日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎「誰もが安心して暮らせる」社会気風を(新型コロナウイルスについて思う)

〇新型コロナウイルスについて思うこと

 伝染病などによる感染症の歴史は生物の出現とその進化の歴史とともにあり、有史以前から近代までヒトの疾患の大きな部分を占めてきた。

 

 いろいろ調べて、次のことがいえるのではないかと思う。

・感染に関しては、発病するか否かは、宿主側との力のバランスによって決まる。ウイルスに限らないが、免疫力の低下した高齢者、病弱者などは病状が悪化する可能性が高い。

・新型のウイルスが人に感染すると、完全一致する抗体・免疫を持っている人は少ないため、急速に社会に広がっていく。

・持病のあまりない抵抗力の強い人にとっては、インフルエンザ等のウイルスに初回感染した場合と同じように、自己の免疫力により、一時体調に変化があっても重症化することなく、やがて自然治癒する。

・一方、高齢者や糖尿病などの厄介な持病のある人の場合は、重症化することがある。これは、若い頃から蓄積された免疫情報を利用して、ウイルスへの感染防御を行っている部分があるものの、新種のウイルスに対しては、一致する場合が少ないからだと考える。

・また、ウイルスに感染しても症状が出ない人から、抵抗力の弱い人へ伝わっていく恐れが高いので、注意する必要がある。

 

 このことを知ったからといって個人的にどうなるものではないし、またいろいろと切実な人も少なからずいるだろうが、私個人としては、散歩・掃除など適度に体を動かし、日々の体調を整えておき、個人的な免疫力・抵抗力を高めるおくことが大事で、こまめによく手洗いをすることなど留意する。このことを意識しながら暮らしている。

 

 社会の動きから、次のことを思った。

 今まで経験をしたことがない社会的災難には、蓄積された知恵が乏しいので、対策・政策など右往左往する。

 しかし、普段当たり前のようにしていることが、出来なくなることもあるなと思う。

 そのことに的確に対応していくことはむろん必要だが、人も社会もどんどん変化していくわけで、その変化に応じる力をつけていくことも大事ではないだろうか。

 私は、出来なくなることに焦点を当てるよりも、このような機会に、普段当たり前のようにしていることを見直すことや、工夫を重ねて出来ることを見つけることに焦点をおいていきたいと考える。

 

 さらにトイレットペーパーなど買い占めによる社会的混乱など、社会性を帯びた免疫力(この言葉でいいいのか?)が乏しいため、「自分さえよければ」の人たちが跋扈しだす。

 物が潤沢にある間や、いろいろなことがある程度順調にいっているときは気が付きにくいが、このような人が張り切りだす様相は結構根強くあるのではと思う。

 

 ほとんどのものはどこかに在庫があり、流通が追い付かないだけであり、最低限の確保は心理的にやむを得ない面もあるが、当座のこととして、知人、近所の人などと分かち合いをしていけばいいと考える。

 このような社会情勢のとき、ことさら不安をあおるような情報に惑わされないことが大事だと思う。

 総じて、一人ひとりの心の持ち方の総体が、ものごとをどのような方向に進めるかにかなり影響を及ぼすのではないでしょうか。

 社会・経済的なダメージについてはすぐにどうにかできるものではないが、個人としてやれることがあると思っている。

 

 阪神淡路大震災、東日本大震災や近来の大災害時に、少なからずの人たちが助け合いの気持ちで乗り切ろうと行動していたように(※だがこれも喉元過ぎれば熱さを忘れる部分もある)、「自分さえよければ」の風潮から、「誰もがそこそこ安心して暮らせる」社会気風をより強固にしていく機会でもあるのではないだろうか。

  

 また、人がこの地球上で生存していけるのは、大概の場合、新たにおこってくる疾病と共存することで可能になってきた。

 

 ちなみに、厚生労働省の人口動態統計によると2018年にインフルエンザで亡くなった人は日本で3325人だった。感染者は1万人をはるか超えているといわれる。

 新型コロナウイルスについては、武漢から短期間に急速に世界中に広まったので、ここを抑えることが第一義であるが、世界中の叡智を結集することで、いずれ収束し、あるいは共存していくだろうと思っている。

 

参照:3月上旬の段階で、私が触れた限り、簡潔に述べられていて参考になった記事。

NHK『あさいち』「新型コロナウイルス いま知りたいこと」

https://www1.nhk.or.jp/asaichi/archive/200302/1.html