日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎孫の成長記録(姉2歳5ヶ月、弟7ヶ月)「見立て遊び」の面白さ。

〇午後遅くから3時間ぐらい二人の孫をみる生活が続いている。

 弟はしばらく前から離乳食をはじめ、おぐらやま農場のリンゴをすり卸して、スプーンから食べさせるのも慣れて、モグモグして上手に食べている。

 

 歯も生えてきて、娘と相談して、リンゴを薄く切って手に持たせ、手づかみで食べる練習を徐々に始めているが、まだまだおぼつかなく、すぐに落としてしまう。

 

 寝かせた状態のゴロンとしたところから少しだけ体を横向きにするところまできているので、寝返りも近いのではないだろうか。

 

 ソファーに寝かせ、おとなしくしていたと思うと、やがて全身を使って大泣きし、妻が抱きかかえると泣き止み、やがて眠りにはいる。

 

 尿意と睡魔は赤ちゃんにとって不快な感覚らしい。泣くには泣くだけの訳があるのだろう。

 

 

 お姉ちゃんの「泣き」は自己主張的なことが多く、ときには抗議の意思表示で、したたかに感じることもある。切り替えも早いが。

 

 最近のお姉ちゃんのお動きで面白いのは、「見立て遊び」である。

 幼児は、お母さんや周りの人の動きをみていて、好奇心が湧いたら、すぐに模倣して、ものにしていく。

 

 大分前から、携帯電話の買い替えのときに、古い電源の入っていないものを、玩具代わりに与えたところ、すぐにお母さんの仕草を真似し始めている。

 今では電源が入っていないにも関わらず、一人語りで結構話し込んでいる。

 

 また、一歳の誕生日プレゼントの犬のぬいぐるみを、いつも子分のように引き連れていて、それに自らお母さんになり切って接している。

 

 ぬいぐるみをソファーに寝かせたり、幼児用の便器に座らせたり、体温計を脇に当てたりして、少し前から、時折自身のおっぱいを与えるマネをするようになり、何か話しかけている。面白いのだろう。

 その動きに、弟は不思議そうに見ている。

 

 我が家から帰る時に、わたしとハイタッチをして別れるのだが、最近はぬいぐるみにもしろと催促をしてきて、それに応じている。

 

「見立て遊び」とは、何かに別のことを見立てて想像的に遊ぶことで、お姉ちゃんは1歳過ぎたころに、果物の絵本から果物の絵をつまみだす手ぶりをし、そのまま口をモグモグさせる時があり、その後、保育園や弟の誕生で、お気に入りのレパートリーも増えている。

 

 これはやがて「ごっこ遊び」やより難度の遊びにつながり、子どもにとって大事な「遊びの世界」が豊かになっていくだろう。

 

参照:「見立て遊び」のことについて、いろいろな方が述べている。

 その中で【st-medica】サイトの「子供の発達で大切な見立て遊びとは?見立て遊びでの発達分類や「象徴」「象徴機能」について言語聴覚士が解説!」の記事が参考になった。

 https://www.st-medica.com/2018/06/blog-post.html

 一部抜粋する。

《・「見立て遊びとは?」

幼児期の子どもたちの遊びのなかで多くみられるものに、「ままごと」や「電車ごっこ」などの「ごっこ遊び」がある。

そのなかでは、たとえば砂がご飯に、泥水がコーヒーに、縄が電車に、というように現実とは異なった物を用いて、いわばその「ふり」をして遊んでいるといえ、このような活動を「見立て」と呼ぶ。

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 ・「見立てる」ために必要な力

この「見立てる」という活動は、非常に高度な認知的能力を持っているからこそ可能になるもので、特にこの活動にとって必要な能力には、表象と象徴機能とがある。

 

・表象とは

表象とは、日の前にそのものがない場合でも、心のなかにそのものや事柄を思い浮かべる、イメージすることのできる能力のことだ。

たとえば、ままごとで茶碗に入った砂をご飯に見立てることができるようになるには、当然ながらご飯に関する知識がなくてはいけないが、それに加え、目の前にご飯がなくても、それを心のなかに思い浮かべることができなくてはならないのである。

 

・象徴機能とは

象徴機能とは、事物や事象を、記号などの別のものによって認識する働きのことを指す。

砂をご飯に見立てている場合、子どもは砂を本来のものとは異なった、ご飯という別のもの(象徴的記号)としてとらえていると考えられる。

つまり子どもは「砂一ご飯」の関係を、「意味するもの一意味されるもの」として認識しているのだ。

このようなことができるということは、子どもが、日の前に存在する現実世界をそのまま認識するだけではなく、別のものに置き換えて、心のなかで操作する能力を持っていることを意味する。

 

・「見立てからわかる、子どもの持つ概念」

見立てるという活動は、表象によって心のなかにイメージしたものを、日の前にある別のものに置き換えるという象徴機能によって成立していると考えることができる。

また、子どもは見かけが似ているものを見立てるだけではない。たとえば、大きい積木を「お父さん」、小さい積木を「赤ちゃん」というふうに見立てていることがある。これは、子どものなかに「大きいもの=大人」「小さいもの=子ども」という概念があることを示すものだが、このように漠然としたイメージもまた、見立てには利用されているのである。

 

・「ものを見立てる子どもの心」

ものを見立てている子どもの心理状態は、どのようなものなのか。たとえば、ままごとで泥水をコーヒーに見立てている場合、おいしそうに飲むふりはしても、本当に飲んでしまうことはない。

それは、確かに遊びのなかでは「コーヒー」であっても、子どもは心のなかで、「本当は泥水だけれども、ここ(ままごと)のなかではコーヒーの『ふり』をしている」ということを認識していることを示している。

つまり、子どもなりに現実の世界と想像の世界とを区別しているのである。

また、時折大人に対して泥水のコーヒーを見せて喜ぶなど、見立てているものをアピールすることがあるが、これは、「泥水を、コーヒーに見立てているよ」という面白さについて、大人の承認を求めている行動と考えることができる。

子どもの「ごっこ遊び」は一見、本物が手に入らないのでとりあえず代わりのもので妥協しているような、いわゆる「子どもだましな世界」に見えるかもしれない。

しかし、子どもは高度な認知能力を働かせながら、見立てること自体を楽しんでいるのだ。

そのように考えると、子どもはわれわれが思うよりもずっと多くの能力を発揮しながら遊んでいるといえよう。

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