〇長くは生きられない若者たちの“生”を描く
『わたしを離さないで』の舞台は、へールシャムという全寮制の学校で、普通の小・中学校とは違って、生徒たちは臓器提供だけのために生まれてきた「クローン人間」である。しかもこの学校は、「クローン人間」でも、より人間らしい生き方ができるのではないかとの目的でつくられた理想の学校だ。
学校卒業後(16歳頃)は、「コテージ」と呼ばれる社会に出る前の準備期間があり、その後は臓器提供者専門の介護士になり、ゆくゆくは提供者になる。
著者の「クローンや臓器提供をテーマにしたかったわけではなく、長くは生きられない若者たちの“生”を描くことが主眼だ」とあるように、この作品は、若者たちの“生”が生き生きと描かれている。
この作品はその学校の生徒であり、後に「提供者」専用の介護士になるキャシーの記憶をもとにモノローグで、〈わたしの名前はキャシー・H。いま三十一歳で、介護人をもう十一年以上やっています。------わたしが介護した提供者の回復ぶりは、みな期待以上でした。回復にかかる時間は驚くほど短く、「動揺」に分類される提供者など、四度目の提供以前でさえほとんどいませんでした。〉との書き出しで始まり、その記憶をもとに未完の過去を紡ぎ直すように、友情のもたらす光と影やその心理描写を織り交ぜながら語り継いでいく。
第一部の中ごろに、15歳頃の若者たちが、それぞれの将来像を他愛なく出しあっているとき、理想を掲げた学校とは少し距離を置いていた保護官・ルーシー先生が突発的な発言をした。
〈ほかに言う人がいないのなら、あえてわたしが言いましょう。あなた方は教わっているようで、実は教わっていません。それが問題です。形ばかり教わっていても、誰一人、ほんとうに理解しているとは思えません。そういう現状をよしとしておられる方々も一部にいるようですが、わたしはいやです。あなた方には見苦しい人生を送ってほしくはありません。そのためにも、正しく知っておいてほしい。------------あなた方の人生はもう決まっています。これから大人になっていきますが、あなた方に老年はありません。いえ、中年もあるかどうか------。いずれ臓器移植が始まります。あなた方はそのためにつくられた存在で、提供が使命です。ビデオで見るような俳優とは違います。わたしたち保護官とも違います。あなた方は一つの目的のためにこの世に産み出されていて、将来は決定済みです。ですから、無益な空想はもうやめなければなりません。まもなくヘールシャムを出ていき、遠からず、最初の提供を準備する日が来るでしょう。それを覚えておいてください。みっともない人生にしないため、自分が何者で、先に何が待っているかを知っておいてください。〉
この発言が謎解きの縦糸となり、若者のいのちの息吹が横糸となり物語は展開する。
だんだんと物事を知っていくキャシーたち元生徒、その友情の交流や様々な行き違いをはさみながら、若者たちの生態が生々しく伝わってくる。同時に、知ることが希望を生むわけでも、世界を広げてくれるわけでもないことを。
この文学先品を読みながら、いくつかのことを思っていた。
・若者に限らないが、仲良く付き合っていく、あるいは人と触れあうには、適度な距離が必要になる。それが一つ間違うと超えられないへだたりを生じ、それを埋めようとするとよけい不味くなることがある。この作品ではそのことが複眼的な視点で語られている。
・やがてくる死が無意識的にわだかまっている、未来を大きく描けない若者たちの、それでも今を精一杯に生きようとする、けなげな暮らし方。
・わたしの娘は、特殊な〈ムラ〉で生まれ、そこの学育、学園で育った。いろいろな思いはある一方、どちらかというと楽しかったようだが、度々聞かされていたのは、後から考えるとずいぶんおかしなことも「それが“ふつう”だと思っていた」という発言。
・なお、閉鎖的な集団であるかどうかにかかわらず、情報のあふれている社会にいても、「あなた方は教わっているようで、実は教わっていません。それが問題です。形ばかり教わっていても、誰一人、ほんとうに理解しているとは思えません。」とあるようにも思われる。
後半に、提供者専用の介護士としてのキャシーの、今は提供者になっている同僚たちとの交流が、こころに染み込むように淡々と語られている。
わたしが病院併設の養護学校や高齢者介護などに携わっているとき、死と隣り合わせの人たちもいて、どのように交流を重ねていたのかなど、いろいろなことを思いだしていた。
柴田元幸の解説で、この作品について端的に表現している。
〈日本生まれのイギリス人作家カズオ・イシグロの第六長編にあたる本書『わたしを離さないで』は、細部まで抑制が利いていて、入念に構成されていて、かつ我々を仰天させてくれる、きわめて希有な小説である。
静かで端正な語り口とともに始まって、いかにもありそうな人間関係が丹念に語られる中、作品世界の奇怪なありようが次第に見えてくる。そして、世界の奇怪さが見えてきた後も、端正な語りから伝わってくる人間的切実さはますます募っていき、もはや他人事ではなくなっているその切実さが我々の胸を打ち、心を揺さぶる。決してあわてず、急がず、じわじわと切迫感を募らせていくその抑制ぶりは本当に素晴らしい。(柴田元幸「解説」)〉
(カズオ・イシグロ著『わたしを離さないで』(原題:Never Let Me Go、土屋政雄訳 早川書房、2005)