日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎不慮の出来事の受容について

〇人生が何を私たちから期待しているのか
・はじめに
 最近、知人の訃報が続き、親しくしている人の急遽入院されたとの連絡を受けることがあった。
 私は、特に身体に関して妙な違和感を覚えることが多くなり、「老い」や「死」について考えることも度々おこるようになる。どんなに割り切ったつもりでいても、身体の機能があちこち衰えているのを認めることは、心細く、寂しいものである。しかし、そのような状態でも、面白くより良く生きようとしている自分も自覚する。また様々な人々に、支えられていることにも、より敏感になっている。
 いろいろな角度から、高齢化社会や福祉の課題について考えてみる。それに付随し、 高齢期に入った自分自身の心の持ち方を探っていこうと思う。

 

・「不慮の出来事や障害や死の受容について(支援する立場から)」
 様々な不慮の出来事や障害、死の受容については様々な立場からの考察がされている。死病を宣告された人、重篤な症状で入院したとき、難病と言われる病に臥したとき、事故により障害を抱えた人、生まれた自分の子供が障害児であることが分かったとき、人生の途中で失明、失聴したときなどなど、当事者本人と、周りを取り巻く関係者の心のありようを探ったものである。次のようなことがよく言われる。
「第一段階・ショック期、遊離期」:現実を受け止めることに耐えられない、あるいは現実感覚を喪失した遊離的な状態。
「第二段階・否認期」:現実を認めざるをえなくなるのだが、「きっとよくなる」など、現実を否認して元に戻った自分を夢想する。
「第三段階・葛藤期、混乱期」:現実とどのように折り合いをつけていくのか、様々な試みをしていくのだが、非常に情緒不安定になっていく。そして、最後の受容期を迎えるというような展開である。

 これに対して「障害の受容とはあきらめでも我慢でもなく、障害に対する価値観の転換であり、障害をもつことが自己の全体としての人間的価値を低下させるものではないことの認識を通じて、積極的な生活態度に転ずること」というような受容の仕方を提供している。
 しかし、そのような割り切り方(割り切られ方)では当事者にとって、かなわないところがあり、また、「あきらめ」は一つの受容の仕方でもある。一人一人の感情の多様性、心理状態などを充分に配慮しないならば、そのような価値観の転換の投げかけは、ある種の押し付けになりかねない。

 

 死の受容についてよく知られているものに、精神医学者エリザベス・キューブラ=ロスの『死ぬ瞬間―死にゆく人々との対話』の中で発表したものがある。この本は、彼女が200人の末期患者と面接し、彼らの心理状態をまとめあげたものである。この本の中で、末期患者であると知らされた患者は、死を受け入れ、死に至るまで、5つの段階を経ると言っている。

「第1段階・否認と隔離」:予期しない衝撃的なニュースを聞かされたとき、そのショックをまともに受けないために、「違う、そんなことはない」と否認がおこる。あるいは、死ぬことを心の片隅においやる。
「第2段階・怒り」:死という現実を認めざるをえなくなると、「なぜ俺だけこんな目に会わなくてはならないのだ!」などと怒りや恨みなどの否定的な感情が湧き上がってくる。
「第3段階・取引」:神や仏に対して、自分がどうしたら延命できるか取引し始める。例えば「何とか子供の結婚式には出たい」など自分の願いをかなえたいというような。
「第4段階・抑うつ」:以上の段階をへて、それらが無駄であることを知って患者はうつ状態におちいる。病気が進行し、衰弱が進んで、無力感が深刻となる。
「第5段階・受容」:来たるべき自分の終えんを静かに見詰めることのできる受容の段階に入る。

 しかし、すべての人がこの5段階をたどって死を迎えるわけではない。ある段階にとどまってしまう人。ある段階を飛び越える人。錯綜する人も多い。しかし一般に死が近づくと、意識的にあるいは無意識に死と向かい合うことになる。そのため、人は静かに尊厳なる死を迎えるための心構えが必要である。「尊厳なる死とは、その人らしく死ぬということであり、我々回りの人間の鋳型にはめこまないことである」とロス女史は希望している。
(『死ぬ瞬間―死にゆく人々との対話』川口正吉訳、読売新聞社、1971より)


 キューブラ=ロス自身が癌を宣告されたとき「私の理論は、何の慰めももたらさなかった」という逸話も残っている。

 これについて吉本隆明は、次のように述べている。
この五つの段階は、「難しい事柄、事件にぶつかったときに生きる過程で演じている心の階梯に対応している。このなかに人間の生き方という問題が全部含まれており、私たちが生きている過程でぶつかるさまざまな出来事への対処の仕方を、小さな規模で踏んで毎日のように繰り返している。それが最大規模でなされたものが「死」の認識問題の最大の意味であり、これは文学あるいは小説の根本にある問題でもある」
(『新死の位相学-(「生きること」と「死ぬこと」)』春秋社、1997より)

 

 寝たきりになってからの父親との交流を通して、私は死も含めて困難を抱えたときの受容のあり方について大きく二つのことを考える。勿論、私が当事者になったときにも当てはまるだろうと思われるが、ここでは主に当事者と接触する関係者の立場として考える。

 一つは受容に至るには、さまざまな段階があり、決定的な段階があるわけではなく、ゆれ戻しがあり、最終的な受容を求めない態度が大切だと考える。その時々の状況を受け止め、起こっていることをきちんと見ること、考えられることを考えてみること、その上で当事者の意思、感情に気遣いをしながら的確な対応をしていく。

 もう一つは、どのような状況であれ、希望や期待をもつこと。あるいは日々の生活で喜びを見出すこと。各種障害受容論で欠けているもの、しかも人間が生きている上で最も大切な希望や期待、それは他から見たらささやかに見えるかもしれないが、希望に大小があるわけではなく、それが見つからないとしたらどんな些細なことでもよいので日々の生活の中から喜びを見出すこと。これは各自で見つけていくわけではあるが、それへ誘う気風のようなものはお互いの関係性の中で創り出していけるのではないだろうか。

 これに関して、ドイツ強制収容所の体験記録として書かれた精神医学者Ⅴ.E.フランクル『夜と霧』の言葉をあげておく。悲惨な状況下の記録だが、人の死については軽重があるわけではなく、じっくりと考えたい視点だと思っている。
「『私はもはや人生から期待すべき何ものも持っていないのだ』
 これに対して人は如何に答えるべきであろうか。ここで必要なのは生命の意味についての問いの観点変更なのである。すなわち人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。そのことをわれわれは学ばねばならず、また、絶望している人間に教えなければならないのである。」
(『夜と霧』霜山徳爾訳、みすず書房、1961より)

 

 私はⅤ.E.フランクルの悲惨な状況下から考察した深い意味あいにおいてのことだけではなく、どのような人にとっても、何かから、あるいはささやかであっても、他の人たちから、自分の存在を望まれている、気をかけてもらっていると思えることが、よりよく生きていける一つの要だと考えている。

 

【参照資料】
※フランクルと似たような体験をふまえて、受容というよりも厳然とした断念と、そのことの意味を思想的に高めていったものとして、内田樹の『他者と死者』で知ることができた、エマニュエル・レヴィナスをあげる。

 レヴィナスは親族の人たちの殆どをアウシュビッツで失う。自らも捕虜として捕虜収容所に入れられるが、フランス軍兵士の扱いのために生き残る。戦争が終わって十年後、ワルシャワ・ゲットーの蜂起で死んでいったあるユダヤ人の手記を論評する。それは「ホロコースト」に言及した数少ない文章のひとつである。「語り手はあらゆる恐怖を経験してきた人のようです。彼は恐るべき状況下で幼い子どもたちを失いました。残された時間わずかな、彼の家族のただ一人の生き残りとして、彼はその最後の思いを私たちに遺言します。たしかに、これは文学的フィクションです。しかし、それはあの時代を生き残った私たち一人一人がそこにめまいのするような既視感を覚える種類のフィクションなのです。私たちはそのことについては今から語る気はありません。たとえ世界の人々が何も知らず、すべてを忘れてしまったとしても。
 私たちは「受難中の受難」を見世物にしたり、この非人道的な叫び声の記録者や演出家としてささやかな虚名を得ることを自らに禁じています。その叫び声は永遠の時間を貫いて、決して消えないままに残響し続けるのです。その叫び声の中に聞き取れる思考に耳を傾けましょう。」(レヴィナス『困難な自由』内田樹訳)