日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎杉原千畝からエマニュエル・レヴィナスへ

〇「顔を前にして応答する」ことは「顔に対して責任を負う」こと。
 知人のブログやFacebookの投稿を読んで、触発されることがよくある。最近映画化にもなって話題になっている杉原千畝について、知人KさんやFさんの投稿記事で、映画の感想も含めて様々な角度から取り上げていた。いろいろ刺激されることがあり、私なりに調べてみた。


 杉原千畝について、ウィキペディアによると、「第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原は、ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情。1940年7月から8月にかけて、外務省からの訓令に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、およそ6,000人にのぼる避難民を救ったことで知られる。」とあり、私はもっと大雑把に捉えていたので、投稿記事によって様々な思いが湧いてきた。


・ロシアのことに詳しい知人Kさんは次のようなことを記事にしていた。
「『集団の中の個人』ということをずっと考えていた。—-彼は、何を考えて、『当時の日本政府の方針に反して』ユダヤ人にビザを発給したのか、彼を『突き動かしたもの』は何だったのか、をずっと考えていた。岐阜県八百津にある、彼の記念館にも二度足を運んだ。」
 そして、杉原千畝について、ロシア語仲間との話題の中で、次のような話を聞く。
「杉原さんはとてもプライドの高い、ある意味『偏屈な』人だった」、「いつもソ連時代の高級ホテルの一室に陣取り、『下っ端』がやるような仕事には、一切手を付けなかったと・・・」というような内容だその話などから、Kさんは次のように感じたという。

「僕は、生身の杉原に接したような気がした。決して『聖人君子』のような人ではなかった、と。その意味で、とても親しみが持てたといってよい。『偏屈』だったからこそ、ユダヤ人にビザを発給するという(今からすれば)『偉業』を成し遂げることができたのだろう、とも思った。」そこでKさんは、とても映画をみておきたいと思い、早速映画館にいく。
「映画は、評判にたがわず、ヒューマニズムに富んだ非常にいい映画だった。—-しかし、杉原をもっと偏屈な、生身の人間に描いていたら、もっと親しみが持てたかもしれないと、映画館を出てから感じたことも事実だ。」
この一連の記事は、Kさんのとらえ方の広さに印象を覚えた。

 

・Fさんは、その映画を見て、とても感動したそうだ。そのときの自分の心の動きを確かめながら記事を書いていた。それに様々な人からコメントが寄せられた。ここからがFさんの本領が発揮され、様々な角度から調べ、そのことをブログに自己の問題意識に引き付けて考察した。
 この二人の投稿に促されて、少し調べた。その過程で、Fさんも取り上げていた次の箇所に注目した。
「避難民のなかには,男だけでなく,女も老人も子供もいた。皆,疲労困憊していたようだった」(一九六七年の回想記)と,千畝は,カウナスの日本領事館をとりまく難民たちの顔を想起している。カウナスに生まれ,同地に残した親族がナチスの犠牲になった哲学者エマニュエル・レヴィナスは,自我意識にたてこもらない他者体験を,「他者の顔」と表現した。そして,「顔を前にして応答する」ことは「顔に対して責任を負う」ことであるとして,リスポンシビリティ(応答可能性=責任)の両義性に注意を喚起する。
「憐れに思うからやっているのだ。ただそれだけのことだ」と千畝が答えた,難民たちの「疲労困憊」の顔は,世界中の至るところで,いまもなおわれわれに呼びかけている。
(「捏造される杉原千畝像」(2000年9月、松浦寛・上智大学講師の岩波『世界』からの転載資料よりリンク)

 

「戦時中,ユダヤ人六千人分のビザを発給し命を救ったとされるリトアニア副領事杉原千畝。 彼の行動の真意は何だったのか? その背後には日本政府・軍部の方針があったからだとの説が,根拠もなく語られている。その言説には,日本の戦争犯罪を隠蔽しようという意図がまとわりついている。」という書き出しから始まる。
「歴史修正主義者による戦争犯罪のゼロサム・ゲーム」と副題のついたこの記事は、「杉原千畝の評価に見られるご都合主義」「戦中ユダヤ人対策をめぐる議論の背景」「歴史修正主義と千畝」と、実証的な資料と解読を駆使しながら、その根拠のなさ、捻じ曲げを明らかにしていく。その最後に著者の見解を述べたものだ。

 これらの記事から次のようなことを思った。特別優れた人だけではなく、ごくありふれた自分たちの身のまわりにいる誰にでも、心を動かされるような要素を持っていること。自我意識にたてこもらない他者体験から、杉原のように人を救うようなことができること。いま一つはレヴィナスに改めて興味を覚えた。

 レヴィナスは関心を寄せている思想家で、会田正人や内田樹の翻訳書を読んでいたが、難解過ぎてよく分からないけれど、大事なことに触れているのではないかという思いはあった。
 この松浦氏の論考に触れて、レヴィナスをきちんと読みなおしていこうと思っている。人と共によく生きていこうとする際の、「他者」「顔」(痕跡、気配)とは、どのようなものだろうか。

 

【参照資料】
※エマニュエル・レヴィナスの「他者」「顔」に関する翻訳書からのメモ。
・「認識するとは暴露し、命名し、それによって分類することである。パロールは一つの顔に向けて発される。認識とは対象をつかむことである。所有するとは存在を傷つけぬようにしながらその自立性を否定することである。所有は被所有物を否定しつつ生きながらえさせる。だが、顔は侵犯不能である。人間の身体のうちでもっとも裸な器官である眼は、絶対的に無防備でありながら、所有されることに対して絶対的な抵抗を示す。

 この絶対的抵抗のなかに、殺害者を誘惑するもの―-絶対的否定への誘惑―-が読みとられる。他者とは殺害の誘惑をかき立てられる唯一の存在である。殺したい、しかし殺すことができない。これが顔のヴィジョンそのものを構成する。顔を見ること、それはすでに「「汝殺すなかれ」の戒律に従うことである。そして「汝殺すなかれ」に従うことは、「社会正義」の何たるかを理解することである。そして不可視のものたる神から私が聴きうることのできるすべては、このただ、一つの同じ声を経由して私のもとに届いたはずなのである。」
(エマニュエル・レヴィナス『困難な自由』内田樹訳、国文社、1985より)


・「絶対的に「他なるもの」、それが他者である。それは自我と同じ度量衡をもっては計量することのできないものである。私が「あなたは」あるいは「私たちは」と言うときの集団性は、「私」の複数形ではない。私、あなた、それはある共通概念の個体化したものではない。所有も、度量衡の一致も、概念の一致も、私を他者に結びつけることはない。共通の祖国の不在、それが「他なるもの」を「異邦人」たらしめている。「異邦人」はわが家に混乱をもたらす。けれど、「異邦人」はまた自由なるものをも意味している。なぜなら、私は彼の上に権力をふるうことができないからである。彼は私が彼を意のままにしているときでさえ、ある本質的な側面において、私の把持を逃れている。」
(エマニュエル・レヴィナス『全体性と無限』会田正人訳、国文社、1989より)


・「語ること、それは他者を認知すると同時に、他者におのれを認知してもらうことである。他者は単に知られるだけでなく、挨拶される(salué)。他者は単に名指されるのみならず、祈願される。文法用語を使って言えば、他者は主格ではなく、呼格において出現するのである。私は単に他者が私にとって何であるかを考えるだけではなく、また同時に、それより先に、他者にとって私が何ものであるのかを考える。他者を『これ』とか『あれ』とか名づけて、一つの概念をあてはめること、それはすでに他者に訴えかけることである。私は知る(connais)だけではない、私はかかわりのうちに入るのである。パロールが含意するこの交通(commerce) こそはまさしく暴力なき行動である。動作主は、行動するまさにその瞬間に、いかなる支配もいかなる主権も断念して、他者からの返答を待つという仕方で、他者の行動におのれの身をさらしている。語りかけることと聞くことは同じ一つのことであり、継起するものではない。語りかけることはそのようにして等格の道徳的関係を創出し、その結果、正義を知る。奴隷に向かって語りかけているときでさえ、ひとは等格者に対して語りかけているからである。

 ひとが言わんとすること、伝達されるその内容は、他者が認識されるより先にまず対話の相手として重きをなしているような、顔と顔を向き合わせた(face à face)関係があってはじめて聴取可能になるのである。ひとはまなざしを見つめる。まなざしを見つめるとは、みずからを放棄せず、みずからを委ねず、見つめ返してくる(viser)ものを見つめることである。顔を見つめる=顔とかかわる(regarder le visage)とはこのことである。」
(レヴィナス『困難な自由』=「内田樹の研究室」2011年1月25日から)