日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎孫の成長記録(1歳7ヶ月)自発性をのびのびと

〇孫の成長記録(1歳7ヶ月)
 1歳7か月ともなると、より一層好奇心が旺盛で動きも活発である。一応乳母車を用意しているが、ほとんど歩き、疲れると車代わりにしている。
 居宅に来ると一緒に散歩して、近くの大きな公園や、海沿いの浜辺に連れていく。

 

 お気に入りは両手にじじばばと手をつなぐことだが、私の足取りがもっとも危なかっしい。孫の足取りは、まだそんなにしっかりしているわけではないが、反射神経が柔軟で、アレッと思う場面でもあまり転ぶことはない。この辺は私と大違いである。

 階段や、滑り台の梯子も果敢に挑戦し、一人でも這ってやり遂げる。
 まだまだ見守り手の支えがいるが、自らやろうと能動的に動き回っている。

 

 かなり興味をそそられるのは、各種リモコン、ラジオ、電話機などのスイッチ、面白いのでパチパチ繰り返す。電話機のボタンを押しまくり液晶の文字が出なくなった。壊れたわけではないのでそのままにしてある。口笛練習用のCDが急に大きくなったりする。

 また、やたらと引き出しを開け、興味あるものを捜し、引っ張り出す。

 

「そこはいじらないよ」とオクターブをあげると、一旦こちらを向くがまた始める。2、3度繰り返して止めることになる。まだこの辺の分別があまりつかないらしいが、いけないことをしているのは分かるらしい。すぐに他のことに気を向けることが多い。

 

 だが、やめないときは押さえるが、わっと泣き出し泣き方も激しい。それでもきりかえが早く、今のところたいしたことにはならない。

 もっと体が大きくなり反発力がついてきたら、今は声のトーンを上げるぐらいで収まっているが、叱るような局面も出てくるだろう。

 

 発達心理学では、好奇心や「学びたい」気持は子どもの持つ特質であると言われていて、禁止されても遊びたがり、ものごとの「なぜ?」を知りたくなる。子どもは知識欲に飢えているという。
 これは、大人になるにつれて好奇心が薄れ、現状維持へと向かおうとする傾向はあるが、進化的に人の持つ特質であるともいえる。

 

 人類学者の長谷川真理子は次のようにいう。
〈この原動力はどこから生まれてくるのか。それはやはり「知りたい。説明したい」という欲求によるもので、知ることが楽しく、適切な説明ができると感じることが楽しく心地いいからだろう。一方、環境は日々変化していくため、それに適応するよう学び直しなどしていく必要があることも事実だ。それでも人類の根源的特徴として、「知りたい。説明したい」という欲求は存在する。〉

(10MTV「人間だけが大人になっても『学び』を持続できる」より)

 

 子どもは自発的にやって喜びを感じながら伸びていく。それを達成したときの喜びが、さらなる向上心となって次の意欲を生み出す。これまで自分の出来なかったことが出来るようになると、脳が活性化し神経細胞の回路が強化され、ますますやりたくなる喜びのループが強化される。

 

 いろいろなことに挑戦し続けることで、身体・脳が活性化しそれへの対処の仕方、解決への仕組みを獲得し覚えていく。好奇心を覚えていろいろなことに挑戦し続けること、大きな危険への配慮をしながら、その自発性を受容する周りの人たちによって子どもが育っていくのではないか。

 

 多くのことを親や周りの人に支えられているとはいえ、一人の人間として生身の生活を生きている。親でも奪えないもの、犯せないものが、生まれた時から備わっている存在だと思う。

 

 そのためにも、子どもの自発性を尊重し、自発的にやって喜びを感じながら伸びていくのを温かく見守っていくことを思う。

 ことさら自発性と言わなくても、余計なおせっかいをしないで温かく見守っていると、好奇心に満ち溢れていて何でもやってみたくなる。
 むろん、「それはダメ」「そんなことはしないよ」と適度な声掛けは必要だが。

 

 孫の育ちを見ていて、多くのことを親など家族に支えられて育まれていくが、「自分の足で立ち、自分の頭で考える」ことをおさえ、ひとりの精神的な人格者として、そして「心をもつ者」として見ることが、ますます大事になってくると思う。