日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎共存そして希望を(渡辺京二『東日本大震災で考えたこと』から)

〇 渡辺京二は『東日本大震災で考えたこと』の「かよわき葦」で次のように語っている。

〈人間がこの地球上で生存するのは災害や疾病とつねに共存することを意味する。(中略)

 人間が安全・便利・快適な生活を求めるのは当然である。物質的幸福を求めずに精神的幸福を求めよなどとは、生活の何たるかを知らぬ者の言うことである。—-私たちに必要なのは、安全で心地よい生活など、自然の災害や人間自身が作り出す災禍によって、いつ失われてもこれもまた当然という常識なのだ。—-人工の災禍という点でも、人間の知恵でそれから完全に免れるという訳にはいかぬと私は思っている。人間はそれほどかしこい生きものではない。それでもつねに希望はあるのだと思っている。

 このたびの災害で、日本という国は見直しされるのだという。—私には日本とか日本人という発想はない。私にはただ身の廻りの世の中とそこで暮らす人々があるばかりだ。その世の中が一種のクライマクス(様相)に達していて、転換がのぞまれるとは、むろん私も感じている。だがそれは、いわゆる3.11がやって来ようと来まいと、そうだったのである。〉(『3・11と私 東日本大震災で考えたこと』「かよわき葦」藤原書店、2012より)

 

 この文章の特に印象に残るのは、〈人間がこの地球上で生存するのは災害や疾病とつねに共存することを意味する。〉で、ものごとを「共存」という角度から見てくことも大事にしたい。

 また、「かよわき葦」としても、どのような状況にあろうとも〈それでもつねに希望はある〉と思っている。

 そして、自分の暮らしている場はささやかな世界だが、それは地域社会、日本という国、さらに世界中のあらゆる出来事、宇宙自然界を含むあらゆる出来事とつながっていて、様々な影響を受けながら、自分の生活が成り立っているのも事実だと思う。

 そのようなことも抑えながら、その考える出発点として、どこまでも身近な人たちに寄り添い、日々の暮らしから向き合っていこうと考えている。

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〇今の情勢から新型コロナウイルス関連の報道が圧倒的に多いが、この時期になると東日本大震災関連の報道もよく取り上げられる。

 東日本大震災の特徴は、大きな地震、津波による災害であるとともに、原発事故に象徴されるように、いまだ経験したことのないような大きな文明災であり、私たちの身近な暮らしにつながっているものであり、今の実態をつかんでいくことはしていきたい。情報の吟味が欠かせないが。

 原発に関しては、順調に稼働していて事故が起きない限り、一度に大量に電気を経済的に発電する事が可能で、エネルギー確保のメリットがあるが、それが破綻をきたすと、修復が困難なものになり、損害が計り知れない。また、そこから派生する放射性廃棄物などにより長年にわたって環境汚染となる。さらに人々の心理面に不安をかきたてるものとなる。

 日本国内では、原発に私たちの暮らしに直結する電気エネルギーの多くを依存しているので、今すぐどうこうとはいかないものの、ものごとはいつも秩序から混沌へと流れていき、この度のようなことは必ず起きるので、代替案を産み出し縮小するあるいはやめる方向でみたいと思っている。

 

 東日本大震災の今について、【原発はいずれ消滅します 福島・飯舘村で暮らす、前原子力規制委員長・田中俊一さん】の記事が毎日新聞2020年3月6日東京夕刊に掲載された。これは放射能廃棄物の処理にまつわる「中間貯蔵施設」のことなど語っている。いろいろ批判はあるかもしれないが、自分のこととして真摯に向き合っている姿に共鳴するものがある。現状を伝える一つの記録だと思う。

毎日新聞でも一部読めるが「地球倫理:Global Ethics」に全文引用されている。

https://globalethics.wordpress.com/2020/03/08/