日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎乳幼児期の心の世界とは(鈴木秀男著『幼時体験』から)

※旧友F氏が、ご自分が深く関わった体験からこの著に触れているブログ記録が印象に残っていて、この機会に著書を取り寄せて読んでみた。

 

〇鈴木氏は内科医として、人間の病気の成り立ちについて、乳幼児期の生活がきわめて重要な意味を持っていると、どうしても認めないわけにはいかなくなり、乳幼児期の生活の持つ意味を研究し始めた。それに加えて最近の親子関係の異常な現象(1979年時点)に触れて、どうしても育児の本質を考えずにおられなくなったという。

 

 本書刊行の10年ほど前、おとなの気管支喘息患者について調べたとき、その患者の乳幼児期に母親が死亡、あるいは母親代理者に育てられたケースが少なくなかった。またそうでなくとも、いわゆる過保護的、支配的、ないしは拒否的といってよいような母親が多かった。いずれの場合も、ようするに母性の欠如であるといえるのではないかという。さらに、いてもいなくてもあまり変わらない精神的不在の父親が多いことも目につき、それは父性の欠如ではないかともいう。

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 娘の乳幼児期、私自身はある理想を掲げたコミュニティ(ヤマギシの村)に所属していて、そこの「親離れ、子離れ」方式に任せきりで、その頃の娘の状況の記憶があまりにも漠然としていて心もとなく、精神的不在の父親だったのではないかと思う節もある。

 その時点では疑うこともなかったが、いまから振り返ると、幼い時期から子どもを放し、専門分業による子どもを見る役割の人たちに任しきりで、親たちは持ち場の仕事に専念できる体制の下で、父性の欠如だけではなく、母性の欠如も生み出していたのではないだろうか?

 そこで乳幼児期を過ごした子どもたちの内面(心)にどのような影響を及ぼしていたのだろうと、この著書を読みながら、しばしば立ち止まるようになる。

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 鈴木氏は次のようにいう。

 喘息患者たちは、気象の変化や自分の身体の変化にたいし、異常ともいえるほどの強い不安を示す傾向があり、それは本人にも理由が見つからない。

 この「理由(いわれ)のない不安」のように見える不安こそ、その人らの乳幼児期の生活に根ざしているのではないかと思い、その後喘息患者に限らず多くの病人を観察し続けているうちに、人間の心身の異常性の根源は「いわれのない不安」にあるのではと考えるようになり、「いわれのない不安」が生じてくる「心の核」とでも呼ぶべき存在を想定するようになる。

 

〈それは乳幼児期頃までの生活によってかたち作られ、その後も「心の世界」の核心に存在し続けて、成長してからの人間をも根本のところで衝き動かす「原動力」になるもの、と考えられる。----「意識の世界」は、この「心の核」の一部分が分化して作られる〉(p13)

 

 もちろん、ひとりの人間が形成される過程は、出会った他者との接触、環境や時代性などが複雑に絡み合った全生活史から影響を受けるが、乳幼児期の生活をやり直せない以上、その「心の核」を作り直すことできないからこそ、育児の問題はゆるがせにしてはならないと、「心の核」がどのようにかたち作られ、それが人間の生涯をいかに基本的に支配するのか、を追求するようになる。

 

〈育児学の発展のおかげで、わたしたちは、いま過去のいかなる時代よりも、子どもを衛生的かつ生理的に育てることができるようになっている。しかし、結局はそれだけであって、新生児や乳児の心的な面の発達にかんしては、いまなおほとんど明らかにされていないのが実情である〉(p15)

 

 そういう中、フロイドをはじめ精神分析、精神病理学、児童心理学、育児学(書)、文学作品、不安神経症の症例などの知見に、内科医としての自らの体験を踏まえて考察していく。

  著者の育児のことを探求することになった経緯を踏まえて、第二部の「乳幼児の発達過程」は、「親子の関係」から始まる。

 

〈子どもは、生まれ落ちてから一年以上の間、ほとんど母親だけを相手にして生活するようなものだが、その間にふたりの間の関係の「型」がかたち作られる。この関係の「型」は、その後子どもが母親以外の人間と関係を持つばあいの「原型」になる、と考えられる。この期間に子どもが、その世話を受けなければ生きられない母親にたいして、基本的に安心感を持つか不安感を持つかによって、母親以外の人間にたいして安心感を持つか不安感を持つかが決まる。つまり関係の意識の「原型」は、乳児期の未分化な心の世界に属しているのである。

 だから、もしわたしたちが日常しばしば、他者にためらい脅えのような「いわれのない不安」を覚えるようなことがあるとすれば、その根源は最初の他者である母親との関係にあるということになる。それは、母親の代理者に育てられるばあいも同じであって、ようするに、子どもは最初に密接な関係を持つ人間との接触をとおして、その「原型」がかたち作られるのである。そうだとすれば、誰の子として生まれるかというより、誰にどのように育てられるかということのほうが、人間にとってはるかに切実な意味を持つはずである。〉(下線強調は原書による。p62)

 

「誰にどのように育てられるか」が切実な意味を持つとあるのは押さえておきたい。

 大人の家族観は、血縁と実体としての我が家が基礎になっているが、乳児は無論、小さな子どもの家族観には血縁意識などというものはないだろう。

 乳幼児期の子どもにとって、「自分のいのちの受けとめ手が一緒にいること」が家族ではないだろうか。親身を伴った「受けとめ手」であることが肝要だが。

 

 広げて考えれば、子どもの育ちや親・誰かの介護支援に限らず、ひとが生きていくとき、密接な「受けとめ手」がいるということの大きさを思う。

 その特定の「受けとめ手」を支える、拡大家族あるいはローカルなつながりも必要となる。

 

※参照・芹沢俊介『家族という意志』(岩波新書、2012)

   ・鈴木秀男『幼時体験―母性と父性の役割―』( 北洋社、1979)