〇質のよい生活に向けて
渡辺京二『さらば、政治よ』の「質のよい生活」について、次の三つの要点に絞って簡潔に述べている。
- 暮らしている街なり村なりの景観が美しく親和的であること。は
- 情愛を通わすことのできる仲間がいること。
- 人は生きている間、できる限りよい物を作ること。
その観点の要約を参考にしながら、生活を振り返り、今後に向けて描いていく。
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・1.暮らしている街なり村なりの景観が美しく親和的であること。
「そこで暮らすのだから、歩いていて汚かったり、殺風景であったりしてはたまらない。景観の魅力だけではなく、よい店やよい施設もなければならない。そういう愛すべきわが街、わが村の中で生きるのが生活の質のよさなのだ。」
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2年半ほど前に住み始めた街は、今ではわたしたちにとって愛すべき街になっている。
ただ、賃貸マンションに暮らしていて、隣近所との交流はあまりなく、これについてはもっと行き来があったらとも思っている。古くからこの街に暮らしている知人によると、特に震災後は何かと気をかけていく気風が育ったが、ここは特殊だと仰っていた。
住んでいるところが親和的であるためには、ものや施設などが豊富に揃っているとかないとか、自由にできる財産があるとかないとかにかかわらず、暮らしにまつわるいろいろなことについて、街や人々に“安心感”を覚えていて、この要素がもっとも大きなことではないかと思っている。
災害、人災あるいは大きな病気などに遭遇したら、しばらくはそれどころではなくなるかもわからないが、徐々にではあるとしても、立ち還っていくときの大事にしたいことは、根本から“安心感”を覚えるような暮らしにあると考えている。
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・2.情愛を通わすことのできる仲間がいること。
「何かにつけて助け合うということも含まれるが、人間は一人自立せねばならぬ人類史的段階に来ている。しかし一人でありつつも、互いに情愛の働く場がなければ、人の生は不毛なのだ。よい質の生活とは、人々の情愛ある出会いを可能にする、開かれたフリーな場が備わっている生活のことだ。」
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人間誰しも一人では生きられない、というのは少し考えてみると分かるし、現社会では、全て他の人の助けがあるからできるというのも、よく考えると納得せざるを得ない。
それでも、孤独であることに幻想でありながらも心を置いている人もいる。
鶴見俊輔は『悼詞』の「あとがき」で次のように述べている。
「私は孤独であると思う。それが幻想であることが、黒川創のあつめたこの本を読むとよくわかる。これほど多くの人、そのひとりひとりからさずかったものがある。ここに登場する人物よりもさらに多くの人からさずけられたものがある。そのおおかたはなくなった。
今、私の中には、なくなった人と生きている人の区別がない。死者生者まざりあって心をゆききしている。」
ここで、情愛を通わすことのできる仲間について考えてみる。
ねっとりとした関係ではなく、適度な距離おきながら、意見が違う・同じに関わらず、根っ子のところで互いに肯定しあう、そういう差異を前提としながら、崩れようがない関係を保てる仲間だろう。
ごくありふれた母親が、条件をつけずに赤ん坊をいつくしむように、子ども時代から大人になっても、小さく壊れやすいわたしという「存在」を、何かとささえてくれている仲間なのだろう。
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・3.人は生きている間、できる限りよい物を作ること。
「物を作るといってもいろいろある。サービスだって広い意味でのもの作りだ。文章を書く人はその質・中味を、店を出す人は店の構え・雰囲気、タクシーのドライバーは運転の仕方・客の接し方など、その人の創造によるもので、みんな一能一芸を極めることができる。」
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日常生活の隅々まで、自分の身体を使って様々なことをしながら暮らしている。
何も芸術・文化的な作品制作だけではなく、どんなささやかであるにしても、何かから託された仕事をする。シャドウワークと言われる調理、掃除、洗濯、買い物、ゴミ出し。人との交流など、すべて、一人ひとりの創造的な働きかけによって質のよさが生まれる。
生きるというのはそういうことではないだろうか。
そして、次の文章につながっていく。結局、自分の生き方に帰することになる。
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・「このような質のよいさまざまな創造を、思い思いに実現しようとし、またその実現がスムーズに行くのが、質のよい生活だ。ところが実際には、粗悪で見かけばかりが気をひくような「物作り」が横行している。質のよい生活とは、本当によい物を作る行為がむくわれる生活のことだ。」
・「だとすれば、問題はおのれに帰る。自分の書くものに意味があるか、少しは真実に近づいているか、いくらか良質になっているか、自問せねばなるまい。」
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※(渡辺京二『さらば、政治よ――旅の仲間へ』晶文社、2016))