日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎自己肯定感は自然治癒力を高めるのでは

〇誰でもがもっている自然治癒力
 先日のブログに浦河べてるの家の人たちに「自己肯定感」を覚えると書いた。

福祉活動をしてきて、その人に「自己肯定感」「自尊感情」が、根底にあるかどうかが、ケアする、ケアされるときの大きな要となるなと思っている。

・自尊感情(self-esteem:「自己肯定感」)とは、自分自身を価値ある者だと感じる感覚。自分自身を好きだと感じ、自分を大切に思える気持ちのこと。誰でも長所もあれば短所もある。それら全てを含んで、自分がかけがえのない存在だと感じること。

・自己肯定感が高い:心の受容が大きく、少々のことではめげない。意欲的に人間関係を築くことができる。自分のことを陽的に見つめていくことができる。

・自己肯定感が低い:自信喪失、委縮。自己否定的。自信が持てず。他人にどう見られているか気になり、他人の言動に過敏に反応してしまう。

 また、自己肯定感がその人の持っている自然治癒力の充分な発揮に繋がるのではないかとも思っている。高齢者や病身を抱えている人などと接して、自分の身体の衰えを覚えるとともに、人の身体の持つ力、その自然治癒力をより一層意識するようになった。

 

 自然治癒力には、二つの大きな要因がある。
 一つは、これまでの自分の身体が培ったもの、そして親を始め人類の歴史で蓄積されたものも受け継いでいる、人のもつ体の中の治癒力。その充分な発揮には、その人の気持ちのあり方が色濃く反映されると思う。

 もう一つは、大自然のもっている治癒の力。風、光、水、空気、温度、天体、人が当たり前のように食として活用している各種生き物、などなど、それらなしでは人は生きていけません。それを充分に享受しているかどうか。暮らしている環境によっても影響を受けている。

 それがあるのが当たり前のように思っていることや、その喜びや有難味も、ともすれば忘れていることがある。

 自尊感情の高い人は、何事に対しても積極的に取り組み、豊かな体験を積み重ねていく中で、さらに自信がつき、ありのままの自分を受け入れ、他者をも受け入れていくことができるようになる。

 自己否定感の強い人は、「思惑」の虜になっている状態なのでしょう。また、他者や他のことを私の思い通りに動かそうとする人がいるが、人やものが本来持っている「生きる力」をないがしろにしているのではないだろうか。

 自然治癒力は、元手も何もいらず、だれでもが供えているもので、自覚するだけである。

「自分は大切な存在だ」などと殊更意識していなくても、何があろうと、こうしてくれたらなど何の留保条件も付けずに、生命力あふれるいのちの「同伴者、随伴者」として在り続ける存在だ。

 

 【参照資料】
※リンゴ栽培などで著名な木村秋則氏の著作から
〇リンゴを育てるようになって、私が学んだいちばん大きなこと。それは地球上に生きる生き物は、みんなお互いに深く関わり合いながら生きているということでした。人間もその例外ではありません。けれど今の人間は、そのことを忘れて生きている。自分が地球の主人公だと錯覚しているわけです。私自身もそうでした。

 農薬を使わずにリンゴを育ててみようなんて常識はずれもいいことを思いついて、リンゴ畑を滅茶苦茶にして、気の遠くなるほど長い間苦労しなければならなかったのも、今考えてみればそのせいでした。私は、自分がリンゴの実をみのらせるんだと勘違いしていたのです。

 そんなバカな話はありません。リンゴを実らせるのはリンゴの木であり、リンゴの木の命と自然の中の無数の命のつながりなのです。人間にできるのはせいぜい、そのお手伝いをすることぐらいのもの。そのことに気づいて、ようやく何年間も花を咲かせなかったリンゴの木が、花を咲かせてくれるようになりました。

 どんなに科学が進歩しても、人間はリンゴの実の一粒も作り出すことはできません。私たちを生かしてくれている無数の生き物とのつながりが断たれてしまったら、人は生きていくことができないのだということを、リンゴの木が私に教えてくれました。そのことを心の底から理解できるかどうかで、人間がこれから先もこの地球で幸せに生きていけるかどうかが決まると私は思っています。   (木村秋則『あなたの人生に「奇跡のリンゴ」をつくる本』小学館、2010)