日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎熊本地震から1年たって

〇『熊本地震2016の記憶』から
 熊本地震から一年たち、ここ数日各種報道による様々な声が発信されている。車中泊などで直接死よりも関連死の方が多いという特異性があるなど、その困難さが伝わってくる。

 一方、次から次へと起こってくる様々な情報のなかで、特定の期間にだけ注目され、いろいろな問題提起もされるが、徐々に記憶の風化も起こってくる。特に当事者、関係者などと遠く離れた人たちにとっては、その傾向が強いと思う。こうした「記憶の風化」を防ぐことは、被災者や被災地域への復興支援とともに大切であり、そこに記録していくことの課題がある。

 岩岡中正・高峰武編集『熊本地震2016の記憶』(弦書房)は、多面的、複眼的に9人の筆者による大地震の体験と思索を語っている「復興への希望は、記録と記憶のなかにある。」との記録だ。その内容紹介は次のようになっている。

 

〈人間は捨てたものではない、いま私は強くそう感じている。未来の人間のあらまほしき姿が、惨事の中から立ち現われた。3.11のときもそうだったのだろう。これから必然となる復興の過程で、この姿が歪んだり、消え失せたりするかどうかは、私たち自身にかかっている【渡辺京二】。


 前震と本震=2度の震度7。さらに4000回を超える余震。さまざまな衝撃と被害を整理し、再びおこりうる危機に備えて、この体験と想いを忘れぬよう書き残しておかねばならない。本書は、その願いを込めて編集された。復興への希望は、記録と記憶のなかにある。〉

 老舗古書店主の方は、日記は初めてながら、「書いておかねば」という自然に立ち上がってくる気持ちから、地震当日から日記を続けているという。どの人からも「記録に残すことは生きること」というのが伝わってくる。

 

〇「かよわき葦」から
 渡辺京二は『東日本大震災で考えたこと』の「かよわき葦」で次のように語っている。
〈人間がこの地球上で生存するのは災害や疾病とつねに共存することを意味する。(中略)
 人間が安全・便利・快適な生活を求めるのは当然である。物質的幸福を求めずに精神的幸福を求めよなどとは、生活の何たるかを知らぬ者の言うことである。—-私たちに必要なのは、安全で心地よい生活など、自然の災害や人間自身が作り出す災禍によって、いつ失われてもこれもまた当然という常識なのだ。—-人工の災禍という点でも、人間の知恵でそれから完全に免れるという訳にはいかぬと私は思っている。人間はそれほどかしこい生きものではない。それでもつねに希望はあるのだと思っている。
 このたびの災害で、日本という国は見直しされるのだという。—私には日本とか日本人という発想はない。私にはただ身の廻りの世の中とそこで暮らす人々があるばかりだ。その世の中が一種のクライマクス(様相)に達していて、転換がのぞまれるとは、むろん私も感じている。だがそれは、いわゆる3.11がやって来ようと来まいと、そうだったのである。〉(『3・11と私 東日本大震災で考えたこと』「かよわき葦」藤原書店、2012より)

 

 渡辺京二の視線は、東日本大震災などがあると大局的に、日本の進路とか科学技術の肥大化への再考を促す契機として見做してしまいがちになるが、そういう捉え方を根底から揺さぶるものとなっている。

 私自身は高齢社会の課題や地域社会、共同体の在り方というようなことに関心を持ち続けている。

 自分の暮らしている場はささやかな世界だが、それは地域社会、日本という国、さらに世界中のあらゆる出来事、宇宙自然界を含むあらゆる出来事とつながっていて、様々な影響を受けながら、自分の生活が成り立っているのも事実だと思う。

 そのようなことも抑えながら、その考える出発点として、どこまでも身近な人たちに寄り添い、日々の暮らしから向き合っていこうと考えている。

 

【参照資料】
〇「子どもの心のケア 震災による変調見守りを」熊本日日新聞「社説」から
・熊本地震の影響による精神的な変調を訴える子どもが、継続的に確認されている。注意深い見守りが必要だ。
熊本市教委が市立の全小中学校で実施している調査では、2月時点で「カウンセリングが必要」とされた児童・生徒は465人だった。「夜眠れない」「イライラする」など17項目を質問。学校での様子などを加味して、カウンセリングの必要性を判断している。
 調査は昨年5月から始まり、1回目では心のケアが必要な子どもは2千人以上いた。時間の経過とともに減少傾向となり、6回目となる今回は、ピーク時の4分の1以下まで減った。
 ただ気になるのは、初めてカウンセリングが必要とされた子どもが毎回、半数前後に上ることだ。今回も465人のうち236人を占めた。潜在していた不調が顕在化したものとみられる。深刻化させないために、初期の段階で臨床心理士による専門的な対応が必要だろう。スクールカウンセラー配置など相談環境の整備が図られているが、今後も長期的な取り組みを続けていきたい。
 熊本地震から1年の節目を迎え、県内では慰霊式や復興イベントが相次ぐ。こうした時期は、当時を思い出して体調を崩す「記念日(アニバーサリー)反応」を起こすこともある。記念日反応とは、心的外傷(トラウマ)を受けた時期が近づくと当時の悲しみなどを思い出し、心身が不調になる状態とされる。落ち着いたように見えても、様子が変わることがあるという。専門家は、安心感を与えるために「地震は過去の出来事と強調し、家族や友人との絆を意識させて」と助言している。
 もっと低年齢層への影響を裏付ける調査結果もある。昨年6~12月にあった乳幼児健診での問診をまとめた県の調査結果によると、地震で大きな被害を受けた地域はほかの地域に比べ、精神的な影響を訴える親子が多かった。
 対象は0歳の親、1歳半と3歳の親子。調査では、御船、菊池、阿蘇、宇城の4保健所管内で影響が目立つという。「親の後追いがひどくなった」「必要以上におびえる」「暗い場所などを怖がる」「夜泣きが多くなった」などの訴えが多く、継続的なケアが必要と判断された親子もいた。
 大人の場合も含め、支援が必要な事例をきめ細かく拾い上げる仕組みが必要だ。熊本こころのケアセンターは、益城町などで被災者の心身の状況を調べる大規模調査を始めた。一人一人の状況を把握し、ケアにつなげるという。こうした試みを行政や学校、NPOなどの連携で多角的に広げ、孤立を防ぐことが求められる。
 阪神大震災や東日本大震災などでは、数年後にストレス反応が出た事例や、精神的に不安定な状態が長く続いたことが報告されている。心の傷はなかなか癒えない。熊本地震でも今後、症状が潜在化するケースの増加が懸念される。息長く目配りし、寄り添う体制を構築したい。(熊本日日新聞2017年04月16日「社説」)