日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎共同体は一つの大家族ともいえないか(福井正之『追わずとも牛は往く』から)

〇『追わずとも牛は往く』は、著者の40年ほど前の「北海道試験場」(「北試」―ヤマギシ会)の体験をふまえ、書き進められた。記録文学である。

 この作品では、「北試」の体験をもとにした物語上の村『睦みの里』での、厳しいが豊かな自然・大地の中で、追わずとも牛は往く農体験の記録、里人との心温まる交流が描かれている。

 実際の「北試」というより、その可能性をひろげた著者自身の想定した「睦みの里」であり、創作を加えることで、より真実性を帯びる面もある。その本文からいくつかの特徴を見ていく。

 主人公の西森丈雄(34歳)は、ある時に、北海道別海町で農民が主力になって、そこに仕事をしないブラブラ族の若者もいて、小さなコミューンを築いていたことを知り興味を抱き、『睦みの里』を初めて訪問し、そこで東北山形から入植した五十歳代後半の須崎氏など三人の男から説明を聞く。

 

 さまざまな説明受けて、須崎氏から次のように言われる。

「ここじゃ『財布ひとつ』の『大きな家族』という考え方になる。お互い助けおうて必要を満たしていく生活体をつくるのはそんな大げさな難しいもんやない。むかしは空想的社会主義とかいうたが、今はイスラエルのキブツでも、他の共同体でもやってることや。しかしそういうところは契約でそうしてるようや。

 でもな、うちらはもっと心境面を大事にしたいんや。お互いもっと家族みたいに仲良うなって、お互いのことをもっと思い合えるようになったら、そんな細かい約束事もあんまり要らんようになる。それに家族は金のやり取りはせんやろ。その家族がそのまま大きくなっていったらいいんや。もっとも最近の家族はバラバラで先細りのようじゃがのう」

 

 なるほど、これはわかりやすいと丈雄は思った。もちろん実現可能性はわからないが、別に社会運動の経験がなくとも、離農問題への関心がなくとも、血のつながっていない人々同士が大家族のように仲良く助け合って暮らしたいというのは、夢としては不自然ではない。少なくとも自分たちのような故郷親族から離れ、いったん事あれば危うい核家族の小市民的生活者にとって。

 

 その後、「なにか報酬があるわけじゃない。まるっきりのタダ働きですから。そこが自発的にできるかどうか、つまり『他を思う』というのが、ここでの最大の課題になりますね」と言われ、身が引き締まった

そこで須崎氏が言い添える。

 

「そうやな、『他を思う』なんていうと話がちと固うなる。一軒の家じゃ親が働いて子どもらを食わせる。もちろん自分らもそれで食う。その動機は家族を養うということや。子どもは働かんから、家賃、食費を払わんから食うな、という親はまずおらんやろ。まあ《働かんでも食ってよし》じゃ。別に遠慮せんと大きな顔していてよい。ところがこの家をもっと大きく広げて考えてみなされ。中には子どもみたいな大人もおる。働いても稼ぎが乏しい人、体の具合が悪うて働けん人、それにブラブラしていたい人もおる。親ならそんな人らを放っておけんやろ。いや別に親とは誰と決まっとるわけやない、なんとかそんな人らを食わしていくのが親や」

「まあ大変かもしらんが、これまたよくできたもので『してあげる』のは苦労も多いが、楽しみも多い。子どもらもそれなりにだんだんと育ってくるしな。それから長い目で考えれば、人間、親ばっかりやっとるわけやない。子どものときもあれば、年寄りのときもある。親はやれるときにやったらいい。人間お互い様じゃ」

 

 ふうむ、そういうことになるのかな。それにしてもこの「大きな家族」の大きさはどの範囲まで拡張可能なのか、いささか心許ない。丈雄は須崎氏の語りに理論的信憑性はよくわからないながら、深い人生智のようなものを感じる。

 特殊な共同体を考えるとき、「一つの大家族」というような比喩で語られるが、この説明の中に共同体の原初的な心があるのではないかと思っている。

 それには、一人ひとりの息遣いが感じられ、少なくても適度に交流できる人たちの適正規模であることが欠かせないが。

 

 最近の研究成果から、家族形成が人類進化の源流であり、一見そのように見える「種」はあるが、ある一定の期間だけで、生まれてから死ぬまで家族であり続けるという形態は、人間の家族だけだといわれている。

 家族とは人間社会だけの普遍的な現象らしい。さらに人間の特徴は、単体ではなく複数の家族が集まって共同体を作る二重構造を持っていること。複数の家族を内包した共同体は人類だけの不思議な社会システムらしい。集団が巨大化し複雑化しても、家族という基本的な社会単位が崩れることなく存続し続けた事実があり、共同体を中心に、食物を共同で生産し、分け合って食べる。子育ても共同。家族単体ではできないから、共同で行なう。

※(集団の規模が大きくなり)人数が増えると百人から百五十人の集団ができる。これは信頼できるコミュニティとして最大の規模で、互いの顔と名前が一致する関係性の上限人数。百五十人という人数は、人類学では「マジックナンバー」と言われている。(山極純一『「サル化」する人間社会』より)

 

 内田樹は共同体について次のようにいう。

〈あらゆる人間はかつて幼児であり、いずれ老人になり、高い確率で病人となり、心身に傷を負う。だから、集団のすべての構成員は時間差をともなった「私の変容態」である。

 それゆえに集団において他者を支援するということは、「そうであった私、そうなるはずの私、そうであったかもしれない私」を支援することに他ならない。

 過去の自分、未来の自分、多元宇宙における自分を支援できることを喜びとすること。

 そのような想像力を用いることのできない人間には共同体を形成することはできない。〉

 

〈ひとりひとりおのれの得手については、人の分までやってあげて、代わりに不得手なことはそれが得意な人にやってもらう。この相互扶助こそが共同体の基礎となるべきだと私は思っている。自己責任・自己決定という自立主義的生活規範を私は少しもよいものだと思っていない。

 自分で金を稼ぎ、自分でご飯を作り、自分で繕い物をし、自分でPCの配線をし、自分でバイクを修理し、部屋にこもって自分ひとりで遊んで、誰にも依存せず、誰にも依存されないで生きているような人間を「自立した人間」と称してほめたたえる傾向があるが、そんな生き方のどこが楽しいのか私にはさっぱり分からない。

 それは「自立している」のではなく、「孤立している」のである。〉

(内田樹『ひとりでは生きられないのも芸のうち』より)