日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎「わがまま」な人から「協力」し合うようになるとは

◎孫の育ちから思う(8か月)②

 8か月過ぎの孫を見ていると、生後混沌とした状態から視力もはっきりしてきたのか、特に母親だけでなく、人の顔をまじまじと見つめるようになった。おそらくそれに伴って知力がつき、心のありようも少しずつ豊かになってきたような気がする。

 

 今は、自己の情動の赴くまま自己中心に生きているように思われる。周りの人たちに支えられかつ大いなる影響を受けていると思うが、こうした方がいいとかこうすべきとかの意識はあまり感じられない。まして、他を思いやる、わきまえる、迷惑をかけてはいけないなどとは全くおもわないようだ。

 

 このような言い方がふさわしいのかと思う面もあるが、どうも、人は“わがまま”(自己中心的に動き周り自分にとって心地よい感性を基準として)に生まれ育ってきているのではないだろうか。

 

 こうした方がいいとかこうすべきとかの私が身につけている道徳・倫理的な基準は、時代や社会の影響を受けた私が徐々につくり上げた見方であり、突き詰めると相対的なものだとも思う。

 

 赤ん坊が育つ過程で、自分勝手にふるまうのではなく、周囲や他を思いやるというような社会性を身につけることが、成長する、大人になるということだと思うが、もともと人は“わがまま”に生まれついているのではないかという思いもあり、その観点も心においておきたい。

 

 近来の人類史の研究から、華奢なホモ・サピエンスが現在につながっていったのは、他の生命種に比べて身体的な「弱さ」にこそあったと考えられている。弱いからこそ、安全な狩りを行うことができる道具を生み出し、仲間同士で力を合わせる「協力」を高めた。そうして人口を増やし、脳の機能が促され、言葉の発達による「コミュニケーション力」、「想像力」によってさらに他の生物種には見られないほど大規模な社会的協力が可能になった。

 

 人類史において「協力」が進化の一つの大きなキーワードになるのではないだろうか。

 それでは、“わがまま”に生まれついた人たちが「協力」し合うようになるとはどういうことなのか、面白い課題だと思う。

 

 孫の育ちや自分自身のいろいろな人との関わり方を考えてみて、「協力し合う」とは周りや他の人のことを思うというより、自分にとってより心地よい感性を基準にして行為する、自分にとってその方がよいと思うからではないか、と今の私は思っている。

 

 人にとって3歳ぐらいまでに培われる安心感・信頼感の重要性、子どもが仲間との遊びを通して育ちあう、いろいろな人との良質な関係で何かを一緒にすることが、その後の成長過程にもたらす大きさがよく言われるが、そこで身についた「他と関わり合う」ことの面白さ、「協力し合う」ことの心地よさが、道徳・倫理的な観念によって身についたというより、自分にとってより心地よい感性となっていったのではないだろうか。

 

 このことについては、最近の「赤ちゃん学」や「発達心理学」の知見、現代生物学の基盤をなす「進化生物学」の知見、ヒトを含めた霊長類の学際的基礎研究などの成果などに照らすこともしていきたいが、この項では、孫の育ちを見ていて、私が直感した見解を述べてみた。引き続き考察していきたいと思っている。

 

 もう一つ思うのは、道徳的な見解は教えられてわかるというよりも、育つ過程での良質の人間関係によって培われ、心の底にどっしりと身につかない限り、こころもとないものにすぎないのではないだろうか。

 

※「道徳」:ある社会で、人々がそれによって善悪・正邪を判断し、正しく行為するための規範の総体。法律と違い外的強制力としてではなく、個々人の内面的原理として働くものをいい、また宗教と異なって超越者との関係ではなく人間相互の関係を規定するもの。(大辞林第三版)

◎子育てがしやすい社会へ(孫の育ちから)

〇孫の育ちから思う(8か月)①

 8か月を過ぎた孫を見ていると、いろいろと思うことがあり面白い。

 ハイハイをするようになり、言葉にはならないが、呼びかけなのか喜びなのか大きな声を出しつつ、情緒豊かに動きも活発になってきた。意志・意欲もつよく出てきているのを感じる。

 

 娘が連れてくると、だいたい3~4時間ほど預かり、その間娘は居宅に戻る。少し前までは母親がいなくなると泣き出してしまうのだが、慣れてきたのかすぐに遊ぶようになる。

 ほとんど妻が対応していて、わたしは一応危なくならないように気をかけるが、気楽に見ていることが多い。

 

 私は「子放し」を標榜する特殊な共同体にいたので、1980年そこで末娘は生まれたが、安直にそれ担当の人に任せきりで、子育てには全くといっていいほど関わっていない。

 孫の育ちを見ていると、出産後の赤ん坊を育てていくのは、想像を絶するほどの手間暇がかかる。

 むろん「子育ては大変だけど楽しかった」という豊かな体験、味わいも全くしていない。だからこそその反面、喜びと幸せも伴うのだろうとも思う。

 

〈「この世に生きていることは結局、それだけで十分な奇跡なのだ。」マーヴィン・ピーク『ガラスの吹き工』(1950)〉との言葉があるが、何らかの機縁の重なりによって生まれてきた「ひとりの人」がある程度順調に育っていくこと自体が貴重なことと思う。

 

 昨秋出産した娘夫婦を見ていて、受けとめ手の主体は母親であるが、夫婦をはじめ家族的なつながりの中で、ともに支え合い、協力しながら、子育ては進んでいくのだなと思う。

 それとともに、特定の人たちにだけ負担をかけるのではなく、拡大家族的なつながり、さまざまな地域社会の支援が必要なのだろうと思う。

 

 

  育児について、主にお母さんや夫婦が子どもを見るのは、それはそれでいいが、昔はお婆ちゃんお爺ちゃん、叔父さん叔母さんとか近所の人たちの、ある意味で垣根がなく、様々な人たちがいる中で子どもが育った。でも今はどちらかというと核家族で、特に離婚などでシングルマザーとなって子どもを育てるのは大変だ。

 子育てや介護など家族で抱えがちになる傾向があり、特定の誰かに負担がかかるのは避けたい。やはり家族も包み込んで地域社会で見ていくという広がりが必要だと思う。 

 福祉現場でも何か問題が起こると報道関係で取り上げられますが、おざなりなところもあるるが、真摯に向かい合っているところ、人たちも各地にいる。家族だけでなんとかしようとしないで、地域社会の支援も大いに活用し、 どのような状況にあろうとも子育てがしやすい社会になるといいと思う。

◎鶴見俊輔「言葉のお守り的使用法」から

〇鶴見俊輔は自らも含めて立ち上げた雑誌『思想の科学』の活動目的は、「第一に敗戦の意味をよく考え、そこから今後も教えを受け取る」こととし、「大衆は何故、太平洋戦争へと突き進んでいったのか?」を問い始める。その理由の一つとして、「言葉による扇動である」と考え、最初の論文として、『思想の科学』1946年5月号(創刊号)に発表した論考「言葉のお守り的使用法について」を発表する。

 

 まず鶴見は、私たちが使う言葉を主張的な言葉と表現的な言葉とに大きく二つに分ける。

・主張的な言葉:実験や論理によって真偽を検証できるような内容を述べる場合。「1に1をたすと2なる」「平成は30年続いた」など真偽を検証できる主張。

・表現的な言葉:言葉を使う人のある状態の結果として述べられ、呼びかけられる相手になんらかの影響を及ぼすような役目を果たす場合。「あなたが好きだ・嫌いだ」「何かおいしいもの食べたいな」など感情や要望の表現。

 

 この二つの言葉の分類をもとにしながら、戦時中の「米英は鬼畜だ」の言葉のように、実質的には表現的(感情や要望の表現)であるのに、かたちだけは主張的(真偽を検証できる)かのように見えるケースがあり、このような言葉を「ニセ主張的命題」と呼んでいる。

「ニセ主張的命題」の言葉は、その意味内容がはっきりしないままに使われることが多いのだと、鶴見は注意を向ける。

 

「米英は鬼畜だ」の命題を例にとると、論理や実験では確かめることのできる主張ではなく米英をにくみきらう心理状態と、その心理状態をかもしだす社会動向を表現することにある。それは太平洋戦争の中で、多くの人々によって「1に1をたすと2なる」という主張的命題とおなじ性格のものとしてあつかわれていた。つまり「ニセ主張的命題」として自覚していなかった。

 

 戦時中は、「鬼畜米英」「八紘一宇(注:「道義的に天下を一つの家のようにする」の意)」「国体(注:「天皇を中心にした政体」の意)」などが「ニセ主張的命題」として使われ、政府はこの言葉を巧みに使って政策を正当化し、戦争の実相を伝えなかった。更に、「大量のキャッチフレーズが国民に向かって繰り出され、こうして戦争に対する「熱狂的献身」と米英に対する「熱狂的憎悪」とが醸し出され、異常な行動形態に国民を導くことになる。

 

 そして次のように述べる。

〈言葉のお守り的使用法とは言葉のニセ主張的使用法の一種類であり、意味がよくわからずに言葉を使う習慣の一種類である。言葉のお守り的使用法とは、人がその住んでいる社会の権力者によって正統と認められている価値体系を代表する言葉を、特に自分の社会的・政治的立場を守るために、自分の上にかぶせたり、自分のする仕事の上にかぶせたりすることをいう。このような言葉のつかいかたがさかんにおこなわれているということは、ある種の社会条件の成立を条件としている。もし大衆が言葉の意味を具体的にとらえる習慣をもつならば、だれか煽動する者があらわれて大衆の利益に反する行動の上になにかの正統的な価値を代表する言葉をかぶせるとしても、その言葉そのものにまどわされることはすくないであろう。言葉のお守り的使用法のさかんなことは、その社会における言葉のよみとり能力がひくいことと切りはなすことができない。--------

言葉がお守り的にもちいられる場合の例としては、政府の声明、政党の名前と綱領、国民歌謡などがある。軍隊、学校、公共団体で述べられる訓示やあいさつの中にはかならずこれらの言葉が入っている。社会的背景がかわると、お守り的につかわれる言葉もかわるもので、米国においては「キリスト教的」「精神的」「民主主義的」などが、しばしばお守り的にもちいられる。〉(『鶴見俊輔集―3 記号論集』p390‐391)

 

〈政治家が意見を具体化して説明することなしに、お守り言葉をほどよくちりばめた演説や作文で人にうったえようとし、民衆が内容を冷静に検討することなしに、お守り言葉のつかいかたのたくみさに順応してゆく習慣がつづくかぎり、何年かの後にまた戦時とおなじようにうやむやな政治が復活する可能性がのこっている。言葉のお守り的使用法を軸として日本の政治が再開されるならば、国民はまた、いつ、不本意なところに、しらずしらずのうちにつれこまれるかわからない。(同P399‐400)〉

 

 ものごとは、その時代特有の現象もあり、時代を超えて続くものもある。言葉のお守り的使用は後者の例で、情報社会ではなおさら盛んになると思う。政治家を世間とおきかえてみてもいいと思っている。

 

 私はある特殊な共同体(ヤマギシズム実顕地)に2001年まで25年余暮らしていた。その集団内でよく使っていた言葉、他ではあまり使わない独特の言葉を、説得的定義言葉として、あるいは「お守り言葉」のようなものとして使い、その言葉の一つひとつを吟味することなく、自らの感性に照らすことなく、安易な使いかたをしていた思いが残っている。

 

 私たちがテレビやインターネットや本や雑誌や広告などで語られる少なからずの言葉は、この「ニセ主張的命題」そのものだと考えられることも多い。

 鶴見は、お守り的に用いられる言葉の例として、「民主」「自由」「平和」「人権」などを挙げている。その言葉自体にさして問題があるわけではないが、平和を守るために戦争をするという具合に使われるとき、その文脈をよく確かめないとおかしなことになる。

 また「健康的」「科学的」なる言葉をかぶせ、将来にたいして希望的あるいは悲観的な感想を述べたり、商品の優れた点を宣伝したりする言葉を使っていることもよくある。

 

 先日のブログにスティーブンスン『倫理と言葉』の「説得的定義」に触れた。

〈説得的定義とは自分の態度を表す言葉を表明することで相手の態度を変化させようという言語行為である。説得的定義でしばしば使われるのは、「自由」「教養」「愛」 など、一般に定義は曖昧だが一定の肯定的あるいは否定的な評価が結びついているような語(二次的評価語)である。説得的定義においては「本当の」「真の」という語がもちいられることがよく見うけられる。〉

 

 それはそのまま、「言葉のお守り的使用法」と置き換えられると考える。

  私たちの「世界」は、言葉によってつくられるものでもある。「言葉のお守り的使用」が至るところにあるのではないでしょうか。

 

 では、このような言葉に惑わされないようにするにはどうすればよいか。「言葉をほんとうに具体的に人々の幸福とてらしあわせてとらえる」訓練を重ねることしかないと鶴見は言う。

 どんなに立派そうに見える言葉でも、自分が身に付けた、使い慣れた言葉でおきかえて理解して見ようとする。「お守り言葉」に惑わされないためには自分の経験に基づいた実感ある言葉を鍛え上げることしかないだろう。

 

◎手づくりの定義へ(『定義集(ちくま哲学の森 別巻)』から)

 〇手づくりの定義へ

 日ごろ思うこと感じることを、話したり書いたりしている。その当たり前と思っている見解について、振り返り調べて見直ししていくことも大切にしたい。

 

『定義集(ちくま哲学の森 別巻)』(鶴見俊輔・安野光雅・森毅・井上ひさし・池内紀編、筑摩書房、1990)は編者たちの選んだ言葉が縦横無尽に集められている。

 この著などから、自分にとって参考になる言葉に触れながら、学びほぐしていく。

 

「定義」とは概念の内容を限定すること。「このことはこうだ」と物事の内容や言葉の意味を明確に決めること、ぐらいで考えている。

 

 本書の解説、鶴見俊輔「手づくりの定義へのすすめ」は次の言葉から始まる。

・〈私は、自分なりの定義をもっている。人はそれぞれ、その人なりの定義をもっている。

 私の思想の根もとにあるのは、痛みによる定義だ。-----痛みによって定義する。たのしみによって定義することもあろう。そういう、自分のからだの記憶としてもっている定義の束が大切だ。(中略)

「これは善い」という時の「善い」の定義には、「私はこれが好きだ」+「あなたもこれを好きになってください」という二つの判断の組みあわせがこもっており、そこには説得への努力がふくまれているとC・L・スティーブンスン『倫理と言葉』に書いた。「説得的定義」とスティーブンスンの呼ぶものは、数学や自然科学にも少量ふくまれており、社会科学や歴史学においてはさらに大量、そして日常生活で使われる言語では野ばなしで使われている。政治や広告では、説得的定義の本領が発揮される。

 科学や技術の名の下に、どれほど説得的定義が、その性格を見わけられることなしに使われてきたが、ある年月の間隔をへてわかってくることもある。〉

 

「善い・悪い」「正しい・間違っている」など、言外も含むとしばしば思っている言葉だ。

 数学や自然科学などの場合はともかく、多くの場合、「私はこれが好きだ」から生じ、嵩じると「あなたもそう思うのが当然」となり、強く感じると、子細に検討するどころか受け付けなくなることがある。

 

 また科学・科学的の名の下に、説得的定義で論を進めている話や文章にも出会う

 科学のルールとして「相関関係は因果関係を含意しない」がある。因果関係を明確に示すデータや再現性がないと「科学的に立証された事実」とは認められない。

 ところが、科学とくに実験科学が証明できることは、「相関関係」だけ。そこから「私たちの心(脳)」が解釈しているだけで、基本的に「因果関係」は証明できない。

 では、科学的でないと信じないー信じる心とはいったい何か。自分が科学的と信じて、よって立つ基盤のなかでの「科学的」としかいえない。

 ※池谷裕二『進化しすぎた脳』『単純な脳、複雑な「私」』を参照。

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 解説は日常生活のことについて話は続く。

・〈私がここにいて、生きてゆくためには、世界のことを見つくしてから定義をたてるわけにはゆかない。人生について、身のまわりのモノについて、自分の出会う人びとについて、いくつかの定義をおく。そういう場合、定義は、私の偏見をせおうことになる。「偏見はたのしい、しかし無知はたのしくない」と竹内好は日記『転形期』に書いた。その前半は、偏見のいきおいにのってすすめる生への肯定であり、その後半は、偏見のかげにかくれてまわりをよく見ないかたくなさへのいましめである。〉(同上)

 

 どのような思い方も、自分はそう思う、その人にはそう見えている「偏見」、偏った考えであると思う。だからといって発言を控えるということではなく、発揮するのは生への肯定につながる。

 わたしは鶴見俊輔の独自の視点からの文章を楽しみにしていて、共感することも多い。

 そして、無理をすることはないが、自分の見解とは異なる人の偏見について、その意見を聞こうとしないかたくなさはなくしていきたいと思う。

  

 解説は次の言葉で終わる

・〈哲学は、自分自身が生きる場から工夫されるものだから、ここにおかれたさまざまの定義は参考品であり、手づくりの定義への呼びかけである。

おさないこどもが、友だちをバカと呼んで母親にいましめられているのに出会ったことが何度もある。「バカという人がバカなのよ」

 馬鹿という人は馬鹿である、この定義を私も、自分の前においてくらしたい。〉(同上)

 

 その定義は、そのように言っている、非難している人自身が、同族である場合があるということなのだろう。

 

 ちなみに本書の「定義」の項の中でいくつか挙げてみる。

・〈定義すること、それは観念という茫漠たる土地を言葉の壁で囲うことである。(S・バトラー「手帖」)〉

・〈何事も定義づけぬこと、これは懐疑家の守るべき義務のひとつである。だが私たちは、どんな些細なものであれ、たまたま定義をみつけだすとたちまち尊大な態度を示すが、これ以外にどんな態度をとることができようか。定義づけることは最も根深い偏執のひとつであり、それは最初の言葉とともに生まれたに違いない。(シオラン「四つ裂きの刑」)〉

・〈われわれはたいての場合、見てから定義しないで、定義してから見る。外界の、大きくて、盛んで、騒がしい混沌状態の中から、すでにわれわれの文化がわれわれのために定義してくれているものを拾い上げる。そしてこうして拾い上げたものを、われわれの文化によってステレオタイプ化されたかたちのままで知覚しがちである。(W・リップマン「世論」)〉

 

参照:〈説得的定義(せっとくてきていぎ、persuasive definition)とは、メタ倫理学者のチャールズ・スティーブンソンが提唱した概念で、ある対象を記述する際に、なんらかの議論や見解を支持し相手を説得するために、特定の感情を呼び覚ますような語を目的にそって定義することをいう。

 スティーブンソンによれば、倫理的判断というものはすべて自分の態度を表明することで相手の態度を変化させようという言語行為であり、説得的定義はその手段の一つである(情動主義も参照)。道徳的な議論において用いられる言葉の多くには、記述的意味と情動的意味という二つの意味がある。説得的定義は、情緒的意味(肯定・賞賛や否定・非難など)はそのままで、記述的意味を定義することによって相手を説得しようとする場合におこなわれる。

 説得的定義でしばしば使われるのは、「自由」「教養」「愛」 など、一般に定義は曖昧だが一定の肯定的あるいは否定的な評価が結びついているような語(二次的評価語)である。説得的定義においては「本当の」「真の」という語がもちいられることがよく見うけられる。

(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)〉

 

 

◎色の背後に一すじの道が通っている(志村ふくみ、大岡信の言葉から)

〇色の背後に一すじの道が通っている
 桜についての印象的な話に、染織家志村ふくみさんの話がある。
きれいな淡い、匂い立つような桜色を染め出すために、桜の花びらや蕾ではなくて、花の咲く前の黒くゴツゴツした樹皮や枝を使うのだという話。

 

・「花びらから美しい桜色を染めるのではなく、あのゴツゴツした皮や枝からだということも、大岡(信)さんには意外だったようだ。花はすでに咲いてしまったのだから、そこからは色は出ないのである。木全体の一刻も休むことのない活動の精髄が、桜の花びらの色となるのだから、言葉の世界のできごとと同じではないか。」(『色を奏でる』「花の匂い」ちくま文庫、1986より)

 

 春に咲くサクラの花芽は、前年の夏に形成される。その後、生成されることなく「休眠」という状態になる。休眠した花芽は秋から冬にかけて一定期間、低温にさらされることで、眠りからさめ開花の準備を始める。これを「休眠打破」という。そして春をむかえ、気温が上昇するにともなって、花芽は成長「生成」する。気温が高くなるスピードにあわせて、花芽の生成も加速する。生成のピークをむかえると「開花」することになる。

 このように、サクラの花芽の「休眠」・「休眠打破」・「生成」・「開花」は、秋から冬にかけての気温と春先の気温に、大きく関係している。冬のない常夏の国では、日本のサクラのように美しく咲かない。サクラは、四季のある日本の国で特化した植物だともいわれている。

 

・「植物にはすべて周期があって、機を逸すれば色は出ないのです。たとえ色は出ても、精ではないのです。花と共に精気は飛び去ってしまい、あざやかな真紅や紫、黄金色の花も、花そのものでは染まりません。 友人が桜の花の花弁ばかりを集めて染めてみたそうですが、それは灰色がかったうす緑だったそうです。幹で染めた色が桜色で、花弁で染めた色がうす緑ということは、自然の周期をあらかじめ伝える暗示にとんだ色のように思われます。」
(『一色一生』、講談社文藝文庫、2003より)

 

 桜に限らず植物は、光、土、気温、風土、生態系などなど、様々な影響を受けながら、そのものが本来持っている持ち味で育っていく。また、人為的なものを加えられた植物は、長い歳月の間に、人為的な掌も添えられながら、自然の懐に育まれて、環境・生態系に適応するように育て上げられてきた。

 

・「色はただの色ではなく、木の精なのです。色の背後に、一すじの道がかよっていて、そこから何かが匂い立ってくるのです。私は今まで、二十数年あまり、さまざまの植物の花、実、葉、幹、根を染めてきました。ある時、私は、それらの植物から染まる色は、単なる色ではなく、色の背後にある植物の生命が色をとおして映し出されているのではないかと思うようになりました。それは植物自身が身を以て語っているものでした。こちら側にそれを受け止めて活かす素地がなければ、色は命を失うのです。」(同上)

 

 花の開花はその一端を見せているだけで、時空の恵を束ねたいのちの精髄で花を咲かせ、幹をふくめた全身でその花びらの色を生み出している。

 私たちは表面に現れた現象によって判断しがちであるが、ほとんどのものごとは、その背後の様々な要因が絡み合って成り立っている。今自分が見えていることが、実のところどのような要因から生じているだろうかと意識化していくことで、その見え方、感じ方の深みが増してきたり、全く違った見え方になったりするのだろう。

 

〇大岡信は志村ふくみさんとの話から言葉の世界にも共通するのではないかと『ことばの力』で次のように語っている。


〈人はよく美しい言葉、正しい言葉について語る。しかし、私たちが用いる言葉のどれをとってみても、単独にそれだけで美しいと決まっている言葉、正しいと決まっている言葉はない。ある人があるとき発した言葉がどんなに美しかったとしても、別の人がそれを用いたとき同じように美しいとは限らない。それは、言葉というものの本質が、口先だけのもの、語彙だけのものではなくて、それを発している人間全体の世界をいやおうなしに背負ってしまうところにあるからである。人間全体が、ささやかな言葉の一つ一つに反映してしまうからである。

 京都の嵯峨に住む染織家志村ふくみさんの仕事場で話していたおり、志村さんがなんとも美しい桜色に染まった糸で織った着物を見せてくれた。そのピンクは淡いようでいて、しかも燃えるような強さを内に秘め、はなやかで、しかも深く落ち着いている色だった。

「この色は何から取り出したんですか」
「桜からです」

 と志村さんは答えた。素人の気安さで、私はすぐに桜の花びらを煮詰めて色を取り出したものだろうと思った。実際はこれは桜の皮から取り出した色なのだった。あの黒っぽいごつごつした桜の皮からこの美しいピンクの色が取れるのだという。志村さんは続いてこう教えてくれた。この桜色は一年中どの季節でもとれるわけではない。桜の花が咲く直前のころ、山の桜の皮をもらってきて染めると、こんな上気したような、えもいわれぬ色が取り出せるのだ、と。

 私はその話を聞いて、体が一瞬ゆらぐような不思議な感じにおそわれた。春先、間もなく花となって咲き出でようとしている桜の木が、花びらだけでなく、木全体で懸命になって最上のピンクの色になろうとしている姿が、私の脳裡にゆらめいたからである。花びらのピンクは幹のピンクであり、樹皮のピンクであり、樹液のピンクであった。桜は全身で春のピンクに色づいていて、花びらはいわばそれらのピンクが、ほんの先端だけ姿を出したものにすぎなかった。

 考えてみればこれはまさにそのとおりで、木全体の一刻も休むことのない活動の精髄が、春という時節に桜の花びらという一つの現象になるにすぎないのだった。しかしわれわれの限られた視野の中では、桜の花びらに現れ出たピンクしか見えない。たまたま志村さんのような人がそれを樹木全身の色として見せてくれると、はっと驚く。

 このように見てくれば、これは言葉の世界での出来事と同じことではないかという気がする。言葉の一語一語は桜の花びら一枚一枚だといっていい。一見したところぜんぜん別の色をしているが、しかし、本当は全身でその花びらの色を生み出している大きな幹、それを、その一語一語の花びらが背後に背負っているのである。そういうことを念頭におきながら、言葉というものを考える必要があるのではなかろうか。そういう態度をもって言葉の中で生きていこうとするとき、一語一語のささやかな言葉の、ささやかさそのものの大きな意味が実感されてくるのではなかろうか。美しい言葉、正しい言葉というものも、そのときはじめて私たちの身近なものになるだろう。〉
(大岡信『ことばの力』花神社、1978より引用)

◎「昭和」「平成」から「令和」へ

〇新年号が「令和」となり、5月から実施されることになる。

『万葉集』巻五、梅花の歌三十二首の序文「時、初春の令月(れいげつ)にして、氣淑(よ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かをら)す」が典拠だそうだ。

「令」と「和」の文字が入った一文は、(「初春のよき月で、空気は清く澄みわたり、風はやわらかくそよいでいる」)という意味になるのか。

 広辞苑によると、令月:万事をなすのによい月。令:おきて、よいこと。「和」:おだやかなこと、仲良くすること。などがでている。

 新年号について、ああそうなのかと思うが、時の政府によっての政治的作為には違和感を覚える。いずれにしても、それをとらえる一人ひとりの感度は違うだろうが、その言葉の実質は、その時代を生きた一人ひとりの総和よってつくられていくと思う。

 また、「昭和」「平成」の時代を受けての「令和」という視点も入れて考えたいとも思う。

 

 戦後(1947年)生まれのわたしにとって、大雑把なとらえ方をすると、「昭和」は戦争・敗戦が色濃く反映した時代と思う。戦争に対する拒否反応が強く、そのことが昭和の戦後・平成を通しての平和をもたらすことになる。また、それにより戦後、水俣などの公害をおこしながら、高度成長経済が推進されることになる。「平成」に入りバブル経済とその瓦解がおこり、それでも成長路線を続け、随所に綻びが出始めている。

 平成に入り淡路阪神大震災、東日本大震災・原発事故などが起こり、また、少子高齢化はすすみ、それを支える医療、福祉体制などが追いつかない現状である。

 一方、科学技術の発展により、電子技術、AIや遺伝子操作などが、人の関係、人のこころ、倫理などにどのように影響を及ぼすのか予測がつかない。

  

 一人ひとりそれぞれの経験があり、記憶や思い出がある。その過去の経験・記憶・思い出を今に蘇らせ、それが自分の人生にとって何であったのかを見つめなおし、残された人生に活かす。こうして、過去は現在の中で未来と重なることができる。

 

 70歳を超えたわたしは、そのことを心に置きなが、「令和」時代を暮らし、ささやかでも次代につながるように生きていきたいと願っている。

 

 参照(1):「令和典拠の万葉集序文、『中国の文章ふまえた』が定説」(朝日新聞デジタル4/2より)

 万葉集に関する著書が多い歌人の佐佐木幸綱さんは「万葉集は明治から昭和前期まで『国民歌集』で、日本人の心の原点として読まれた。戦後、そうした読み方が色あせ、現在は大学の卒論などでも人気はそれほどではない」と解説。そのうえで「山や川、海の描写の細密さ、多彩さなど、現代人が忘れ去った自然への興味と好奇心がうたわれている。この機会に万葉集の新しい魅力が発掘されるのでは」と期待する。

 ただ、「令和」の二文字がとられた序文は中国の有名な文章をふまえて書かれたというのが、研究者の間では定説になっている。

 小島毅・東大教授(中国思想史)によると、730(天平2)年正月に今の福岡県にあった大宰府長官(大宰帥)を務める大伴旅人(おおとものたびと)の邸宅で宴会があった。そこで「落ちる梅」をテーマに詠まれた32の歌の序文にある「初春の令月」「風和(やわら)〈ぐ〉」が新元号の典拠だ。この序文が中国・東晋の政治家・書家である王羲之(おうぎし)の「蘭亭序(らんていじょ)」を下敷きにしているとし、心地よい風が吹き、穏やかでなごやかな気分になることを意味する「恵風和暢(けいふうわちょう)」という一節と重なるという。

 さらに「梅は中国の国花の一つで中国原産ともされ、日本に伝わった。『中国の古典ではなく日本の古典から』ということにこだわった今回の元号選びは、ふたを開けてみれば、日本の伝統が中国文化によって作られたことを実証したといえる」とも指摘する。万葉集研究者の多田一臣・東大名誉教授も「蘭亭序」が下敷きだとして「日本の漢文的な作品は、どう取っても中国の作品に行き着く」と話す。

 

参照(2):内田樹の研究室「新元号について」(2019/4/2)

〈新元号についていくつかのメディアから取材があって、コメントを述べた。

どれも短いもので、意を尽くせなかったので、ここにロングヴァージョンを採録する。

ロシア国営通信社『ロシア・セヴォードニャ・スプートニク』の日本語版に寄稿したものである。

 紙面では短縮されているかもしれないが、これがオリジナル。

 最初に、元号に対する私の基本的な立場を明らかにしておく。元号を廃し、西暦に統一すべきだという論をなす人がいるけれど、私はそれには与さない。それぞれの社会集団が固有の度量衡に基づいて時間を考量する習慣を持つことは人性の自然だと思うからである。

 西暦は発生的にはイエス・キリストの誕生によって世界は一変したという信仰をもつ人々が採用した「ローカルな紀年法」に過ぎない。たしかに利用者が多く、国際共通性は高いけれども、多数であることは、それ以外の紀年法を廃して、西暦を世界標準にすべきだという十分な論拠にはならない。イスラム信者はヒジュラ暦を、タイの仏教徒は仏暦を、ユダヤ人はユダヤ暦をそれぞれ用いているが、彼らに「固有の紀年法を廃して、キリスト紀元に統一せよ」と命じることは少なくとも私にはできない。

 文化的多様性を重んじる立場から、私自身は日本が固有の時間の度量衡を持っていることを端的に「よいこと」だと思っている。元号は645年の「大化」から始まって、2019年の「令和」まで連綿と続く伝統的な紀年法であり、明治からの一世一元制も発祥は明の洪武帝に遡るやはり歴史のある制度である。ひさしく受け継がれてきた文化的伝統は当代のものが目先の利便性を理由に廃すべきではない。

 その上で新元号についての所見を述べる。

 新元号が発表された直後からネット上では中国文学者たちから万葉集の「初春の令月、気淑しく風和らぐ」の出典が中国の古詩(後漢の張衡の『帰田賦』にある「仲春令月、時和気清」)だという指摘がなされた。岩波書店の『新日本古典文学大系・萬葉集』の当該箇所にも典拠として張衡の詩のことが明記してある。「史上はじめての国風元号」を大々的に打ち上げた割に、「空振り」だったわけである。

 2016年に天皇陛下が退位を表明されたが、それは改元という大仕事に全国民が早めに対応できるようにという配慮も含まれていたはずである。しかし、官邸は政権のコアな支持層である日本会議などの国粋主義勢力に対する配慮から、元号発表をここまで引き延ばしてきた。「国風」へのこだわりもこの支持層へのアピールに他ならない。そういうイデオロギー的な配慮が先行して、元号制定そのものへの中立的で冷静な学術的検討がなおざりにされた結果の「空振り」とすれば、これは看過することができない。

 元号の発表を統一地方選の最中に発表をぶつけてきたことにも政治的作為を感じずにはいられない。選挙期間に、朝から晩まで特定政党の総裁と幹部がメディアに露出し続けるイベントを設定するというのは政治的公平性を考慮したらほんらい自粛すべきことであろう。良識ある政治家なら、改元がもたらす政治的影響が最も少ない時期を選んで発表を行ったはずである。だが、安倍政権はその逆のことをした。「李下に冠を正さず」どころか、狙いすまして「李の下」で冠をいじくりまわしたようなものである。著しく配慮を欠いた日程設定だったと思う。

 元号は、天皇制に深くかかわる国民文化的な装置であり、すべての国民が心静かに受け入れられるように最大限の注意をもって扱うべき事案である。安易に党派的な利害に絡めたり、経済波及効果を論じたりするのは、文化的伝統に対して礼を失したふるまいと言わざるを得ない。

 残念ながら、どれほど文化的多様性を称揚しようと、グローバル化する世界で国際共通性をもたない紀年法は遠からず事実上廃用されることになるだろう。この流れを止めることは難しい。わが国の一つの文化的伝統がやがて消えてゆくことを惜しむがゆえに、今回の「改元騒ぎ」がいくたりかの人々の「元号離れ」を加速したことを私は悲しむのである。

※内田樹の研究室「平成が終わる」(2018-03-07)より

〈平成という時代が2019年4月で終わることが決まった。元号が変わることについてある媒体から「元号はこれからも必要なんでしょうか?」と訊かれた。元号を廃して、西暦に統一すればいいと主張している人がいることは私も知っている。でも、それはいささか短見ではないかと思う。別に日本の固有の伝統を守れとか、そういう肩肘張った話ではなく、時間を時々区切ってみせることは、私たちが思っている以上に大切なことのように思えるからである。〉との書き出しから始まる文も併せて読むと面白い。

◎遠回りすることが一番近道(イチロー選手引退に思うこと)

〇イチロー選手の魅力は、その実績以上に、常に理想を追求し、努力を積み上げていく“生き様”、最後まで挑戦を続ける求道者としての姿だ。

「過去も未来も、いまここにしかない」と現在自分のやれることを精一杯生ききり、その積み重ねが明日につながるとのスタンスに魅力を覚える。その一区切りとして、プロの現役野球選手としては引退することを決めたということだろう。これからどのような人生を歩むのか、楽しみにしている

 イチロー選手のその都度の話しの内容に面白味を感じて、自分にも引き付けて考えてきた。その中から身近な語録をあげてみる。

 

・〈失敗をしないでたどり着いた人と全くミスなしで間違いなしでそこにたどり着いたとしても、まあつけないですけど。 そこにたどり着いたとしても深みは出ないですよ.

単純に野球選手としての作品がいいものになる可能性は、可能性ですよ。僕は無いと思います。

 やっぱり遠回りってすごく大事。僕の中で、無駄なことって結局無駄じゃない。でも今やっていることが無駄だって思ってやっているわけでは無いですよ。無駄に僕は飛びついているワケでは無いですよ。 後から思うとすごい無駄だったってことはすごく大事なコト。 合理的な考え方ってすごく嫌い。遠回りすることが1番近道だと信じてやっています。〉

(イチロー選手×稲葉篤紀さんの対談から)

 

 失敗や無駄だと分かったとき、そこから学びほぐして、まちがいからエネルギーを得て次に生かしていく。それがどのような今につながっていくのかを見ていきたい。自分のことも他者のことも。

 また、自分の過去の経験・記憶などを振り返り、それが自分の人生にとって何であったのかを見つめなおし、それを分析して、あれはどういうことだったのだろうと、今に活かすのは大事なことだと思っている。

「やっぱり遠回りってすごく大事。」「合理的な考え方ってすごく嫌い。遠回りすることが1番近道だと信じてやっています。」などの言葉も面白いと思っている。

 

 ネットで検索するとイチロー選手の名言が記録されている。自己のノートからいくつか挙げてみる。

 

・〈(身体作りに関して)持って生まれたバランスを崩しちゃダメ。人体を理解することが一番。本来のバランスを崩しちゃダメ。頭でっかちになる傾向はありますよね〜

「感じる」ことと「考える」ことは同時にできないから、頭を使えば使うほど、「感じる」ことから遠のいてしまうのです。目に見える部分しか言えない人が多い。

自分の持って生まれたバランスを崩してはダメ、トラとかライオンはウエイトトレーニングしない、人間知恵があるからいろんなコトやっちゃうんです。本来のバランスを保ってないと。〉

 

・〈バットの木は、自然が何十年も掛けて育てています。僕のバットは、この自然の木から手作りで作られています。グローブも手作りの製品です。一度バットを投げた時、非常に嫌な気持ちになりました。自然を大切にし、作ってくれた人の気持ちを考えて、僕はバットを投げることも、地面に叩きつけることもしません。プロとして道具を大事に扱うのは当然のことです。〉

  

・〈「苦悩というものは、前進したいって思いがあって、それを乗り越えられる可能性のある人にしか、訪れない。だから苦悩とは飛躍なんです」

・「やってみて「ダメだ」とわかったことと、はじめから「ダメだ」と言われたことは、違います。」

・「大切なのは、自分の持っているものを活かすこと。そう考えられるようになると、可能性が広がっていく。」

・「僕はいつも一生懸命プレーしていますが、今日はよい結果が出なかった。でも、だからといって後悔もしていないし、恥ずかしいとも思っていません。なぜなら、できる限りの努力をしたからです」

・「自分のできることをとことんやってきたという意識があるかないか。それを実践してきた自分がいること、継続できたこと、そこに誇りを持つべき」〉

 

(引退会見から印象に残ったことば)

・〈「アメリカに来て、メジャーリーグに来て、外国人になったこと、アメリカでは僕は外国人ですから。このことは、外国人になったことで人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れたんですよね。この体験というのは、本を読んだり、情報を取ることができたとしても、体験しないと自分の中からは生まれないので。」

・「本来は野球というのは……、ダメだな、これを言うと問題になりそうだな。うーん、頭を使わないとできない競技なんですよ、本来は。でもそうじゃなくなってきているというのがどうも気持ち悪くて。ベースボール、野球の発祥はアメリカですから、その野球が現状そうなってきていることに危機感を持っている人がけっこういると思うんですよね。

 だから、日本の野球がアメリカの野球に追従する必要なんてまったくなくて、日本の野球は頭を使う面白い野球であってほしいなと思います。アメリカのこの流れは止まらないので。せめて日本の野球は決して変わってはいけないこと、大切にしなければいけないことを大切にしてほしいなと思います」〉

◎日々彦「詩句ノート」、『石原吉郎句集』と短歌集『北鎌倉』

〇『石原吉郎句集』と短歌集『北鎌倉』

 石原吉郎(1915-1977)は、1945年ソビエト軍に抑留、25年の「重労働刑」を宣告されシベリアの強制収容所で服役。1953年スターリン死去に伴う「特赦」により帰還、その後、本格的に詩を書き始め、その分野で注目されるようになり、1970年前後・55歳頃になって、シベリア体験から得た思想を書き継いで『望郷と海』などのエッセイ集を刊行する。 

  • 『石原吉郎句集』

 『石原吉郎句集――附句評論6』は、1974年2月に深夜叢書社から発行されており、「俳句155句」「自句自解」「他人の俳句から」「定型についての覚書」「賭けと poesie」「俳句と〈ものがたり〉について」「あとがき」によって構成されている。

 

・その少女坐れば髪が胡桃の香

・リスボンはいかなる町ぞ霧の燭

・無花果や使徒が旅立つひとりづつ

・懐手蹼(ミズカキ) そこにあるごとく

・懐手蹼(ミズカキ)ありといつてみよ(改作) ※

 

・縊死者へ撓む子午線 南風(ハエ)のair pocket

・百一人目の加入者受取る拳銃(コルト)と夏

・林檎の切口かがやき彼はかならず死ぬ

・緯度ひとしき政変ヨットかたむき去る

・独立記念日火夫より不意に火が匂ふ

 

・「犬ワハダシダ」もはや嘘をつくまでもない

・柿の木の下へ正午を射ちおとす

・夕焼けの壁画を食らふ馬ばかり

・告発や口笛霧へ射ちこまる

・薔薇売る自由血を売る自由肩の肉(シシ)

 

・ジャムのごと背に夕焼けをなすらるる

・夕焼けが棲む髭夜が来て棲む髭

・立冬や徹底的に塔立たず

・ハーモニカ二十六穴雁帰る

・けさ開く芥子あり確(シカ)と見て通る

 

・無花果や使徒が旅立つひとりづつ

・いちご食ふ天使も耳を食ふ悪魔も

・われおもふゆゑ十字架と葱坊主

・打ちあげて華麗なるものの降(クダ)りつぐ

・死者ねむる眠らば繚乱たる真下

・墓碑ひとつひとつの影もあざむかず

 

  • 短歌集『北鎌倉』

 短歌集『北鎌倉13』は、1978年に花神社から発行された。石原の死の直前に編集され校定されたが、死後〝石原吉郎遺稿歌集〟として出版された。全体は、「病中詠」「鍔鳴り」「 飲食」「切出し」「創傷」「塩」「北鎌倉」「発念抄」「すべては遠し」「生き霊」の部立てのもとに全部で99首が集録されている。

 

・今生の水面を垂りて相逢はず藤は他界を逆向きて立つ

・蹼の膜を啖(くら)ひてたじろがぬまなこの奥の狂気しも見よ

・「我れ渇く」無花果の成るもと飢ゑたりし〈彼〉

・男の子しもロトのごとくにふり向きて塩の柱となることありや

・「この病ひ死には到らず」発念の道なす途の道の 行く果て

・鎌倉は鎌倉ならじ鎌倉の北の剛毅のいたみともせむ

・飢ゑしも餓死には到る過程ならず われらはときに飢ゑにより樹つ

・北鎌倉橋ある川に橋ありて橋あれば橋 橋 なくば川

・塩のごと思想を口に含みてしをとこはいづれ 去りて還らず

・夕暮れの暮れの絶え間をひとしきり 夕べは朝を耐えかねてみよ

 

※参照:柴崎 聰「石原吉郎の俳句と短歌 」(日本大学大学院総合社会情報研究科紀要 No.8,)

 

〇2019年四季折々(3月18日~24日)

(18日)・統計的、計量的発想から離れて

 最近あることから計量的発想について考えている。 私(たち)のものの見方に、統計的、計量的な発想から現象を一般化して分析したり判断しがちになる傾向がある。様々なものごとを見ていくとき、その一つひとつ、一人ひとりの多様な思い方、暮らしに向き合わずに、無機質な統計数字、計量的数字で見てしまいがちになることが多い。

 震災の規模、事件における死者、被害者の数、集団構成員の数、会社利益や収入の多寡、視聴率や人気投票等々、それによって一喜一憂、大小、軽重、ニュースの取りあげ方が左右される。 

 数字は内面化の困難な記号にすぎないものであり、一人ひとりの思いが員数に集約され数値化される数によってある方向性へと決まっていくことに抵抗感がある。統計数字はどこまでもある傾向であり、一つの目安となる場合もあるが、その意味するところの実態とはかなりずれたものであるとの認識が必要ではないだろうか。

(今日の一句)・社会とは個々のあつまり春の星

 

(19日)・墓碑ひとつひとつの影もあざむかず(石原吉郎)

 石原吉郎『望郷の海』は「確認されない死のなかでー強制収容所における一人の死」とのエッセイから始まる。 〈ジェノサイド(大量殺戮)という言葉は、私にはついに理解できない言葉である。ただ、この言葉のおそろしさだけは実感できる。ジェノサイドのおそろしさは、一時に大量の人間が殺戮されることにあるのではない。そのなかに、ひとりひとりの死がないということが、私にはおそろしいのだ。人間が被害においてついに自立できず、ただ集団であるにすぎないときは、その死においても自立することなく、集団のままであるだろう。死においてただ数であるとき、それは絶望そのものである。人は死において、ひとりひとりその名を呼ばれなければならないものなのだ。〉

「生においても、死においても、ついに単独であること。それが一切の発想の基点である。」

 そのような一人ひとりによって社会、共同体、集団など形態はどうであれ成り立っているのであり、その観点を心において、個々の私的体験とその背景をみていきたいと思っている。

(今日の一句)・陽炎や一人ひとりにつきまとふ

 

(20日)・桑田佳祐、大衆音楽史を語る

『桑田佳祐 大衆音楽史「ひとり紅白歌合戦」〜昭和・平成、そして新たな時代へ〜』をみる。番組は、桑田が「ひとり紅白」の活動を通じて再発見した歌謡曲の魅力や先達たちへの思い、そしてその系譜に連なる「サザンオールスターズ」の知られざるエピソード、さらに桑田自身の新時代に向けた抱負までをも語ったスペシャルインタビューを収録。このインタビューを軸に、「ひとり紅白歌合戦」のえりすぐりの映像とともに、その世界をたっぷりお届けする内容。

 聞いていていいなと思っていた歌を、実際に歌ってみて、その世界がより迫ってくる醍醐味がたまらないというような発言が印象に残った。

(今日の一句)・心から歌いたくなる春野かな

 

(21日)・NHK『人間ってナンだ?超AI入門』第11回「老いる」をみる。

 誰しも避けられない老い。介護の現場には言葉にならない訴えを表情や動作から読み取るケアの達人がいるがその技術の伝承は難しい。その時AIはどんな助けをしてくれるのか? AIが支える人の老い、その未来は? 身体性を失い動物という存在から遊離していくかに見える人間はどう老いと向き合う? などを考える内容。

 適切に対応するようにプログラムを組むAIに対し、間違ったり戸惑ったりしながら熟達していくのが人間であり、むしろそこに面白さがあるのではないかななどと思った。

(今日の一句)・失敗は成功のもと山笑う

 

(22日)・イチロー選手引退に思うこと

 一昨年から身近な人の死去の連絡が続き、自分自身のことを考えても、今を精一杯生きることの連続だなと思っている。精一杯の中身が肝心であるが。

 イチロー選手に思うことは、「過去も未来も、いまここにしかない」と現在自分のやれることを精一杯生き切り、その積み重ねが明日につながるとのスタンスに魅力を覚える。その区切りとして、プロの現役野球選手としては引退することを決めたということだろう。これからどのような人生を歩むのか、楽しみにしている。

(今日の一句)・春の川過去も未来も今ここに

 

(23日)・「後から思うとすごい無駄だったってことはすごく大事なコト」(イチロー)

 イチロー選手のその都度の話しの内容に関心があり、自分にも引き付けて考えてきた。この機会に再度読み返しした。その中の次の言葉に印象が残った。

〈失敗をしないでたどり着いた人と全くミスなしで間違いなしでそこにたどり着いたとしても、まあつけないですけど。 そこにたどり着いたとしても深みは出ないですよ.

単純に野球選手としての作品がいいものになる可能性は、可能性ですよ。僕は無いと思います。

 やっぱり遠回りってすごく大事。僕の中で、無駄なことって結局無駄じゃない。でも今やっていることが無駄だって思ってやっているわけでは無いですよ。無駄に僕は飛びついているワケでは無いですよ。 後から思うとすごい無駄だったってことはすごく大事なコト。 合理的な考え方ってすごく嫌い。遠回りすることが1番近道だと信じてやっています。〉

 失敗や無駄だと分かったとき、そこから学びほぐして、まちがいからエネルギーを得て次に生かしていく。それがどのような今につながっていくのかを見ていきたい。自分のことも他者のことも。

(今日の一句)・春の泥遠回りする嬉しさよ

 

(24日)・息子が個人事業を立ち上げる。

 精密機械加工の事業所で、コンピューターのプログラミングを駆使してさまざまな製品をつくる仕事。精密加工のものづくりの世界に関心が高く数年前からその関連の会社につとめ、ある程度個人的にやっていくだけのめどがつき、41歳になるこの2月にオープンした。私たち夫婦は昨年何度か新事業所の内装や美化清掃を一緒にして準備を重ね、この度の開所祝いを兼ねての訪問となり、度重なる苦労を知るだけに感慨深いものとなる。

(今日の一句)・ものづくりのプログラミングのどけしや

◎日々彦「詩句ノート」、柳美里著『町の形見』の巻末の挨拶文から

〇柳美里著『町の形見』の巻末の挨拶文から

・言葉の解放(「静物画」パンフレット挨拶文)より

〈2011年三月十一日とその後に続く避難生活の中で声を呑み、感情を巻き添えにして沈黙を通している人は多い。

 言葉は、元来、声である。

 沈黙の中から感情を救い出し、言葉をゆすり動かすことができるのは、自分自身の声しかないのではないか――。

 自分の口から発した声は、他人の鼓膜を震わせる。

 声によって、感情や言葉は自分の中から持ち出され、他者に伝わる。

 人前で声を発するのは、たいへん不安なことだし、時には恐ろしいことである。〉

 

〈彼らの声の源にある感情を、彼らとともに大切に丁寧に扱った。

 彼らと「静物画」という芝居を創る過程で、わたしは、彼らの中で声が生まれ、外に出たがっている瞬間にいくつも立ち会うことができた。

 彼らは、自分と外界を隔てる境界線でもある体の中から、声を発することによって自分を解き放った。

 演出者冥利に尽きる、と言っても良いのではなかろうか?〉 

 

・記憶のお葬式(「町の形見」チラシ挨拶文)より

〈わたしにとって、他者はいつでも分厚い壁のように隙がなく、入り込む余地がない不可触の存在だった。でも劇場を悲しみの水で満たすことができれば、自が他に、他が自に触れ、奇跡のように融合する瞬間が訪れる。それは至福の時でもあった――。」

 

〈人は記憶を抱えて生きている。

 生涯、生々しい感情を伴う大波のような記憶もあれば、日々の暮らしの中で

 繰り返されることによって刻まれるさざなみのような記憶もある。

 人は、誰しも死ぬ。

 死ねば、夥しい記憶の群れもまた、無になる。

 生あるうちに大切な記憶に別れの言葉を述べ、懇ろに弔いたい。

 『町の形見』は、記憶のお葬式です。

 あなたに形見分けを贈ります。〉

-

・悲しみの物語(「町の形見」パンフレット挨拶文)より

〈「町の形見」では、過去を現存させるために時間の蝶番を外すことだけにわたしは注力した。

 過去からきて未来に向かう――、それは現実社会に都合の良い一つの時間の見方にすぎない。

 過去に存在したものや出来事は、今は無いのではなく、今にも未来にも存在する。

過去も未来も、いまここにしかない。

 様々な過去や未来を包括した今を、今ここで経験することができるのが、演劇なのである。〉

 

〇2019年四季折々(3月11日~17日)

(11日)・しら梅の泥を破りて咲きにけり(照井翠)

 東日本大震災関連の報道に触れて、困難な状況の中で「生きる」ことについていろいろ思う。いろいろな困難を乗り越えて、あるいは抱えながら今に向かい合う人、明日に向かっていく人、一方、年齢に応じて心身ともに困難が増してきて、悶々とした日々を送る人、「死んだ方がましだ」と思いながら暮らしている人などに対し、いずれにもさまざまな思いが出てくる。

 どんなに年を取ろうと、どんなに重い病気になろうと、どんな苦境に立とうと、人間はよりよく生きたいという本能的なものをもっていると思われる。それは簡単にはなくならないはずである。一人ひとりの心の持ちようが肝心であるが、それが引き出されていく支援も欠かせないと思う。

(今日の一句)・不安抱く人のこころへ雪解風

 

(12日)・草の戸も住みかはる世ぞ雛の家(芭蕉)

 NHKスペシャル『終の住みかと言うけれど…~取り残される被災者~』を見る。

〈震災から8年。被災地ではほぼ全ての災害公営住宅が完成するなど「終の住みか」の確保は順調に見える。しかし、そこには時が経ったからこその課題が重く横たわる。度重なる転居で人々の繋がりが分断され、コミュニティーを保てない集落が続出。支援の打ち切りも相次ぎ、高齢者の孤立化や孤独死の問題などが顕在化している。さらに、震災直後から壊れたままの家に住み続け、今も厳しい暮らしを強いられている「在宅被災者」が多くいる実態も明らかに。“住まいがある”として支援制度の枠組みから外されているのだ。一方、避難者の帰還政策が進む福島。待ちわびた「終の住みか」に戻れたものの、故郷の姿が変わり果てたことを目の当たりにして、ふるさとの「第二の喪失」とも呼ばれる大きなダメージをこころに受けている。〉との内容。

「終の住みか」は、これから死ぬまで安住する所をいうが、そこには安定、安心して暮らしていきたいという思いがあるのだろう。それとともにつながる人の環が大きいと思う。

 私は福島で生まれてから、10回以上住まいが変わってきた。今のところに居心地の良さを感じているがこだわりはない。芭蕉のように「日々旅にして旅を栖とす」というにはほど遠いが、その時の状況に応じて考えていければいいと思っている。

(今日の一句)・ふるさとは生涯持たず春の波

 

(13日)・俳句詠みいじめ克服羽化揚羽(小林凜)

 松村 亜里『世界に通用する子どもの育て方 』を読み、ポジティブ心理学の研究に関心を寄せている。ポジティブ心理学は、「幸福になるにはどうすればいいのか」を科学的に探究するもので、個人や社会を繁栄させるような強みや長所を研究する心理学の一分野である。

 本書は彼女の体験からの裏付けに、ポジティブ心理学とウェルビーイングの最新研究成果のエビデンスを踏まえて、具体的な工夫の仕方を提示していることが大きな魅力になっている。

 あとがきに「私はこの本に役立つことを書いたつもりですが、正しいことを書いたわけではありません。正解はどこかに一つあるものではなく、それぞれの中にあるものです。」とあり、研究者として真っ当のことと思うが、きちんと述べていることに強い印象が残った。

(今日の一句)・蛹は蝶に不思議を問うやしなやかに

 

(14日)・地の涯に倖せありと来しが雪(細谷源二)

「幸せ」や「健康」という極めて主観的な感情を科学的にとらえることは、かなり難しいとされてきた。科学のルールとして「相関関係は因果関係を含意しない」がある。因果関係を明確に示すデータや再現性がないと「科学的に立証された事実」とは認められない。

 だがそれは多くの人にとって関心の高いものであり、一部の研究者の大きな目標課題でもあった。近来の分野を超えた研究者、科学者などの研究成果で、幸福や健康についての知見が高まってきたし、そのことを専門に考察する人も増えてきて、人がどうすれば幸福になるかというテーマは、分野を超えて大きな課題になってきている。

 私も、自分の日々の活動が、ささやかでも幸せな社会につながるかどうかには留意していきたいと思っている。

(今日の一句)・間違いを認め膝つき冴え返る

 

(15日)・真砂なす数なき星の其中に吾に向ひて光る星あり(正岡子規)

 科学番組BS「コズミック フロント☆NEXT」を見る。〈2014年、私たちの地球は5億光年もの大きさのラニアケア超銀河団の一員であることがわかった。ラニアケア超銀河団は10万の銀河が川のように1か所に向かって流れている構造となっている。この発見をもたらしたのは、銀河の位置と動きを示した宇宙地図だ。そして2019年1月、さらに範囲を広げた新しい宇宙地図が発表された。天文学者たちは、どのようにしてこの宇宙地図を作ったのか? 壮大な研究の最前線に迫る。〉

 この番組を見ていると、その中で、今地球上で起こっていることや私たちの捉えているものが自分の感覚にすぎないことを思う。そこであれこれ考えてはいるが。

(今日の一句)・春星やひとは宇宙の落としもの

 

(16日)・こみあげる怒りを内に留めおれば五臓六腑は静かに腐る(高橋美加子)

 柳美里著『町の形見』を読む。この作品をとおして、東日本大震災のような社会的影響に及ぶものから個人的なものまで、ある体験を語ることや、戯曲・小説など文芸作品として表現することについて考えた。

 本書は、東日本大震災直後の2011年4月、全域が警戒区域に指定された南相馬市小高区など同市で生まれ育った70代の男女8人の、震災時とそれまでの人生体験の記憶を舞台上に再現することを意図した戯曲である。本人たちとその人に応じた黒子のように寄り添う若い役者が劇中劇のように交互に記憶の情景を演じるように構成されている。

 私は再度福島に行き現地を見て、いわき市に在住している親しくしている友人夫妻からそのときの話を伺っていた。旦那は水産関連の仕事に携わっていて、港の近くからようやく逃げ帰ったという。その後会社は営業できなくなり、しばらく救援活動をしていた。奥さんは教育関連の仕事をしていて、子どもたちの様子など当事者ならではの身に迫る表現などを思い出しながら読んでいた。

(今日の一句)・瓦礫つむ広野の里に白き梅

 

(17日)・こしかたもゆくすえもなしあるはただまわりてめぐるいまのつらなり(高橋美加子)

「町の形見」パンフレット挨拶文には、〈「町の形見」では、過去を現存させるために時間の蝶番を外すことだけにわたしは注力した。過去からきて未来に向かう――、それは現実社会に都合の良い一つの時間の見方にすぎない。過去に存在したものや出来事は、今は無いのではなく、今にも未来にも存在する。過去も未来も、いまここにしかない。様々な過去や未来を包括した今を、今ここで経験することができるのが、演劇なのである。〉とある。

 おそらく上演されることで、当時の状況が演ずる人はむろん、観劇する一人ひとりに突きつけるものがあるのではないか。生の声で演じることを想定した時空を超えた戯曲、演劇のもっている大きな可能性を感じさせる作品になっている。

(今日の一句)・今ここのひかりに集う百千鳥

◎過去も未来も、いまここにしかない。(柳美里著『町の形見』を読んで)

 この作品をとおして、東日本大震災のような社会的影響に及ぶものから個人的なものまで、ある体験を語ることや、戯曲・小説など文芸作品として表現することについて考えた。

 

 上演を見ていないが、巻末の解説文を参照しつつ舞台を想定しながら読んでいた。

 表題作の「町の形見」は、東日本大震災直後の2011年4月、全域が警戒区域に指定された南相馬市小高区など同市で生まれ育った70代の男女8人の、震災時とそれまでの人生体験の記憶を舞台上に再現することを意図した戯曲である。本人たちとその人に応じた黒子のように寄り添う若い役者が劇中劇のように交互に記憶の情景を演じるように構成されている。

 

 70歳を超えた被災者が若い役者たちに自らの人生を語り、そして「あの日」と災後の日々を語る。被災者へのインタビューなのか、本人のセリフなのか素の語りなのか、寄り添う役者たちのそれぞれの被災者になりきったセリフや被災者に対する問いかけも交えて、地震と津波と原発事故についての語りがスリリングに交錯して、物語は展開する。

 

 語り部でもない、ドキュメンタリーでもない、ある意味フィクションとも言い難いような演劇世界となっている。おそらく上演されことで、当時の状況が演ずる人はむろん、観劇する一人ひとりに突きつけるものがあるのではないか。生の声で演じることを想定した時空を超えた戯曲、演劇のもっている大きな可能性を感じさせる作品になっている。

 

 巻末にある著者による「町の形見」パンフレット挨拶文に次のように述べている。

〈「町の形見」では、過去を現存させるために時間の蝶番を外すことだけにわたしは注力した。

 過去からきて未来に向かう――、それは現実社会に都合の良い一つの時間の見方にすぎない。

 過去に存在したものや出来事は、今は無いのではなく、今にも未来にも存在する。

 過去も未来も、いまここにしかない。

 様々な過去や未来を包括した今を、今ここで経験することができるのが、演劇なのである。〉

 

 地元の新聞によると、「出演する地元市民8人は、柳さんがパーソナリティーを担当していたラジオ番組にゲストで出演していた人々で、さまざまな背景を持つ人たちだ。その地元市民たちの記憶を演じるのは、柳さんとゆかりのある、「青年団」をはじめとする東京で活動する役者。この公演のため同市に住み込み、地元の人と話し、地元の人の記憶の場所に足を運ぶなど、役作りを続けている。」と述べる。(いわき経済新聞2018.10.11より)

 

 著者は柳さんであるが、本書に書き出した台詞は、登場された被災者が著者に語ったことがベースになっていると思われる。元々はある「事実」から生まれている。しかし作品の構成によって、あるいは演出によって、事実は事実らしさを離れていくというか歪んでくるだろう。しかし、事実を離れるほど、そのセリフはある真実味を帯びていくような気がする。

 さらに、被災者の数多の人びとの声なき声が重なり、この作品で語られた言葉は、語られなかった言葉にも逆説的に光を当てると思われる。

 

 私は再度福島に行き現地を見て、いわき市に在住している親しくしている友人夫妻からそのときの話を伺っていた。旦那は水産関連の仕事に携わっていて、港の近くからようやく逃げ帰ったという。その後会社は営業できなくなり、しばらく救援活動をしていた。奥さんは教育関連の仕事をしていて、子どもたちの様子など、当事者ならではのしみじみとした迫力を感じながら聞いていた。

 

 一度ざっと読んで、次に上演舞台を想定して、時折セリフのところ声を出しながら読んでみた。なかでも、高橋美加子さんの短歌は何度も読み返ししていた。

 

・荒れ田より嘆きの呻き聞こえくる水うるわしき青田よもどれ

・ふるさとを返せと叫びたくなりて外に出ずれば満天の星

・こみあげる怒りを内に留めおれば五臓六腑は静かに腐る

・ごおごおと荒れ田をなぶり風がゆく空はどこまでもつきぬけて青

・石を持ち投げんとすればその先は螺旋階段わが身に戻る

・こしかたもゆくすえもなしあるはただまわりてめぐるいまのつらなり

 

 出演者でもある高橋美加子さんは、震災直後HPから「南相馬からの便り」を発表していて、その短歌は「南相馬短歌会あんだんて」の合同歌集や各方面でしばしば紹介されていた。

 次の個所も詰まりながら読み返ししていた。

 

〈男優B(渡部英夫の記憶):日にちは、ぜんぜんわかんねぇんだ。三月十一日から、おれの頭の中では、カレンダー消えてっから、自分の重機を海に持って行って、瓦礫どかして、萱浜から雫まで通れるようにした-----ご遺体もな、実家の方だからみんな顔見知りなんだ-----最初に見つけた人はニコットしてたな-----女の人だ-----女の人-----手袋とマスクしてたんだけど、その人の顔見た途端、手袋捨てて、マスク捨てて、素手でこうやってな(顔にかかった泥だらけの髪を指でのける)-----なんだか-----なんていうんだ? 海の底のヘドロみたいな、廃油みたいもんが顔中にべったりくっついててな-----水はポリ容器で持って来てたから、頭持ち上げて、水で流してきれいにしてな-----きれいにって言っても、きれいにはなんねぇんだけど、せいいっぱいきれいにして、道路に寝かして、次の人を捜索するわけだ。〉

 

 地元(南相馬市原町区の萱浜出身)で暮らす渡部英夫さんは、相馬流れ山の上手な歌い手で、地元ではよく知られているそうだ。

 

※柳美里著『町の形見』(河出書房新社、2018)

「参照」・【福島民報】『町の形見』柳さんが描いた悲しみ。(2018年11月30日 )

 先月十六日、作家柳美里さんが二十四年ぶりに書き下ろした戯曲「町の形見」の公演を、南相馬市小高区にある柳さんの小劇場で見た。二十二日にはこの作品を収めた戯曲集が河出書房新社から出版された。ページをめくって記憶を確かめながら、震災と原発事故を経験した土地で、芝居という表現だからこそ感じることができた不思議な高揚を思い出している。

 東京の若手俳優七人のほかに地元の七十代の住民八人が「話者」という立場で出演した。芝居はいつの間にか始まった。話者は自分の分身である俳優を聞き役に自身の来し方を語る。演劇に夢中になった高校時代があった。友と、ぎりぎりの生を共有した瞬間があった。前が見えなくなってしまいそうな時に出会った伴侶の情熱があった。

 客席の最前列にいた人がするすると舞台に出て、話者となって語り始める。客席にいた演出家役の俳優から突然、指示が飛ぶ。少しの笑いと涙のうちに客席と舞台の境界はいつしかあいまいになる。そうして積み重ねられてきた日常を断ち切ったのが震災と原発事故だ。地元の観客は自らの体験のような錯覚の中、劇空間に引き込まれていった。

 柳さんは三年半前に南相馬市に移住する前から、地元ラジオで六百人もの被災住民にインタビューしてきた。その経験があるからこそ、話者一人一人が抱える悲しみや悔しさ、いとおしい自分だけの記憶を引き出すことができたのだろう。被災地で表現されるべき必然が、柳美里という存在によって形になった。

 同時に思いが及ぶのは、被災地の誰にもかけがえのない瞬間があり、多くの悲しみとともに表現されないまま消えていくであろうことだ。

 小高で「町の形見」が上演された同じ週、東京地裁では原発事故を巡り業務上過失致死傷罪で強制起訴された東電旧経営陣三人の被告人質問が行われ、いずれも責任を否定した。一人は「ご迷惑を掛けた」という言葉で謝罪した。

 「町の形見」では話者の一人の短歌が読み上げられる。

 ・ふるさとを返せと叫びたくなりて外に出ずれば満天の星

 ・こみあげる怒りを内に留めおれば五臓六腑[ろっぷ]は静かに腐る

 東電のさまざまな言葉と、被災地で空を見上げた人々の絶望とのあまりに大きな断絶に慄然[りつぜん]としてしまう。「町の形見」の東京公演を願うが、難しいかもしれない。それならば来年、新装される小高の小劇場で再演してほしい。多くの人があの土地に来て、見ることに意味があるはずだ。(佐久間順)(福島民報2018年11月30日 )

◎日々彦「詩句ノート」、正岡子規の俳句、短歌、随筆『病牀六尺』など

〇正岡子規の俳句、短歌、随筆『病牀六尺』

 正岡子規(1867年―1902年)。1897年(明治30年)に俳句雑誌『ホトトギス』を創刊。子規31歳の1899年夏頃以後は脊椎カリエスからほとんど病床を離れえぬほどの重症となり、数度の手術も受けたが病状は好転せず、やがて臀部や背中に穴があき膿が流れ出るようになる。苦痛を麻痺剤で和らげながら、俳句・短歌・随筆を書き続け、母や妹の介護を受けながら後進の指導をし続け、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした。こうした地獄のような苦しみに耐えかねて、一度、自殺を企てたことがある。このような中で、日々の雑観を随筆『病牀六尺』に書き続けた。その年の9月に亡くなる。享年34歳

 

「俳句」

・妹が頬ほのかに赤し桃の宴

・毎年よ彼岸の入に寒いのは

・行く人の霞になつてしまひけり

・うつむいて何を思案の百合の花

・牡丹画いて絵の具は皿に残りけり

・六月を綺麗な風の吹くことよ

・夏羽織われをはなれて飛ばんとす

・柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

・赤とんぼ筑波に雲もなかりけり

・秋晴て故人の来る夕哉

・長き夜や千年の後を考へる

・松山や秋より高き天主閣

・柿くふも今年ばかりと思ひけり

・行く我にとゞまる汝に秋二つ

・鶏頭の十四五本もありぬべし

・蒲団から首出せば年の明けて居る」

・いくたびも雪の深さを尋ねけり」

「絶筆三句」

 明治35年9月19日、7年に及ぶ病魔との闘いを終えてこの世を去る。死の半日ほど前、紙を貼りつけた画板を妹の律に用意させ、そこへしたためた辞世の句。

・糸瓜咲て痰のつまりし佛かな

・痰一斗糸瓜の水も間に合はず

・をとゝひのへちまの水も取らざりき

 

「短歌」

・人も来ず春行く庭の水の上にこぼれてたまる山吹の花

・くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる

・松の葉の葉毎に結ぶ白露の置きてはこぼれこぼれては置く

・いちはつの花咲きいでて我目には今年ばかりの春行かんとす

・瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり

・足たたば不尽の高嶺のいただきをいかづちなして踏み鳴らさましを

・足たたば黄河の水をから渉り崋山の蓮の花剪らましを

・足たたば北インヂヤのヒマラヤのエヴェレストなる雪くはましを

・ひさかたのアメリカ人のはしめにしベースボールは見れとあかぬも

・國人ととつ國人とうちきそうベースボールを見ればゆゆしし

・若人のすなる遊びはさはるあれどベースボールに如く者あらじ

・球と球をうつ木を手握りてシャツ着し見ればその時思ほぬ

・九つの人九つのあらそいるベースボールの今日も暮れけり

・いまやかの三つの塁に人満ちてそぞろに胸のうちさわぐなり

・ベースボールうちはつす球キャッチャーの手にありてベースを人のゆきかてにする

・うちあぐるボールは高く雲に入りて又落ち来る人の手の中に

 

(随筆『病牀六尺』より)

 一「病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである。僅わずかに手を延ばして畳に触れる事はあるが、蒲団ふとんの外へまで足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない。甚はなはだしい時は極端の苦痛に苦しめられて五分も一寸も体の動けない事がある。苦痛、煩悶、号泣、麻痺剤まひざい、僅かに一条の活路を死路の内に求めて少しの安楽を貪むさぼる果敢はかなさ、それでも生きて居ればいひたい事はいひたいもので、毎日見るものは新聞雑誌に限つて居れど、それさへ読めないで苦しんで居る時も多いが、読めば腹の立つ事、癪しゃくにさはる事、たまには何となく嬉しくてために病苦を忘るるやうな事がないでもない。年が年中、しかも六年の間世間も知らずに寐て居た病人の感じは先づこんなものですと前置きして(五月五日)

 

 二十一「余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた。」(六月二日)

七十五「 病気の境涯に処しては、病気を楽しむといふことにならなければ生きて居ても何の 面白味もない」 (七月二六日) 

 

〇2019年四季折々(3月4日~10日)

(4日)・NHKスペシャル「“黒い津波”知られざる実像」をみる。

〈東日本大震災は、膨大な津波の映像が克明に記録された、初めての大災害だった。陸地に到達した当初は透明だった津波が、そのわずか5分後には真っ黒な色に変わっていた。“黒い波”はどのように生まれたのか? 当時のまま保管されている黒い海水を専門家が分析したところ、純粋な海水のみだった場合に比べ、黒くなったことで津波は強い破壊力を持ち、人々の命を奪っていった実態が明らかになった。黒い波は、より多くの建物を破壊し、がれきを巻き込み、このがれきがさらなる大量破壊の連鎖をもたらしていた。また、亡くなった人たちの「死因」について、これまでは9割が溺死とされてきたが、法医学者などは、土砂による窒息やがれきによる圧迫死など、複合的な原因もあったのではないかとみている。〉

 海が廃棄物、不溶性の有機物などによるヘドロ化しており、それらを巻き込んだ“黒い津波”となって襲ってきた。津波という自然災害に文明によるものが重なった災害だろう。

 (今日の一句)・春怒涛黒い津波の文明災

 

(5日)・「いやが上にも災害を大きくするように努力しているものはたれあろう文明人そのものなのである。」

 1934(昭和9)年、寺田寅彦『天災と国防』で次のようにいう。〈文明が進むに従って人間は次第に自然を征服しようとする野心を生じた。そうして、重力に逆らい、風圧水力に抗するようないろいろの造営物を作った。そうしてあっぱれ自然の暴威を封じ込めたつもりになっていると、どうかした拍子に檻おりを破った猛獣の大群のように、自然があばれ出して高楼を倒壊せしめ堤防を崩壊ほうかいさせて人命を危うくし財産を滅ぼす。その災禍を起こさせたもとの起こりは天然に反抗する人間の細工であると言っても不当ではないはずである、災害の運動エネルギーとなるべき位置エネルギーを蓄積させ、いやが上にも災害を大きくするように努力しているものはたれあろう文明人そのものなのである。〉

 少し飛躍するが、文明発展や経済成長は、便利さとひきかえに不自然な日常をおくっていることになるかもしれない。

 (今日の一句)・春星や過去を未来へ語り継ぐ

 

(6日)・「心のケアを担うこころとは」

 震災と原発事故から8年たつが復興とはほど遠い現実が次々と明らかになっている。原発事故のあった福島県では震災関連死が年々増えているという。少なからずの人が、この先まったく希望がもてなくて、悶々としている人もいる。

 知人から次の連絡を受けた。「現在まで約8 年間、 心のケアをおこなう人として被災地支援を継続してきました。『心のケアは大事であるが、何が心のケアなのか』そんな疑問を抱えながら活動を続けています。」

 (今日の一句)・わが内の解けぬ瓦礫や春愁ひ

 

(7日)・「病気の境涯に処しては、病気を楽しむといふことにならなければ生きて居ても何の面白味もない」(正岡子規随筆『病牀六尺』より)

 明治の文学者・正岡子規の結核、脊椎カリエスと戦った35年の生涯を残された貴重な日記などから読み解く番組が放映された。苦痛を麻痺剤で和らげながら、俳句・短歌・随筆を書き続け、母や妹の介護を受けながら多くの人と交流し、後進の指導をし続けた。

 1946年の世界保健機関憲章草案において、「健康」とは身体的、精神的、社会的にわたる良好な状態(well‐being)にあることとし、「健康」を全人的にとらえるようなってきた。

『病牀六尺』に「余は今まで禅宗の所謂悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた。」との言葉もある。

 子規は寝たきりの大病にも関わらず、ある意味「健康」だったのではないかなと思った。

 (今日の一句)・今ここに幸せありや不如帰

 

(8日)・2画面ドキュメンタリー「無人の町から8年~福島県浪江町~」から

 東日本大震災・原発事故で、一度は無人の町となった福島県浪江町。震災直後の8年前の映像と全く同じアングルで今の姿を切り取り、その歳月を問う2画面ドキュメンタリー。

 2年前に町の中心部は避難指示が解除された。人はどれだけ戻っているのか? 何が変わっているのか、いないのか?さまざまな決断をした人たちの思いとは?町の再建、積みあがる汚染土、新しい大規模太陽光施設など、8年の歳月が語るものとは何なのか?〉

 この左右の2画面で見ると、一人ひとりの心の面は分らないにしても、大災害・人災と復興がどのようなものなのか映像が持っている喚起力を思う。

 (今日の一句)・強いられし無人の街にふきのとう

 

(9日)・松村亜里『世界に通用する子どもの育て方 』から

 本書は「何をすると子どもがダメになるのか」ではなく、「どのような関わり方が子どもの幸せにつながるのか」という視点から、科学的に探究を重ねてきて、質の良い親子関係、人間関係が子どもの健康、幸福度を高めることや「統制型」、操作的ではなく、一人ひとりの子どもを尊重し信頼しその子が持っている自律性が発揮できる「支援型」で寄り添うことが大切など語られる。彼女の子ども時代や二人の子育てなど、いくつかの失敗を重ね、必ずしも順調ではなかっただろう体験からの裏付けに、ポジティブ心理学とウェルビーイングの最新の研究成果研究成果のエビデンスを踏まえて、具体的な工夫の仕方を提示していることが、本書の大きな魅力になっている。 https://wellbeing-education.org/about/

(今日の一句)・失敗から学ぶ熱意に山笑ふ

 

(10日)・「少しでも幸せな家族が増えることを願って」

『世界に通用する子どもの育て方 』の「あとがき」の言葉から。

 彼女の子ども時代は、わたしの子どもたちと同じ学園で育った。その頃そこは極度の統制型であり、私も関わりのあるところでもあり、その子たちが、大人になりどのような子育てをしていくのかに、関心を寄せている。

 昨秋、娘が出産した。この書をとおして、娘夫婦といろいろな話をするのを楽しみにしている。また、子育てに限らず、ひとりの人間としてわきまえていくことが書かれていると思うし、引き続き考えていきたいと思っている。

(今日の一句)・春の海愛され愛することを知り

 

◎松村 亜里 (著)『世界に通用する子どもの育て方 』を読んで

〇本書を読んで次のことを思った。

・「何をすると子どもがダメになるのか」ではなく、「どのような関わり方が子どもの幸せにつながるのか」という視点から、科学的に探究を重ねてきた。

・質の良い親子関係、人間関係が子どもの健康、幸福度を高める。

・「統制型」、操作的ではなく、一人ひとりの子どもを尊重し信頼しその子が持っている自律性が発揮できる「支援型」で寄り添うことが大切。

・「やればできる」というその子の自己効力感を大事にする。

・自分が自分らしく生き、相手が相手らしく生きることが多様性を尊重する社会になる。

・彼女の子ども時代や二人の子育てなど、いくつかの失敗を重ね、必ずしも順調ではなかっただろう体験からの裏付けに、ポジティブ心理学とウェルビーイングの最新の研究成果への取り組みがあり、考察に厚みを増したと思われる。

・多くの仲間、研究者に恵まれたことを通じて、見識が広がり、感受性が豊かになり、人間としての深みを増していったと思う。

・彼女の活動の底に、少しでも幸せな家族が増えることを願って、子どもたちが輝いて生きていける工夫に焦点が当たったのが今回の刊行につながったのではないだろうか。

・ご自分の体験やこれまでの研究成果のエビデンスを踏まえて、具体的な工夫の仕方を提示していることが、本書の大きな魅力になっている。

 

 あとがきに「私はこの本に役立つことを書いたつもりですが、正しいことを書いたわけではありません。正解はどこかに一つあるものではなく、それぞれの中にあるものです。」とあり、研究者として真っ当のことと思うが、きちんと述べていることに強い印象が残った。

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 ポジティブ心理学は、「幸福になるにはどうすればいいのか」を科学的に探究するもので、個人や社会を繁栄させるような強みや長所を研究する心理学の一分野である。精神疾患を治すことよりも、通常の人生をより充実したものにするための研究がなされている。また、個人の持っているレジリエンス(回復力。再起力。逆境に直面しても力強く成長できる資質)などに注目した。

 現代のポジティブ心理学を提唱したマーティン・セリグマンは、それまでの心理学が、精神疾患や心の病気を治すための努力はしてきたが、「どうすればもっと幸福になれるか」については、あまり研究してこなかったことに気がつき、1998年に、「心理学は人間の弱みばかりでなく、人間の良いところや人徳(virtue)を研究する学問でもあり、すでに主要な心理学的理論はそのような補強を行う方向に変貌しつつある」と指摘。こうした流れを受けて心理学研究の中で注目されるテーマになっていった。

 ウェルビーイングは、現代のソーシャルサービスの達成目標として、個人の権利や自己実現が保障され、身体的、精神的、社会的にわたる全人的に良好な状態にあることを意味する概念。1946年の世界保健機関(WHO)憲章草案において、「健康」を定義する記述の中で「良好な状態(well‐being)」として用いられた。

 

 著者の始めたウェルビーイング心理教育は「幸せに関する科学的知見を人生に活かす」との理念のもとで、〈 「人や社会を幸せに導く、科学的根拠に基づいた理論と方法」を学び、実践し、自分の人生を自分で創造できる人たちを増やすこと。ポジティブ心理学をはじめとするエビデンスに基づいた理論やスキルを分かりやすく伝え、毎日の生活に取り入れやすい形で学ぶことのできる生涯教育の場を提供する。〉とある

 その時代背景として次のように述べる。

〈様々な情報が交錯するなかで、自らの幸せを創造することにおいても、子育てや対人関係の改善においても、「本当に役に立つもの」を「自ら探す」ことができる時代になっています。そのような中で、物質的な豊かさや社会的地位が必ずしも幸せをもたらさないということが、徐々に理解されつつあります。また、誰かの成功体験を模倣するのではなく、「科学的な」根拠(エビデンス)のある理論やスキルが求められていると感じます。

 ウェルビーイング心理教育アカデミー(以下、AWEと表記)は、そのような時代の流れの中にあって、「科学で裏付けられた人や社会を幸せにする方法を学び続けられる身近な場所」を提供するために設立されました。〉

 参照https://wellbeing-education.org/about/

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「幸せ」や「健康」という極めて主観的な感情を科学的にとらえることは、かなり難しいとされてきた。科学のルールとして「相関関係は因果関係を含意しない」がある。因果関係を明確に示すデータや再現性がないと「科学的に立証された事実」とは認められない。

 

 だが人生の目的は幸せであるという思想家はいて、多くの人にとっても関心の高いものであり、一部の研究者の大きな目標課題でもあった。近来の分野を超えた研究者、科学者などの研究成果で、幸福や健康についての知見が高まってきたし、そのことを専門に考察する人、分野も増え、著者もその一人であろう。

 どこまでも相関関係ではあるが、一人ひとりの個別性に留意しつつ、ある程度の傾向の考察はサイエンスとして確立してきているのではないだろうか。

 

 彼女の子ども時代は、わたしの子どもたちと同じ学園で育った。その頃そこは極度の統制型であり、私も関わりのあるところでもあり、その子たちが、大人になりどのような子育てをしていくのかに、関心を寄せている。

 この書をとおして、昨秋出産した娘夫婦といろいろな話をするのを楽しみにしている。また、子育てに限らず、ひとりの人間としてわきまえていくことが、書かれていると思うし、引き続き考えていきたいと思っている。

 

※松村 亜里 (著)『世界に通用する子どもの育て方 』(WAVE出版 (2019/3/6)

◎日々彦「詩句ノート」、V・E・フランクル『それでも人生にイエスという』

〇V.E. フランクル『それでも人生にイエスと言う』の言葉から

・私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから誤っているのです。つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているのです。私たちは問われている存在なのです。私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、「人生の問い」に答えなければならない、答を出さなければならない存在なのです。生きること自体、問われていることにほかなりません。私たちが生きていくことは答えることにほかなりません。そしてそれは、生きていることに責任を担うことです。

 

・私たちはさまざまなやり方で、人生を意味のあるものにできます。活動することによって、また愛することによって、そして最後に苦悩することによってです。苦悩することによってというのは、たとえ、さまざまな人生の可能性が制約を受け、行動と愛によって価値を実現することができなくなっても、そうした制約に対してどのような態度をとり、どうふるまうか、そうした制約をうけた苦悩をどう引き受けるか、こうしたすべての点で、価値を実現することがまだできるからです。

 

・収容所の中では自分が無になってしまっていたのです。生きながら死んでいたのです。私たちは何ものでもなかったのです。私たちはたんに無を見たのではなく、無だったのです。生きていてもなんということはありませんでした。死んでもなんということはありませんでした。私たちの死には光輪はありませんでしたが、虚構もありませんでした。死ぬということは、小さな無が大きな無になるだけのことだったのです。そして死んでも気に留められることはほとんどありませんでした。とっくの昔に「生きたまま」死ぬ前に死を体験していたからです。

 

・苦難と死は、人生を無意味なものにはしません。そもそも、苦難と死こそが人生を意味のあるものにするのです】。人生に重い意味を与えているのは、この世で人生が一回きりだということ、私たちの生涯が取り返しのつかないものであること、人生を満ち足りたものにする行為も、人生をまっとうしない行為もすべてやりなおしがきかないということにほかならないのです。

 けれども、人生に重みを与えているのは、ひとりひとりの人生が一回きりだということだけではありません。一日一日、一時間一時間、一瞬一瞬が一回きりだということも、【人生におそろしくもすばらしい責任の重みを負わせている】のです。その一回きりの要求が実現されなかった、いずれにしても実現されなかった時間は、失われたのです。

 

・人生を意味のあるものにできるのは、第一に、なにかを行うこと、活動したり創造したりすること、自分の仕事を実現することによってです。第二に、なにかを体験すること、自然、芸術、人間を愛することによっても意味を実現できます。第三に、第一の方向でも第二の方向でも人生を価値あるものにする可能性がなくても、まだ生きる意味を見いだすことができます。自分の可能性が制約されているということが、どうしようもない運命であり、避けられず逃れられない事実であっても、その事実に対してどんな態度をとるか、その事実にどう適応し、その事実に対してどうふるまうか、その運命を自分に課せられた「十字架」としてどう引き受けるかに、生きる意味を見いだすことができるのです。

 

※参照:『それでも人生にイエスと言う』V・E・フランクル/山田邦男、松田美佳訳(春秋社、1993年)

 

〇2019年四季折々(2月25日~3月3日)

(25日)・麻痺の手に残る力でゆび言葉わが掌にさよならの文字(麻酔科医・外須美夫)

  昨日NHKスペシャル「大往生~わが家で迎える最期~」を見る。内容は次のようになる。

〈「人生の最期をわが家で」は、多くの人の願いだ。国も医療費抑制などのため在宅医療を推奨し、増えていく見込みの自宅での死。しかし、現実には介護する家族の高齢化や疲弊、貧困などさまざまな問題が立ちはだかる。そんな現場に身をおく80歳の老医師がいる。埼玉県新座市の堀ノ内病院の小堀鷗一郎さんだ。森鷗外の孫で、かつては東大病院の外科医として活躍した老医師が、最後にたどり着いたのが“死に際の医療”を地域で行う在宅医だった。死の床にある患者と同世代、いわば“老老医療”である。患者にかける言葉は友人同士のようであり、時にハッとするほど厳しく、時に深く共感しつつ、等身大で向き合う。その人らしい最期の時間を患者や家族たちと話し合いながら作っていく。〉

 この番組は、超高齢化社会を支える在宅医、医療制度や福祉制度、老々介護などの介護を巡るありようという普遍的な内容や問題提起をしながらもただそれだけじゃない内容だ。それぞれの当事者や家族の姿、そして小堀医師の姿・ことばが心に残る。

(今日の一句)・うららかや病者に寄り添う人と人

 

(26日)・春眠のつづきのやうに母逝けり(藤ゆきこ)

 番組の中で、小堀医師がもっとも気にかけている親子、末期の肺がんを患う84歳の父と介護する全盲の47歳の娘と小堀医師の心の交流が特に身に染むものだった

 幼いころ視力を失った娘を両親は一生懸命育ててきた。8年前に妻が脳梗塞になり、父が二人の世話を一人で担ってきたが、妻もなくなり、父も末期の肺がんで寝たきりになった。

 病院で病名がわかったときに在宅で治療するか、入院するかと聞かれた父が、「不自由な娘がいるので、入院はしたくないです」と答えた。娘は父の気持ちを叶えたいので、在宅で介護しようと思ったという。

 診療以外の日も、2人の様子を見に行く小堀医師。ある日、娘さんから「父の反応がない」と小堀医師のもとに連絡があり、結局息を引き取ることになる。

「これが最期だね」と小堀医師がいうと、それを聞いて娘さんは、お父さんが、足が痛いというようなことを言ったときに、お父さんに対して「そんなこと言わないでと泣いちゃった。泣かなければよかった」といったときに小堀医師が次のようにいう。

「笑ったり怒ったりそれが当たり前なんだよ。それが家族なんだよ。」

 医師は医師として、当事者は当事者として、介護者は介護者として精一杯気負いなく生き抜いていき、お互いのことばの一つ一つが、慈しみに満ちたもので、まさに大往生でした。

((今日の一句)・眼の力失せたる義母へ梅一枝

 

27日)・一日に何度も笑ふ笑ひ声と笑ひ顔を君に残すため(河野裕子)

 上記は乳がんで亡くなった歌人河野裕子の病中吟。

 小堀医師と父娘の交流から、V・E・フランクル『それでも人生にイエスという』(春秋社、山田邦男・松田美佳編訳)の次の言葉を思う。 

〈なにをして暮らしているか、どんな職業についているかは結局どうでもよいことで、むしろ重要なことは、自分の持ち場、自分の活動範囲においてどれほど最前を尽くしているかだけだということです。活動範囲の大きさは大切ではありません。大切なのは、その活動範囲において、最前を尽くしているか、生活がどれだけ「まっとうされて」いるかだけなのです。〉

〈「私は人生にまだなにを期待できるか」と問うことはありません。いまではもう、「人生は私になにを期待しているか」と問うだけです。人生のどのような仕事が私をまっているかと問うだけなのです。〉

 本書は、ナチスによる強制収容所の体験として全世界に衝撃を与えた『夜と霧』の著者が、その体験と思索を踏まえてすべての悩める人に「人生を肯定する」ことを訴えた講演集。

(今日の一句)・鶯やなにを期待す人生は

 

(28日)・死ぬときは箸置くやうに草の花 (小川軽舟)

 昨日友人の93歳になる父親が亡くなる。妻同士は頻繁に電話交流をしていて、話題が一緒に暮らしている友人の両親のことに及ぶことがあり、ある程度様子はつかんでいた。お互いにいろいろ思うことはあり、大笑いしながら愚痴も含めて話し合うことも多い。

 医療や介護体制のこともあるが、身近に忌憚なくやり取りできる仲間がいることは大きいと思っている。

(今日の一句)・おしゃべりも介護のうちや山笑ふ

 

(3月1日)・生き代わり死に代わりつつわがうちに積む星屑にいのち華やぐ(柳澤桂子)

 老化ということ自体は自然現象であり、さほどの問題でなく、多くの身体、生理能力が減少するということは、中年や青年でも個人差の範囲に入り、相対的な問題である。

 老人問題は、一般的長寿化の時代にあっては、その病気にある。したがって医療体制や介護体制の充実が大きな課題となる。現状はまだまだの感があるが、そこに気をおいて活動している人も少なからずいる。

 なお、「在宅医療と在宅介護の現状と誤解・問題点」は『ケア大学』のHPに詳しく掲載されている。 https://caredaigaku.com/zaitaku-iryo-kango/

(今日の一句)・癒えずとも今日のいのちや木の芽和

 

(2日)・福寿草ふくらみふくらみ万力を聚(あつ)めてひらく光の中に(上田三四二)

『早春の六甲山と六甲高山植物園を訪ねて』に参加。最初に、薬用植物に詳しい沖和行氏の講座「植物のちから」を解説付きでスライドを見ながら早春の花やその薬効を学ぶ。

「花の色、葉の色、紅葉や落ち葉の色、そして植物の香りや味、そうしたものにも生きるための理由があり、私たち人類は古くよりそうした植物の力をうまく生活の中に取り入れてきた。病気を治し、健康を維持するために用いる薬のほとんどが植物から作られていることを、植物の目線からひも解いていくと生きるための仕組み『植物のちから』の一つを利用させてもらっているにすぎません。」という。

 妻は薬草に熱心で、わが家では皮膚などには手作りのドクダミ(十薬)液がもっとも身近な薬になっている。私も聞いていてとても面白かった。

(今日の一句)・六甲山友と十薬摘みにけり

 

(3日)・菫ほどな小さき人に生まれたし(夏目漱石)

 講義のあと、鶯の初音を聞きながら高山植物園へいき、沖氏の案内で散策する。この植物園は1933年(昭和8年)に開園。植物学者・牧野富太郎博士の指導を受けていたそうだ。普段なら見向きもしない野の草・花に話を聞きながらじっくり見ていく。

 この植物園で植栽では日本最大といわれる「バイカオウレン((梅花黄蓮))」があちこちにあり、とても小さく2~3センチぐらいで、地面に張り付いたように咲いていた。

 白い部分は花びらでなく、黄色の点に見えるのが花びらになるそうだ。花が白いウメのようで、オウレンというのは、黄色い根という意味で、切断してみると黄色がはっきりしているそうだ。こういうのはじっくり見ないとわからないので、感嘆しながら見ていた。

 (今日の一句)・梅花黄蓮の宇宙春の植物園

 

◎マルクスの自分中心的な人間観から「地動説」的な人間観への転換(内田樹『寝ながら学べる構造主義』から)②

 わたしは知識としては地動説を知っているが、感覚としては,日が昇り・日が沈むといい、自然界の動きなどについてはほとんど、自己を軸にした天動説な見方をしていることが多い。これはものの見方、思考方式そのものが、少なからず天動説的な感覚を持って暮らしているのではないだろうか。

 

 本書の「マルクスの地動説的人間観」を面白く読んだ。マルクスのことはあまり詳しくないし、あくまでも内田氏の説から考えたことであり、ここでは、脱‐中心化や地動説的人間観に焦点を合わせてみていく。

 

〇第1章3「マルクスの地動説的人間観」で著者はこう述べる。

〈自分の思考や判断はどんな特殊な条件によって成り立たせられているのか、という問いを突き詰め、それを「日常の生き方」にリンクさせる道筋を発見した最初の例は、カール・マルクスの仕事です。構造主義の源流の一つは紛れもなくマルクスなのです。(p26)〉

 

 マルクスは、「意識が生活を規定するのではなくて、生活が意識を規定する」として、人間は「どの階級に属するか」によってものの見え方が変わってくると考えた。人間は自由に思考しているつもりで、実は階級的に思考している、という分析をした。

 その世界観の核心は、社会経済問題に対する制度と価値の考察を通じた規範的分析である。マルクスが『資本論』で訴えているのは、人類の救済であり、彼の理論で最も卓越していた点は、経済学というより歴史理論と政治学である。(『ウィキペディア』より)

 

〈私たちは自分が「ほんとうのところ、何ものであるのか」を、自分が作り出したものを見て、事後的に教えられます。私が「何ものであるのか」は、生産=労働のネットワークのどの地点にいて、何を作り出し、どのような能力を発揮しており、どのような資源を使用しているのかによって決定されます。

 自己同一性を確定した主体がまずあって、それが次々と他の人々と関係しつつ「自己実現する」のではありません。ネットワークの中に投げ込まれたものが、そこで「作り出した」意味や価値によって、おのれが誰であるかを回顧的に知る。主体性の起源は、主体の「存在」にではなく、主体の「行動」のうちにある。これが構造主義のいちばん根本にあり、すべての構造主義者に共有されている考え方です。(p31-32)〉

 

 これは「階級」だけではなく、さまざまな人との交流、ネットワークや環境によって「私」の見方が形成される。

 一人ひとりは、その人ならではの普遍的人間性が宿るというような人間観を退け、人間の個別性をかたちづくるのは、その人が「何ものかであるか」ではなく、そのネットワークのなかで「何ごとをなすか」によって決定される、とマルクスはそう考えた

 

〈ネットワークの中心に主観的・自己決定的な主体がいて、それがおのれの意思に基づいて全体を制御しているのではなく、ネットワークの「効果」として、さまざまのリンクの結ぶ目として、主体が「何ものであるか」は決定される、という考え方は「脱―中心化」あるいは「非―中心化」とも呼ばれます。

 中核に固定的・静止的な主体がおり、それが判断したり決定したり表現したりする、という「天動説」的な人間観から、中心を持たないネットワーク形成運動があり、そのリンクの「絡み合い」として主体は規定されるという「地動説」的な人間観への移行、それが二〇世紀の思想の根本的な趨勢である、と言ってよいだろうと思います。(p32)〉

 

「脱―中心化」とはフランスの M =フーコーが現代社会と現代人の行動を特徴づけるために用いた語で、狂気と理性、異常と正常といった区別は「歴史」の中でつくられたものであるとし、「理性」「主体」などの西欧近代の既成的な概念を脱中心化した。

 フーコーは、このような人間の内面的意識を拘束する社会の規範構造を明らかにすることによって、それにとらわれた自我を解放し、自由に思考する知性をそなえた真の自己を回復しようとした。

 

 おそらく構造主義の文脈とは少しずれると思うが、「脱中心化」について心理学者ピアジェの理論も思う。幼児の認知発達段階における前操作期(2歳~7歳)から具体的操作期(7歳~12歳)への移行段階で生じる、自己中心性の思考から脱する過程を「脱中心化」とした。自己中心性とは、自分にしか通用しない特殊な象徴化パターンにより、すべてのものを把握、表現しようとしたり、自分が得た知覚情報のみですべての状況を認知、理解、判断し、他者の視点や立場にたって考えられない状態をいう。

 具体的操作期に入ると、この自己中心性から脱して、さまざまな知覚情報を組み合わせることができ、より抽象的で一般的な象徴化が可能となる。さらに、具体的な体験を通して、自分の観点と他者の観点が異なることを理解するようになり、他者の観点からも物事を客観的に見られるようになる。成長するとはそういうことなのだろう。

 

 わたしたちは、外界の事物が世界を構成していると思いがちだが、実は、過去の経験の記憶に基づいて、それぞれの意味の世界をつくり、そこからあらゆる現象を見ている。

 日々いろいろな判断をしながら暮らしているが、その判断のよって立つ根拠はそれぞれの時代、地域、集団や周囲の環境によって、作り上げられたもので、そこにはさまざまな偏りがあると思われる。

頭で理解していても、自己中心的にものごとをとらえていることで、その自覚がないまま他の人との会話がギクシャクしたものとなり、ひどい場合には争いになっていく。

 

 内田樹は『こんな日本でよかったね(構造主義的日本論)』の「あとがき」で次のようにいう。

〈構造主義というのは1950〜60年代にフランスを発信源としたいくつかの学術分野に共通していた、ある種の知的な「構え」のことです。どういう「構え」か、一言で言うと、「自分の判断の客観性を過大評価しない」という態度です。……「自分の判断の客観性を過大評価しない」と言うのは、言い換えると、「自分の目にはウロコが入っているということをいつも勘定に入れて、『自分の目に見えるもの』について語る」と言うことです。〉

 さらに次のようにいう。〈自分の判断の客観性を過大評価しない」と言うのは単なる倫理的な心構えや自戒のことではありません。もっと技術的でクールな手続きのことです。〉

 技術的でクールな手続きとはどんなことだろう?

 

◎日々彦「詩句ノート」、浅井慎平句集から

〇浅井慎平句集から

・『ノスタルジア』(浅井愼平句集 2008)

「ノスタルジアは人生そのものである。人はなにかを見ればなにかを思い出す。五感すべてがノスタルジアの装置というわけだ。ぼくの場合俳句という表現にノスタルジアが、いつも忍び寄ってくる。ノスタルジアがあるから俳句が生まれるといっていい。」(あとがきより)

花いばら十七才のブルージーンズ 

銀河屋の赤きセーター又三郎

凧あげて助手をつとめし昭和かな

夕焼けに叫べばムンク冬に入る

冬の蝿とんで昭和の窓辺かな

雪ひらり人懐かしき人嫌い

 

・『冬の阿修羅』(浅井愼平句集 2009)

「小説も詩も、ぼくという宇宙のどこかでビックバンがあり、星がぶつかり、散り、漂い、集まり、それが言葉になって溢れ出てくる。」(著者・跋より)

青い空蓑虫見あぐ山頭火

ふるさとは持たず写真師百日紅

逝きし友白きシャツのまま見送れり

蚊帳匂う星の香りと思いけり

遠花火父を見捨てて少年期

夕立や失意いくつも跳ねている

木枯やこころは見えず二人酒

木枯しや中原中也のゆやゆよん

モナリザの微笑消えはじむ冬近し

雪霙霰青空五合庵

 

・『二十世紀最終汽笛』(浅井愼平句集、1993)

「言葉の花束を捧げたい。:様式の深さに自由の翼を。世紀末の闇をつらぬいて飛べるのは想像力だけ。想像力こそ希望。しかし、絶望を持たぬものに希望はない。絶望を抱くあなたに言葉の花束を捧げたい。明日のために。」

飢ゑ知らず戦後もしらず成人す 

ルノワール女の腰の春深く 

春の雨郵便ポストから巴里へ

風花や燐寸するとき夜の雲

始まりも終わりもなけれ冬銀河

雪くれて昭和彷う黒マント

 

〇2019年四季折々(2月18日~24日)

(18日)・まヽ事の飯もおさいも土筆かな(星野立子)

 昨日のNHK俳句・題「土筆」に浅井愼平(81歳)氏がゲストで出演された。写真家・浅井氏は俳句をたしなみ、俳人として数冊の写真俳句集を出している。

氏の想像力あふれる発想で投句者などの心情をおもんばかる発言に面白さを覚えた。

 昨日の一席は「汽車の音浴びてすくすくつくしんぼ」(徳竹邦夫)   

 立子の句は俳句を作り始めた頃の句で、虚子が述べるように「自然の姿をやはらかい心持で受け取ったまゝに諷詠する」その感性に心地よいものを感じる。

印象深い句から。「囀をこぼさじと抱く大樹かな」「美しき緑走れり夏料理」「朴の葉の落ちをり朴の木はいづこ」「しんしんと寒さがたのし歩みゆく」

(今日の一句)・古稀超えの少年少女土筆野へ

 

(19日)・象という宇宙冬の動物園(浅井愼平)

 NHK俳句に紹介された象の句は『哀しみを撃て』(浅井愼平 写真俳句集、2015)所収。他に「はじめから翳はありけり人の春」「花いばら痛いじゃないか純粋は」「紫陽花や鉄の匂いのする街に」「ジョバンニの森抜けて風青々と」「きみの弾くショパンは昏しソーダ水」「信長の消息来たる枯野かな」「漱石の古書干しにけりまたの冬」「初雪や赤きバケツに二粍ほど」「冬近し汽車の音する印刷機」「さみしさという定型や去年今年」

 氏の俳句集は、写真はもとより、添えられた俳句、詩、跋などに素晴らしさを感じる。印象に残る句集から。

 

・『冬の阿修羅』(浅井愼平句集 2009):「小説も詩も、ぼくという宇宙のどこかでビックバンがあり、星がぶつかり、散り、漂い、集まり、それが言葉になって溢れ出てくる。」(著者・跋より)

(今日の一句)・風に立つライオン春のノスタルジア

 

(20日)・玉砂利のおと柔らかき雨水かな(勝子)

 時折、友人から俳句を紹介される。定期的に俳句書籍などは送られてくるが、友人の句を読むのはその人の個人的な暮らし、心情をおもんばかるなど特に楽しい。

 上記の句は夫の大病の癌の手術が無事に終わり、伊勢神宮にお礼参りしたときの句という。他の句に「梅早し拝殿の鈴鳴らしけり」「御手洗の龍の口より春の水」がある。

 雨水は二十四節気の一つ草木が芽生える頃で、昔から農耕の準備を始める目安とされてきた。また、忍び寄る春の気配に草木が蘇るとの意がある。それと快癒の喜びと「玉砂利のおと柔らかき」との取り合わせに、心の春に向かう気持ちが現れたのだろう。

(今日の一句)・雨水の日おこす大地の湯気青し

 

(21日)・萬緑の中や吾子の歯生え初むる(中村草田男)

 先日「お食い初め」(おくいぞめ)のお祝いを娘夫婦と私たち夫婦でとり行った。

「食い初め」とは、生後初めて赤ちゃんにご飯を食べさせる祝いの行事。歯が生えるほどに成長したことを喜び、こどもが一生食べるものに不自由しないように祈り、健やかな成長を願う儀式です。平安時代頃から行われていたらしい。

 生後120日余りで、まだご飯を食べさせることはしていないが、生えている歯へ形ばかりのご飯などを添えた箸を当てていく。

 娘夫婦は由緒のある家系の影響もあるのか、このようなことに熱心で、関心の疎い私にはそのことを面白くみている。このようにして、ワイワイやるのは楽しいものだなと思った。

(今日の一句)・のどけしや親子嬉しきお食い初め

 

(22日)・鰯雲仰臥の子規の無重力(東国原英夫)

 孫は生誕時の体重が3キロ弱から今は7キロ弱になっている。妻によると体は重くなっているが、首がすわってきたので、抱っこすることがずいぶん楽になったそうだ。

 それまでは全身を受けとめ手に委ねていたわけで、少しずつ、重力に対応できる筋肉やからだ全体の発達が進み、自分自身で支えるような動きになってきたのだろう。

 まだハイハイはしないが手足の動きも活溌化してきて、驚きなのか喜びなのか大きな声を出すときがある。意志・意欲もかなり出てきているのを感じる。

(今日の一句)・重力に応ずる吾子や牡丹の芽

 

(23日)・瓦礫みな人間のもの犬ふぐり(高野ムツオ)

 エアコンの掃除に息子の紹介で業者に来ていただいた。越してきてから3年半ほどになり、普段あまり使わないのだが、かなり汚れたひどい状態になっていたという。建物そのものは築10年ほどになり、以前に、住んでいた人からのものも蓄積していたのだろう。

 わが家では掃除機をかけるのはわたしの担当になっていて、ほぼ毎日しているが、集塵状態を見ると、目に見える以上に埃はたまっているのがわかる。エントロピー増大の乱雑さは、自身の体、暮らしや社会の汚れを含めて、あらゆるところに及んでいくのだろう。

(今日の一句)・春塵や時間も塵になっている

 

(24日)・「ともどもに平らけき代を築かむと諸人のことば国うちに充つ」(皇后陛下)

 天皇陛下の平成在位30年記念式典のお言葉は、〈近現代において初めて戦争を経験せぬ時代を持ちましたが、それはまた、決して平坦な時代ではなく、多くの予想せぬ困難に直面した時代でもありました。〉と述べ、〈日々国の安寧と人々の幸せを祈り、象徴としていかにあるべきかを考えつつ過ごしてきました。〉と振り返り、しみじみしたものと感じた。

 永田和宏氏はお二人の数多の慰霊の歌について次のようにいう。

〈寄り添い方には今の国民に対する共時的なものと、歴史的、通時的なものがある。災害でいま苦しんでいる人々へのお見舞いと、戦争の犠牲者への、悲しみの記憶を持って生き続けた人たちの時間に寄り添う慰霊とは、同じ寄り添うことの両面なのだと思う。平成の天皇の象徴性は、寄り添うという行動の中にあるものと考えたい〉(※1/17神戸新聞より)

 ささやかでも、寄り添うことの両面を大切にしていきたいと思っている。

(今日の一句)・陽炎や過去も未来も今のこと