日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎孫の成長記録(姉4歳7か月、弟2歳9ヶ月、妹11ヶ月) 

○子どもと遊び

もうすぐ一歳になる心和を長時間預かると、だいたい一人で遊んでいる。

関心の向くものへ触ったり叩いたり、カレンダーなどの紙を渡すと、ひらひらさせたり破ったりして長い間遊ぶ。

 

教育学者の矢野智司によると、《遊びは、もともと有用性の秩序から離脱する自由な行為であり、遊びは遊ぶために遊ぶのであって、遊びを超える目的はない」(『意味が躍動する生とは何か――遊ぶ子どもの人間学』より)

 

この言説に、今の心和に限らず孫たちの遊びに私も思う。

「有用性」は役に立つ度合いなどを示す言葉で、人や物など、何かに対して役に立つことをさして、「有用性がある」という。

「有用性の秩序」は「自由な行為」を妨げるものになりかねないのである。

 

心和を見ていると、そこには役に立つとか何かのためになるとかはまったくなく、ただ面白いのだろう。

 

私は、面白い小説作品などで、時間を気にせずのめり込むことはあっても、暮らしの大方は「有用性の秩序」というものに大きな影響を受けているかもしれない。

 

心和を見ていると、見るもの、聞くもの、触れるもの全てが遊びにつながる。 今ある自分の力の全てを使って遊びを繰り返す。

遊んでいる最中は、常に五感を働かせていて、視覚からの情報を楽しみ、自分が発生させた音を楽しみ、物の感触を楽しみながら遊びに熱中する。

五感を使って遊ぶことでものへの興味が広がり、心和の世界は広がっていくのだろう。

 

○「日々の記録」

5/9:娘一家が東京方面から帰ってきて、よく心和を預かる。とても可愛いが、気に入らないことがあるとぐつつくが、この子は見ていて面白い。

母乳をやめて離乳食だけにしたそうだ、それにしてもよく食べる。この辺りは上の二人の孫と同様で食欲旺盛である。

 

5/14:弟は恐竜のぬいぐるみを持ってくる。お姉ちゃんは早くから誕生日に送った犬のぬいぐるみを子分のように引き連れていた。弟はあまり関心がないのかと思っていたが、最近になって抱えてくるようになった。

 

5/20:夕方娘たちは二人の孫を連れて芦屋のリゾートスパ「水春」にいき、その間心和を預かる。成長して、詳細は分からないにしてもいろいろなことがそれとなく分かるようになり、むずかる時間も長くなる。

風呂入れ食事などを済ませたが、気に入らないことがあると泣きだす。だが切り替えも早く大体は一人遊びに夢中になっている。

夜パパとお姉ちゃんが迎えに来ると、目を輝かせて嬉しそうにする。家族という概念はないだろうが自分の一番身近な人が分かるのだろう。

 

5/24:何かと心和を長時間預かる。何を言っているのか分からないが言葉にはならない声を出す。つかまり立もするようになり、関心の向くものへ触ったり叩いたりして、一人遊びに夢中になっている。

離乳食を妻がフォークやスプーンで口に持っていくとそれを取り上げて自分で食べようとする。声(喃語)を出しながらそれを繰返す。自分でやりたいという主体的欲求なのだろう。

ときおり大声を出して総じて賑やかである。その後鼻歌のようなものを出しながら遊んでいる。

 

5/29:心和のいるときはユーチューブで妻の好きな反田恭平や辻井伸行のピアノ演奏曲をかけているが、あまり関心がないようだが、時折そちらをじっと向くときがあり音に反応しているのだろう。妻は好みがあるようだという。

また、引き出しや小さな扉を開けて、何が入っているのか確かめていて、それも繰り返す。

好奇心がいっぱいなのだろう。

 

参照:矢野智司『意味が躍動する生とは何か――遊ぶ子どもの人間学』(世織書房、2006)