日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎法学者・團藤重光さんのこと(たまゆらの記㊱)

○2023年4月にNHKETV「誰のための司法か〜団藤重光 最高裁・事件ノート」をみる。

内容は、1969年12月、大阪空港公害訴訟で、航空機騒音に苦しむ住民が国を訴えた。この訴訟は、公害で初めて国の責任が問われた。住民は、「夜間の飛行停止の差止」を求めた。2審の大阪高裁では、差止の訴えを認め、住民が勝訴した。ところが、最高裁は、一転して、1981年12月、住民の差止の訴えを退ける判決をくだした。番組では、東大教授(刑法学者)から最高裁判事へ転じた故団藤重光氏の残したノートをもとに、当時の関係者からの証言を得て、行政追従の消極司法の姿を露わにする判断にいたった過程を丹念に検証したものである。

 

番組を見て、司法は三権分立の考えから、独立して権力を行使するものと思うが、結局、行政などの「国家権力」の左右されている現状をうかがわせる内容だった。また、故団藤氏のように丹念に記録を残し、それを次代に繋げようとする人たちの熱意と大事さを覚えた。

 

その番組から團藤重光氏についてもっと知りたくなり、團藤氏が対談形式でインタビューに応えている『反骨のコツ』を読んだ。

○書評:團藤重光, 伊東乾 (著)『反骨のコツ』(朝日新書 69、2007)

刑事訴訟法起草でGHQと渡り合い、最高裁判事として書いた少数意見は数知れず。死刑廃止論で知られる93歳の法学界最の重鎮が、音楽家で作家としても活躍する東大准教授・伊東乾の問いに縦横に語る。

 

伊東氏がよく調べているとはいえ話が長過ぎるのが気になるが、「死刑廃止論」や2009年に導入される「裁判員制度」について、それほど深く考えたことない私にも團藤氏の考え方の一面がよくわかる受け応えが続く。

 

法学に関心のある方々には、著名な各著書や「團藤ブログ『君は團藤重光を見たか?』」などがあり、物足りないと思うかも知れないが、私には團藤氏の精神的な基盤となる基本的な考えや気概が、伝わってきてそれなりに面白かった。

 

印象に残った話を三つ挙げる。

團藤《人間の生命は天の与えたもので、性犯罪者の生殖能力も含め、それを人間が勝手に奪っちゃいけない-----これは最後は論理じゃないですね「死刑廃止」「汝、殺すなかれ」は絶対的な命題で、人間的なセンスとして、完全に許されないものだということを、全国民、全人類が肝に銘ずる必要がある。戦争がいけないのと同じように、およそ死刑は許されない。》

 

ETVで放映された大阪空港公害訴訟では次のように述べている。

團藤《なんといっても住民の生命、生活、これを守らなきゃならない、司法の根本の使命ですからね。それが一番大事なことです。それが破壊されようとしているのをだまって見ているのは許されない。最高裁ではずいぶん議論したんだけど、どういうわけかみんな応じてこない。政府の関係で反対の態度をとりたくないんでしょうかね。そういう行政優位の考え方は、三権分立の精神からいっても、とんでもないことですよ。もう、心底から憤慨してね。》

 

法律学について次のように述べている。

團藤《法の本質は、世の中の悪と闘って平和を求める。-----ただ穏やかにやったのでは平和になりませんから、その闘い、正義は論語のような「子曰く」を覚えただけでは何もならない。実践しなければならないです。》

 

なお、団藤重光氏について、ウィキペディア(Wikipedia)を参照。

また、日本経済新聞2020/2/2に「巨人の知、次世代に継承へ 団藤氏資料を龍谷大が保存」の記事で、故団藤重光氏(1913~2012年)の膨大な書籍や記録などの遺品を寄贈された龍谷大がデジタル化などによる保存に取り組んでいる。

書簡やメモなども含めると10万点規模に及び、没後8年近くになるが手付かずの資料も。次世代への継承に向け、数少ないスタッフで難事業を進めている。と紹介されている。