日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎梅雨時期の豪雨災害と正常性バイアス

〇7月3日、梅雨前線の影響では東海や関東を中心に非常に激しい雨が降り、午前10時半ごろ、静岡県熱海市伊豆山で大規模な土石流が発生した。

 

 土砂崩れの原因について、知事は「大雨で地盤が緩んで上流で土石流が発生し、下流に従って勢いを増して、国道135号を突っ切った。大雨が原因だったということは間違いないが、さまざまな要因が重なって起こった」と話した。

 そのうえで「同様の地形がたくさんある。同じようなことが起きても不思議ではない」と述べ、県民に引き続き注意するように求めた。

 

 まず、災害に遭われた方の救出など救助活動が優先されるが、今後要因についてはさまざまな角度から検証されるだろう。

 

 特に梅雨時期は豪雨災害が多く、俳句の夏の季語に“出水”(梅雨どきの集中豪雨によって河川の水かさが増し氾濫すること。台風による洪水は、秋出水といって秋の季語となる)があるほど、以前から大きな被害があった。

 

 最近の豪雨災害は、昨年2020年7月「熊本豪雨」があり、2018年「西日本豪雨」があり、友人も甚大な被害に遭い、記憶に生々しく残っている。

 

「西日本豪雨」は、西日本を中心に北海道や中部地方を含む全国的に広い範囲で発生した。広島には親しくしている友人一家が暮していて、その影響で長らく仮住まいが続いたそうである。今なお約千人が仮設住宅などの仮住まいで暮らすという。

「熊本豪雨」は、熊本県を中心に九州や中部地方など日本各地で発生した集中豪雨である。2016年4月に起きた熊本地震の影響がいまだに続く中での豪雨被害である。

 

 大雑把に次のことなどを思う。

・日本列島は、地震なども含めて、このような被害にこうむりやすい地形であること。

・文明化、都市化、人工化が進め進むほど、被害も幾何級数的に膨らむ恐れがある。

・被害にあったときだけでなく、その後の影響や、心も含めて後遺症が長く続く。

・自分には、そのようなことは起こらないだろうという正常性バイアスが働く。

          ☆

 

▼正常性バイアスとは自分の身にとって不利益な情報を無視したり、リスクを過小評価する心的傾向のことである。特に災害のときに逃げ遅れの原因となる。

 

 日常生活では可能なリスクをつねに過大評価していると生活上不自由が多くなる。

 

 だから、私たちは惰性的に「非常事態というのはあまり起こらないものだ」というふうに考える。

 

 コロナウイルスの感染拡大でも、「自分は感染しない。感染しても軽症で済む。他人に感染させることはない」というふうに考える正常性バイアスが働く。だが、非常時というのは正常性バイアスがもたらすリスクが劇的に高まる事態のことなのである。だから、どこかで平時から非常時にコードを切り替えて、正常性バイアスを解除しなければならない。

 

 正常性バイアスの解除とはいたずらに怖がることではなく、自分が見ているものだけから今何が起きているかを判断しない。自分が現認したものの客観性・一般性を過大評価せず、複数の視点から寄せられる情報を総合して、今起きていることを立体視することである。

 

「主観的願望をもって客観的情勢判断に替える」というのが正常性バイアスの実態である。主観をいったん「かっこに入れて」、複数の視点から対象を観察する知的態度のことを「正常性バイアスの解除」と呼ぶのである。

 

 正常性バイアスは「非常事態というのはなかなか起きるものではない」という蓋然性についての判断としては適切だが、自分の個人的な感覚や知見の客観性を過大評価するという点では適切でない。

 

 こういう人に対して、ふだんからものごとを複眼的にとらえる知的習慣を持っている人がいる。自分が現認したことはあくまで個人的、特殊な出来事であり、そこからの推論は一般性を要求できないという知的節度を持つ人は、いわば日常的に正常性バイアスの装着と解除を繰り返していることになる。

 

参照:ブログ「ひこばえの記」◎非常時の心構え(コロナ禍の状況の中で)

 https://masahiko.hatenablog.com/entry/2021/04/20/233000