〇内田樹の論考は好きで、それは述べていることが適切であるかどうかというより、他の人が言いそうもないことを、独自の見方で展開していて、なる程そうだよねという言葉がいたるところにある。そして、その文体の流れが大層面白い。
著名になる前の本書の論考に、その後の内田スタイルを彷彿させるものがある。
本書は、2001年個人名で出版した最初の単著で、いろいろな論考で多岐にわたる。その中でも本書の題名にもなっている「ためらいの倫理学」のカミュ論は、手ごたえのある論考である。
ここでは本書の基底音となっている「知性」について折々に触れていて、共鳴するものがあり、そこからいくつか挙げてみる。付随して「とほほ主義」に触れていく。
「あとがき」の中で内田は、この諸論文で主張していることを「一言で無理して言えば、それは『自分の正しさを雄弁に主張することのできる知性よりも、自分の愚かさを吟味できる知性のほうが、私は好きだ』ということになるだろう」と述べている。
《私たちは知性を計量するとき、その人の「真剣さ」や「情報量」や「現場経験」などというものを勘定に入れない。そうではなくて、その人が自分の知っていることをどれくらい疑っているか、自分が見たものをどれくらい信じていないか、自分の善意に紛れ込んでいる欲望をどれくらい意識化できるか、を基準にして判断する。》(「古だぬきは戦争について語らない」p25)
これは「未来に向けて――スーダン・ソンタグ氏から大江健三郎氏へ」(朝日新聞1999年6月19日夕刊)への、ソンタグの寄稿文にたいしての発言である。
ソンタグ:《ベトナムでの戦争については68年と73年にそこへ行っているので語ることが出来ます。サラエボでもほぼ3年間にわたり相当の時間を過ごしました。アルバニアにも最近2度滞在しました。
善意があっても思慮深くとも、直接の体験の具体性に取って代わることは決して出来ません。<……>どんな戦争地帯にも一度も近づいたことがなく、戦闘に与したり、爆撃のもとで生活したりするとはどんなことかこれっぽっちの考えもない。それが見え見えのアメリカやヨーロッパの知識人たちが尊大にもあの戦争について語るのを目にして、怒りを禁じ得ませんでした。》
それに対して、内田は次のように述べる。
内田:《要するにソンタグは「私は現場をよく知っているし、この目で見ているから、戦争について発言できるし、立場も持てる。そうでない人間たち(「戦闘に与したり」「爆撃のもとで生活したり」したことがない人間たち、たとえば私のような人間)は意見を言う資格がないから、黙っている」と言っているのである(原文がどうだか分からないけれど「戦闘に与する」というのはかなり聞き捨てならない表現である。これは紛争当事者の一方に「与して」戦闘行為に参加するという意味以外にない)。》(「古だぬきは戦争について語らない」p22~23)
この個所は内田に共感するとともに、ソンタグの偏見と尊大さを感じる。
現場に関わっていようといまいと、事実を俯瞰的に述べることはできないし、必ず偏見がつきまとうと考える謙虚さが大事で、直接の体験の具体性にそんなに価値は置かないようにしたいとわたしは思っている。
むろん、現場にいた人の、そのときに味わったことはある種の迫力がある場合もあるが。
それと、現場と関わっていないからよく知らないし、知らないことは発言するなというのは、なんともお粗末な見方である。
厳密には、どんなこともよく知らないところから、いろいろ調べ、想像力や直感、閃きを駆使し自分なりの疑問や見解を持ちながらすすんでいく。
よく知らなくても、疑問を提出することは出来るし、それについて深く考えることも出来る。大事なのは知識や体験ではないのだ。
この論考ではソンタグを取り上げているが、ソンタグに限らずマルクス主義者とフェミニストなど、具体的にさまざま論者の善意に紛れている欲望に対して内田の見解を述べていて小気味よい。
それらの人は、正義の人を自認して、その立場から世の中の間違ったことがらを糾弾していて、そこからもっともらしい論を展開する。だから、彼らの口調はいきおい査問調になる。そこのところが鼻持ちならないというのである。
内田は述べる。世の中に絶対的な正義などというものはありえない。人というものは、間違えやすい生き物で、絶対的に正しい人というのもありえない。
その間違いやすさを自覚して、自分に謙虚であることが大切だ。自分に対して謙虚である人は、他人に対しても謙虚でありうる。
自分が絶対に正しいと思っている人は、自分に対して夜郎自大的な全能感を持つだろう。そういう人が他人に対して謙虚になれないのは、当然のことだ。
内田は、この自分に対して謙虚であることの「自己批判能力」を大事にする。
《私たちは知性を検証する場合、ふつう「自己批判能力」を基準にする。自己の無知、偏見、イデオロギー性、邪悪さ、そういったものを勘定に入れてものを考えることができているかどうかを物差しにして、私たちは他人の知性を計算する。自分の博識、公正無私、正義を無謬を前提にしてものを考えている者のことを「バカ」と呼んでいいことになっている。》(「自由主義主観について」p42)
また、次のことも言う。
《「私には分からない」というのが知性の基本的な構えである。「私には分からない」「だから分かりたい」「だから考える・調べる」「なんだか分ったような気になった」「でも、なんだかますます分らなくなってきたような気もする」と螺旋状態でぐるぐる回っているばかりで、どうにもあまりぱっとしないというのが知性のいちばん誠実な態様ではないのかと私は思っているのである。》(「性差別はどのように廃絶されるのか」p212)
どうにもあまりぱっとしないという知性の在り方を、内田は「とほほ主義」といっている。
「とほほ主義」とは、「それは「善を為す」ことよりも、「悪いことをこれ以上しない」ことを優先的な課題として自己省察する倫理的態度のこと」を著者は名づけている。
同時に「自分の愚かさ、自分の弱さ、自分の邪悪さが世界にどのような災厄をもたらすかを優先的に配慮するような知のあり方、そのリスクを制御することで自分が世界にどのような貢献を果たしうるかを計算することのできるような知のあり方」である。
自分が向かい合っているさまざまな世の中の出来事が「ろくでもないこと」とわかっていながら、正義の人のようにそれを査問的に糾弾できない。それは、自分もまたその「ろくでもないこと」の片棒を担いでいるというやましさの感情があるからだ、そのやましさの感情が自分の査問しようとする腰を折る、そのときに自分を襲う感覚がこの「とほほ」なのだというのである。
またこの「とほほ主義」は、「父権制社会」に固有である、「私の外部」に「私」の自己実現や自己解放を阻害する禁止としての強権的な存在を設定する思考法から逃れる道だと述べている。
書名にもなっている「ためらいの倫理学」というのは、当書所収のカミュ研究会機関誌「カミュ研究4号」(2000年)に投稿された論文の題名である。
その論考は、カミュがなぜサルトルのように査問的になれなかったか、その所以を論じたものである。
サルトルが絶対的な正義の立場から、世の中の悪を糾弾し続けたのに対して、カミュはそのような正義に立脚できなかった。それは、彼自身自分の弱さを自覚していたからで、その弱さの自覚を内田は「ためらい」と呼ぶ。それは内田のいうところの「とほほ」にも通じる。
本書所収の小論「ためらいの倫理学」のカミュ論は別稿で触れる。