日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎十代目柳家小三治さんの死去に思う。

〇噺家・柳家小三治さんが7日、心不全のため都内の自宅で死去した。81歳だった。

 

 1939年12月17日生まれ。都立青山高校卒業後1959年、五代目柳家小さんに入門。1969年9月(29歳)、真打昇進。十代目柳家小三治襲名。

 落語協会理事1979年 - 2010年、落語協会会長2010年 - 2014年、落語協会顧問2014年 - 2021年などを務めた。映画にもなった。2009年『小三治』(監督:康宇政)。

 

 リウマチなど持病を抱えながらも長年高座に上がり続けたが、10月2日、府中の森芸術劇場で行われた落語会での「猫の皿」が生前最後の高座となった。

 夫人は染色家の郡山和世、次女は文学座に所属する女優の郡山冬果。

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 今から50年以上前の20歳前後、落語が好きで寄席通いを続けていた。

 当時は五代目古今亭志ん生、五代目柳家小さん、六代目三遊亭圓生、八代目桂文楽、若手では柳家小ゑん(後の立川談志)、三代目古今亭志ん朝、さん治(後の十代目柳家小三治)など錚々たるメンバーがいて、落語番組も盛んであった。

 

 その後いろいろあってしばらく途絶えていたが、50歳代になり口演会にいくようになり、録音テープ、CDなどでよく聴くようになった。

 

 生の寄席や口演会場で聴く落語は、他では到底味わえない観客と一体になった醍醐味であり、関西で小三治さんの口演会があれば是非参加したいなと思っていた。

 

 小三治さんのように親しんでいた噺家の死去は寂しい限りだ。

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※おそらく追悼の番組はいくつか放映されるでしょうが、今年放映された小三治さん関連の番組も印象に残っている。

 

▼2021年6月の BSプレミアム『止まらない男 柳家小三治』から

 3月に放送されたNHKザ・ヒューマン「止まらない男〜噺家 柳家小三治」の完全版!ということで再放送された。何度見ても楽しいし、凄いなと思う。

 

 長年リウマチを患う満身創痍の体は見るからに迫ってくるものがある。それでも歩く姿などは私よりもしっかりしているが。

 

 出きる限り高座に上がり続け、今日より明日の芸を高めたいと常に挑み続けている姿は悠揚としていて、口調は鮮やかである。

 

 三月度の放送では、ほんのさわりでもあった「粗忽長屋」がたっぷり聞けて、とても面白かった。

 

 一週間高座を離れると、取り戻すのに相当かかるという。それがコロナの影響で半年近くできない日々がつづく。

 

 番組の中で何度か「大丈夫かな? 出来るかな?」の発言があり、コロナのことだけでなく、81の年齢という現実との葛藤もあるのだろう。

 

 あれほどの人でも、「半年以上高座に上がらなかったので勘が鈍っていないか心配」という。

 

 番組を通してもっとも心に残ったのは、どこまでもよりよきを願って探求する姿勢である。

 

 それは落語に限らず、生かされてここまできた人生の心意気のようにも思った。

 そのことは、今の自分にとっても大事にしたいところである。

 

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参照:【演芸のまわりううろちょろ】で矢部義徳さんが番組の印象を的確にまとめている。

 

▼【止まらない男 噺家・柳家小三治】自分をいかにそのまま素直に仕事に表せるかが芸。だけど、うまく見せてやろうとしちゃう。

 

 NHK―BS1の録画で「ザ・ヒューマン 止まらない男 噺家・柳家小三治」を観ました。(2021・03・09)

 

 小三治師匠を描いたドキュメンタリーの中でも秀逸な作品ではなかったろうか。ディレクターと師匠の距離感が絶妙で、「小三治が今、何を考えているのか」をその場、その場で上手に引き出す能力に長けたディレクターだと思った。「コロナの冬を追った」と冒頭のナレーションにあったように、「噺家」が喋ることを止められてしまって、そしてまた再び高座に上がることの難しさと、そして素晴らしさの両面が浮き上がっていたように思う。

 

 小三治師匠の最初に出てきた短いインタビューに痺れた。

 

 こういう時代のこういう時に、俺は一体何をどうやるんだろうって、とても興味がある。やるよ、俺。

 

 60年以上、噺家を続けてきて、こんなにも高座から遠ざかることはなかった。マネージャーが「いつも休みたい、休みたいと言っていた人が、高座に上がりたくてしょうがなくなった」と言っていたように、柳家小三治という人は本当に心底「噺家」なのだと思った。

 

 できんのかな、と思っちゃう。ずっとやってないだろう?いつもだったら、しょっちゅうやっているからさ、そんな心配はしなんだけど。

 

 師匠の「噺家」としての矜持がそこにある。

 

 お金取って聞かせるんだろう、申し訳ないよ。それだけの値打ちが果たしてどれほど自分にあるだろうと思うね。“そんなこと言ってる場合かよ、そんな芸で”って、いつも自分を責めるような自分になっちゃった。自分の中で自分と競争しているんだろうね。

 

 ライバルは常に「柳家小三治」なのだ。

 

 弟子の三三のインタビューが補足してくれた。

 長いこと現場というか高座から離れていると多少なりとも不安はありますよね。この年齢だと余計に。それは大きいのかなと思って。高座に上がって喋るのは、噺家ひとりなんでね。そこから先はどうにもしょうがないことですから。

 

 常に「噺家」として持っている了見は、図らずも長年行きつけの床屋のおかみさんに髪を切ってもらいながら喋った言葉に現れていた。

 

 このおかみさんもね、どういう暮らしをしてきたか知らないけど、生きているうえで楽しいことつらいこと、たくさんあったんでしょう。だからそういうことがハサミ捌きっていうか、作品に反映して出来上がるんじゃない?ひとつの芸術だよね。

 

 人をいかにそのまま素直に仕事に表せるかっていうのが芸かな。なかなかそういかねえんだ。なんとかうまく見せてやろうとか、そういうことを考えちゃうんだよ。そうするとあとで反省することも出てくる。じゃないかな?俺は思うんだけどね。自分がそうだから。

 

 コロナ禍で制限があるなか、高座に上がる小三治師匠の思い。

 

 こんな時でもわざわざ出て来ようというのは何かしなくちゃいられない心に人々がなっているとも言えるね。小さい自分がどれだけのものを皆さんにお返しできるか。

 

 やっぱりお客さんがいなきゃ。いて、はじめて落語っていうか。何百年も続いてきた落語という芸があったんだよなということに、また改めて気がつきました。

 

 お客さんに励まされ、お客さんの心をもらって、私の心を返して。きょうは面白かった。もう一遍やってって言われてもできない。落語って面白いよね。

 

 そして、これからも噺家であり続ける意気込みを忘れていない師匠がいる。

 

 歩みを止めてないなんて言うと格好いいけど、止まらねえんだよ。止まらない。ここで止められないよ。そういうわけにはいかないの、俺は。そうじゃないと嘘をついて生きているような気がする。

 

 コロナ禍の中、小三治師匠の思いは一つだ。

 

 今やれることをやっている。だけどやれることは何かというと、やりたいことをやろうとしているんでしょうね。ただ、生きているだけだよ。見てて分かったろ。

 

 噺をすることは、生きること。そういう極致にまで達する仕事ができる人は数が限られているだろう。ただ、そういう極致に一歩でも近づきたいと思う。

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【演芸のまわりううろちょろ】で矢部さんは【柳家小三治師匠を偲んで】を配信しています。

 https://engei-yanbe.com/archives/4006