日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎私的な新型コロナワクチン接種の展開

〇わたし自身はどちらかというと、肺機能が極度に悪いこともあり、新型コロナ感染に嫌な感じを持っているが、対策としては、まず食生活をはじめ日々の暮らしで自己免疫を高めておくこと、手指消毒・マスク・三密を避けるなど必要最小限のことはして、出来るだけ医療関係の世話にはならないようにと思っている。

 

 しかし、今の医療逼迫などの現状からも、自分が罹患しないだけでなく他への影響をも考えると、個人の感情をおいて、ワクチン接種を広めることが、ある程度の収束に向かう要になるように思い、接種することにした。

 

 どんなことにもリスクはあり、ワクチン接種は人によって副反応に苦しむこともあり、接種したからといって絶対に感染にかからないという保証もないだろうし、その効力がいつまで続くのかもよくわからない。

 

 また、この度の新型ウイルスは、今までのウイルスに対する見方が通用しない面もあるそうで、変異株など今後の展開に注意する必要がある。

 

 それでも今の段階では、できる限りワクチン接種した人が多数いることが、感染症対策として有効なのではないかと私は感じていて、受けることにした。

 

 そのために、希望する人に関しては速やかに接種できるような体制が必要になるが。

 むろん、ワクチン接種者が増えることが収束に向かうかどうかは分からないとしても。

------

 

▼新型コロナワクチン接種の予約

 5月19日、市から新型コロナワクチン接種の案内が来て、WEB予約した。

 最初、この日は予約締切という表示が次々と出て、これは大変だなと思って戸惑ったが、少し時間をおいてやり方を見直したところ、区の集団接種会場に、妻のも含めて、スムーズに予約できた。

 結局1時間半近くかかった。ワクチンはファイザー製、2回目は1回目を終わってから予約ができるとのこと。

 比較的パソコンになれているわたしでも少し戸惑ったので、電話も通じにくいと思われるし、パソコンになれていない高齢者などは大変だと思う。

 それなので、サポートするお助け隊が各区役所などに配置されていて、これは有難い。

            

▼6月3日、第一回の新型コロナワクチン接種をする。

 居宅から電車など利用して1時間ほどの集団会場に到着。

 副反応のこともあり夫婦の接種は別の日がいいらしいが、妻なしで遠くに出かけることの難しい今の私の身体状態から、一緒の日に受けることにした。

 

 各種手続きをして、ファイザー製のワクチン接種を受ける。通常の注射に関しては多少緊張を伴うが、それすらもなくあっという間に打ち終える。その後15分副反応の確認で、その場に残るが、特に変化を感じずに終わる。

 

 妻は以前アレルギーを起こしたことがあり30分の確認で、特に何もなかったという。

 中には、副反応を起こした方がいて、係の人が寄って、いろいろ調べていた。

 

 全体に至れり尽くせりの対応で、会場全体静かな雰囲気で、進んでいた印象だ。

 その後3週間後の予約もスムーズに行われた。

 これだけの体制を作るのは、大変だったと思う。

 

 

▼6月24日、第二回のワクチン接種をする。

 第一回目と違って注射は少し痛かったが、特に副反応はそれほどないと思うが、注射した左腕が少し重たく感じた。妻は大層腕が痛かったそうだ。

 

 注射した部位の腫れや痛み、筋肉痛などは2~3日で回復するそうである。

 2日過ぎて、わたしは何ともなく、妻も1日目はかなり痛かったらしいが、少し薄れてきたという。

 

 ただ、私は体の反応自体が鈍感なので、敏感な人ほど副反応があるのかもしれないと思う面もある。

 近所の親しくしている人は高熱で寝込んだという。わたしたち二人とも体温は通常と変らない。

          ☆

 

▼ 以前、ブログで取り上げた岩田 健太郎『予防接種は「効く」のか?』は2010年の資料だが、ワクチン接種に関する課題をある程度まとめていると思うので 再度あげる。

 

《予防接種を行う価値のあるワクチンというのは、この「予防接種をせずに病気に苦しむ人」と「予防接種を打って副作用で苦しむ人」とを比較し、前者が後者よりも大きい場合をいうのです。》

 

 作為過誤と不作為過誤のジレンマ、つまり、予防接種をしたことで副反応が発生した人とワクチン非接種で感染症に罹った人の割合を見ると、大きな影響を及ぼす疾病や症状に対してはかなりの差があり、予防接種の有効性は歴史的に証明されている。

 

《実際には99%以上の方はワクチンにおける被害を受けていないのです。ほとんどの場合は、うまくいっているのです。そのような事業をやっていて、まれにイレギュラーな事態が起きた時にそれを激しく糾弾する、という世界観を、僕は是として欲しくありません。》

 

 これについては、マスコミなどの弊害をあげている。マスコミの多くは特異なケースをあげがちで、被害者・加害者の図式による責任論を強調し、それに便乗して、殊更問題視する風潮もあり、そのことの本質をきちんと分析することよりも社会的な話題になる事があり、影響される人も出てくる。

 こういう現象はワクチンに限ったことではないが。

 

 さらに、著者は次のことも述べている。

《僕は、ワクチンの副作用に苦しんだ人はわずかなマイノリティに過ぎないのだから気にしなくてもよい、と主張しているわけでは決してありません。それどころか、このような理不尽な苦痛を被った人たちこそ、僕らは十分にケアする義務があると強く思っています。》

 

 どんなことにもリスクはあり、ゼロリスク希求症候群はヒステリックな議論になってしまいがちになる。リスクとベネフィット(利益)をリアルにクールに議論し無くてはならないと著者はいう。

 

 この本では繰り返し、「好悪と正邪のすり替え」には注意しないといけないという。

《「ワクチン嫌い」の言説は、好き嫌いから生じていると僕は思います。最初は好き嫌いから始まり、そして「後付けで」そのことに都合の良いデータをくっつけ、科学的言説であるかのように粉飾します。都合の悪いデータは罵倒するか、黙殺します。》

(岩田 健太郎『予防接種は「効く」のか? ワクチン嫌いを考える』光文社新書– 2010)

 

参照:◎新型コロナウイルスのワクチンに思う。

 https://masahiko.hatenablog.com/entry/2021/03/18/223000