日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎マルクスの自分中心的な人間観から「地動説」的な人間観への転換(内田樹『寝ながら学べる構造主義』から)②

 わたしは知識としては地動説を知っているが、感覚としては,日が昇り・日が沈むといい、自然界の動きなどについてはほとんど、自己を軸にした天動説な見方をしていることが多い。これはものの見方、思考方式そのものが、少なからず天動説的な感覚を持って暮らしているのではないだろうか。

 

 本書の「マルクスの地動説的人間観」を面白く読んだ。マルクスのことはあまり詳しくないし、あくまでも内田氏の説から考えたことであり、ここでは、脱‐中心化や地動説的人間観に焦点を合わせてみていく。

 

〇第1章3「マルクスの地動説的人間観」で著者はこう述べる。

〈自分の思考や判断はどんな特殊な条件によって成り立たせられているのか、という問いを突き詰め、それを「日常の生き方」にリンクさせる道筋を発見した最初の例は、カール・マルクスの仕事です。構造主義の源流の一つは紛れもなくマルクスなのです。(p26)〉

 

 マルクスは、「意識が生活を規定するのではなくて、生活が意識を規定する」として、人間は「どの階級に属するか」によってものの見え方が変わってくると考えた。人間は自由に思考しているつもりで、実は階級的に思考している、という分析をした。

 その世界観の核心は、社会経済問題に対する制度と価値の考察を通じた規範的分析である。マルクスが『資本論』で訴えているのは、人類の救済であり、彼の理論で最も卓越していた点は、経済学というより歴史理論と政治学である。(『ウィキペディア』より)

 

〈私たちは自分が「ほんとうのところ、何ものであるのか」を、自分が作り出したものを見て、事後的に教えられます。私が「何ものであるのか」は、生産=労働のネットワークのどの地点にいて、何を作り出し、どのような能力を発揮しており、どのような資源を使用しているのかによって決定されます。

 自己同一性を確定した主体がまずあって、それが次々と他の人々と関係しつつ「自己実現する」のではありません。ネットワークの中に投げ込まれたものが、そこで「作り出した」意味や価値によって、おのれが誰であるかを回顧的に知る。主体性の起源は、主体の「存在」にではなく、主体の「行動」のうちにある。これが構造主義のいちばん根本にあり、すべての構造主義者に共有されている考え方です。(p31-32)〉

 

 これは「階級」だけではなく、さまざまな人との交流、ネットワークや環境によって「私」の見方が形成される。

 一人ひとりは、その人ならではの普遍的人間性が宿るというような人間観を退け、人間の個別性をかたちづくるのは、その人が「何ものかであるか」ではなく、そのネットワークのなかで「何ごとをなすか」によって決定される、とマルクスはそう考えた

 

〈ネットワークの中心に主観的・自己決定的な主体がいて、それがおのれの意思に基づいて全体を制御しているのではなく、ネットワークの「効果」として、さまざまのリンクの結ぶ目として、主体が「何ものであるか」は決定される、という考え方は「脱―中心化」あるいは「非―中心化」とも呼ばれます。

 中核に固定的・静止的な主体がおり、それが判断したり決定したり表現したりする、という「天動説」的な人間観から、中心を持たないネットワーク形成運動があり、そのリンクの「絡み合い」として主体は規定されるという「地動説」的な人間観への移行、それが二〇世紀の思想の根本的な趨勢である、と言ってよいだろうと思います。(p32)〉

 

「脱―中心化」とはフランスの M =フーコーが現代社会と現代人の行動を特徴づけるために用いた語で、狂気と理性、異常と正常といった区別は「歴史」の中でつくられたものであるとし、「理性」「主体」などの西欧近代の既成的な概念を脱中心化した。

 フーコーは、このような人間の内面的意識を拘束する社会の規範構造を明らかにすることによって、それにとらわれた自我を解放し、自由に思考する知性をそなえた真の自己を回復しようとした。

 

 おそらく構造主義の文脈とは少しずれると思うが、「脱中心化」について心理学者ピアジェの理論も思う。幼児の認知発達段階における前操作期(2歳~7歳)から具体的操作期(7歳~12歳)への移行段階で生じる、自己中心性の思考から脱する過程を「脱中心化」とした。自己中心性とは、自分にしか通用しない特殊な象徴化パターンにより、すべてのものを把握、表現しようとしたり、自分が得た知覚情報のみですべての状況を認知、理解、判断し、他者の視点や立場にたって考えられない状態をいう。

 具体的操作期に入ると、この自己中心性から脱して、さまざまな知覚情報を組み合わせることができ、より抽象的で一般的な象徴化が可能となる。さらに、具体的な体験を通して、自分の観点と他者の観点が異なることを理解するようになり、他者の観点からも物事を客観的に見られるようになる。成長するとはそういうことなのだろう。

 

 わたしたちは、外界の事物が世界を構成していると思いがちだが、実は、過去の経験の記憶に基づいて、それぞれの意味の世界をつくり、そこからあらゆる現象を見ている。

 日々いろいろな判断をしながら暮らしているが、その判断のよって立つ根拠はそれぞれの時代、地域、集団や周囲の環境によって、作り上げられたもので、そこにはさまざまな偏りがあると思われる。

頭で理解していても、自己中心的にものごとをとらえていることで、その自覚がないまま他の人との会話がギクシャクしたものとなり、ひどい場合には争いになっていく。

 

 内田樹は『こんな日本でよかったね(構造主義的日本論)』の「あとがき」で次のようにいう。

〈構造主義というのは1950〜60年代にフランスを発信源としたいくつかの学術分野に共通していた、ある種の知的な「構え」のことです。どういう「構え」か、一言で言うと、「自分の判断の客観性を過大評価しない」という態度です。……「自分の判断の客観性を過大評価しない」と言うのは、言い換えると、「自分の目にはウロコが入っているということをいつも勘定に入れて、『自分の目に見えるもの』について語る」と言うことです。〉

 さらに次のようにいう。〈自分の判断の客観性を過大評価しない」と言うのは単なる倫理的な心構えや自戒のことではありません。もっと技術的でクールな手続きのことです。〉

 技術的でクールな手続きとはどんなことだろう?