★徘徊に誘ふ秋の螢かな

★ここはどこあなたはだあれ大花野 ★家に居て帰るてふ妻秋彼岸

★幾重にも鍵を掛けたる良夜かな ★長き夜や妻の寝息を確かむる

★壁の蟲居座り続く神無月 ★一時を委ね小春のカフェ・オ・レ

★憚らず肩を抱きし冬の道 ★当て所なく師走の街に座り込む

★冬至風呂パンツもブラも新調し ★雪の夜の慣れ親しんだはずの肌

★つい怒鳴る虐待に違ひなき暮 ★二人して枯れた緑を見てをりぬ

★気休めのピンクの薬去年今年 ★松過ぎてどこにでもゐそうな夫婦

★アルバムを繰る繰り返し繰る寒夜 ★言葉にはならぬ言葉や福はうち

★また一つ星を消したる朧かな ★春満月道なき道を照らしをり

 

(著者略歴):昭和23年、神奈川県川崎市生れ。東京都公立学校教員を経て、平成22年、江東区立八名川小学校長を最後に退職。その後、江東区教育委員会俳句教育推進担当として多くの小中学校で俳句教育を推進。平成23年、「梓」俳句会入会。平成24年、日本学校俳句研究会設立。著書に「どの子もできる10分間俳句」「楽しい俳句の授業 アイデア50」(ともに学事出版)などがある。現在、「梓」俳句会同人、現代俳句協会会員、日本学校俳句研究会代表。