日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎「ありがとう」で成り立つ社会へ(ひこ生えの記⑨)

 孫の誕生後、ひとは生まれから、おこってくる欲求などに、一方的に周りの人に受けとめられ、応えてもらうことで生きていけるのだなと思う。

 少し考えれば、先人がつくり上げたものを当たり前のように享受し、ほとんどのことを他の人に支えられたりやってもらったりして、今まで生きてきたのだなと改めて思う。

 電力、ガス、上下水道をはじめ市民社会の基礎的なサービスは、もとから自然物としてそこにあるものではなく、市民たちの集団的な努力で維持されている。

 教育、医療、司法などの社会制度も、言語も、学術も、生活文化も、すべてが先人からの贈り物であって、わたしたちが自力でつくり上げたものは、ほとんどない。

 

 生きるための食生活に欠かせない農産物・食材も、多くの人の働きで、出来上がっている

 北海道での酪農から始まり精肉など牛関係の仕事に20年ほど携わってきた体験からみると、店で見ることができる「牛肉」「加工品」に、どれだけ数多のエネルギーが籠められているのかは、携わったことのない人には、よく分からないのではと思う。

 現代社会の特徴的な考え方として、自動販売機的な発想法がある。貨幣やカードを入れると、自動で物品の購入やサービスの提供を受けることができる機器のように、大した手間をかけずに、自らの希望のものが手に入るという発想である。

 この発想法は、確かに便利な面もあるが、ものごとに対する配慮の念、心の粗末な味気ない暮らしになっている面もあるだろう。

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〇贈与と反対給付が根源的に人間社会を成り立たせてきたとの見解から、贈与論を展開している内田樹『待場のメディア論』に次のような一節がある。

〈マルセル・モースも、ブロニスワフ・マリノフスキも、クロード・レヴィ=ストロースも人間社会の基幹制度はすべて反対給付義務に基づいて構築されているという仮説に基づいてその人類学モデルを体系化しました。そして、その仮説の妥当性は今のところ反証されておりません。

 モースは彼の探求の目的についてこう書いています。

受け取った贈り物に対して、その返礼を義務づける法的経済的規則は何であるか。贈られたものに潜むどんな力が、受け取った人にその返礼をさせるのか

「贈られたものに潜む力」を軽んじてはを軽んじてはいけません。「贈り物」を受け取った者は、心理的な負債感を持ち、「お返し」をしないと気が済まない。この「反対給付」の制度は地上に知られる限りのすべての人間集団に観察されます。(傍線原文、p.169)〉

 

 上記のことを云々できる力量はないが、それが心理的な負債感や返礼義務を帯びるとなると嫌だなという感じもある。

 しかし、直接それに対してではなく、とてもありがたい気持ちが残ると、何かあれば、「お返し」ということとは関係なく、贈り物をしたくなる気持ちが沸いてくる。

 

〈本を書くというのは本質的に「贈与」だと僕が思っているからです。読者に対する贈り物である、と。 

 そして、あらゆる贈り物がそうであるように、それを受け取って「ありがとう」と言う人が出てくるまで、それにどれだけの価値があるかは誰にもわからない。その書きものを自分宛ての「贈り物」だと思いなす人が出現してきて、「ありがとう」という言葉が口にされて、そのときはじめて、その作品には「価値」が先行的に内在していたという物語が出来上がる。その作品から恩恵を蒙ったと自己申告する人が出てきてはじめて、その作品には浴するに値するだけの「恩恵」が含まれていたということが事実になる。はじめから作品に価値があったわけではないのです。 

 書物の価値はそういうふうに順逆の狂ったかたちで構造化されている。僕はそう思います。(p145)〉

 

 出雲で九十歳過ぎの義父母と暮らしていたとき、贈答品・お祝い金・香典など何時・誰から・金額・どのくらいのものかなど事細かに記録したノートがあり、お祝い事など何かあるとそれにあわせて等価になるように用意していた。

 また、義父母がもらい受けた数多の贈答品が物置に山積みになっていて、両親死後全部といっていいほど処分した。もらった人が「ありがたいと」と思わない限り、価値は全くないだろう。むしろ余計なものになりかねない。

 書籍についても、読んだ人に何か恩恵をもたらさない限り、著者の自己慰安になっても、やがて塵になるばかりである。

 

〈僕が言いたかったことは、人間たちの世界を成立させているのは「ありがとう」という言葉を発する人間が存在するという原事実です。価値の生成はそれより前にはさかのぼることができません。「ありがとう」という贈与に対する返礼の言葉、それだけが品物の価値を創造するのです。(傍線原文、P183)〉

 

 この本はメディアのことを論じながら、一種の贈与論になっている。

 小項目のタイトルに、〈「ありがとう」が言えない社会/社会制度の根源「ありがとう」/メディアとは「ありがとう」という言葉〉とあり、要所にこの言葉が出てくる。

 育児・子育て・介護課題などを考慮すると、贈与経済論よりもっと広く探る必要があると思っていた私には、いろいろ考えたい内容に満ちている面白い本となった。

 

 次の提言も、どういうことを言わんとしているのか、しばし立ち止まってしまった。

〈自分が現にここにあること、自分の前に他者たちがいて、世界が広がっていることを、「当然のこと」ではなく、「絶対的他者からの贈り物」だと考えて、それに対する感謝の言葉から今日一日の営みを始めること、それが信仰ということの実質だと僕は思います。

 人間を人間的たらしめている根本的な能力、それは「贈与を受けたと思いなす」力です。〉(p205)

 

※能力(心):(ア)認識・感情・欲求・行動など精神現象の諸形態を担う実体。(イ)どれだけ精神機能が働きうるかという可能性。(広辞苑第五版)

 

 むろん、乳幼児には贈与などの意識はないと思う。ここの人間とは「成熟した人」という意味合いだろう。だが、「ありがとう」という純真な心の動きは、かなり小さいころから培っている子どももいるのではないだろうか。

 以前、山の向こうにのぼった朝日に向かって、感謝の挨拶をしてから一日の営みが始まるという人の話を聞いた時、自分にはとてもやれそうにはなかったが、いいもんだなと思ったことがある。おそらく太古から現在に至るまで、そのようにしている人は世界中にいるような気がする。

 

  参照・内田樹『待場のメディア論』(光文社、2010)

◎サザンオールスターズが好きだ

 最近音楽番組はほとんど見ないが、サザンオールスターズは好きで、注目している。

 サザンオールスターズ・桑田佳祐の、12月2日に開催されたパシフィコ横浜でのコンサート「平成三十年度!第三回ひとり紅白歌合戦」を紹介した記事があった。

 エイズ啓発活動「Act Against AIDS」の一環で、5年ぶりに開かれた「ひとり紅白」だそうだ。

 

 サザンの魅力は、メンバーの息の合ったチームワークとそれを支える多くの仲間がいて、全力を尽くして、どこまでも多くのファンに可能な限り堪能してもらうこと、そして自分たちの力の限りを尽くすための高い情熱と綿密な企画力それを支える卓抜な技能にある。

 

 1978年に「勝手にシンドバッド」でデビューしてから、2018年に40周年を迎えたNHKホールでの番組で、メンバーがお互いについて語っている場面が紹介されたことがある。

 華々しい桑田や共演者たちに溶け込みながら落ちついた感じを出しているメンバ―の中で、奇妙な動きをしている野沢秀行(パーカッション)について桑田は、「音楽的には彼がいてもいなくても変わらないと思うが、彼がいないと、サザンは面白くなくなるんです」というような発言があり、印象に残っている。

 

 活動はむろん、その発言も共感するものがある。社会風刺や反戦歌などの楽曲を作ることについて桑田は次のようにいう。

〈「光を描こうとすれば、どうしてもその対極にある忘れてはならないことも描かなければならない」

「世の中が不穏で歪んでいれば、歌だって自ずと歪むと思うんです」。

「僕だって自分の日常がありますから、全ての問題について毎日思い続けていられるわけじゃない。(中略)ただ、それでもおかしいことはおかしいと思うものだし、たまたまそれがきっかけで音楽が生まれたのなら、それを歌えない空気も、そこで歌えない自分も僕は嫌なんです」。

「戦争はなかなか無くならないことも、平和を訴えるうえでのある種の虚しさも、大人ですから薄々は気付いています。でも言うだけでも言わなきゃ夢が持てない。僕は夢のない世の中が一番怖いと思っています」。〉

 

 桑田の反戦を訴える姿勢は祖母や父の影響によるものであり、特に父からは満州からの引揚者だったこともあって、満州での話や「品格とは真逆の、人間が究極の状態に追い込まれた時の様子」などの話をよく聞かされていた事を述べている。

 

 また、次のような記事もある。

〈2015年の『SWITCH』でのインタビューでは、「メインストリームで風刺やプロテストソングを歌うアーティストが少ない現代で寂しさや使命感、もしくは矜持のような感情を抱くことはありますか?」といった質問をされ、桑田は「全くありません。そこは人それぞれですから。若い頃は恋愛や遊びに大半の時間を割くし、何より今の若い人と僕らでは生活環境も情報量もまったく違うでしょうから」「(自身に特定の主義主張や思想が無い事や、エロティックな楽曲を多数制作している事を述べた上で)つまり僕も俗物なんですよ」「ましてやシンガーソングライターの矜持なんかじゃない」「強いて言えば“衝動”でしょうか。作品としての歌って、本来は衝動的な叫びみたいなものじゃないですか」と応えている。〉

 

 参照:SWITCH Vol.33 No.4 Southern All Stars [我が名はサザン](2015年)、「ウィキペディア」などより。

 

「ひとり紅白」終了後、桑田の歌い手としての新たな決意表明がナレーションで流れた。

〈流行歌。ヒット曲。

 大衆はいつの世も、それを求めている…と私は思っていた。しかし、近年は何かが違う。歌は世につれ世は歌につれ、と言うが、世はあまり歌につれなくなったのだ。

 本来『大衆』とは『欲望』をあらわにし、『非常識』というものをエサにたくましく生き永らえようとする生き物であり、怪物である。

 流行歌とは、ヒット曲とは、それを証明する魂の雄たけびであり、非常識や夢物語を声に出すための道具であった。

 弱さ、醜さ、ずるさ…、それら人間の業を肯定するものが流行歌なのだとしたら、私たち大衆音楽作家は、ここ数年いったい何をやって来たのだろう?

 Act Against AIDSのテーマも、その根幹には『人間の弱さをどう乗り越えていくか』という課題があったように思う。

 AAAの活動自体は2020年に終焉を迎えるが、世の中にはその他にもさまざまな問題が山積みとなっている。

 流行歌。ヒット曲。

 大衆と程良くがっぷり四つに組み、新たな音楽を作り続けていくことを、私は辞めないだろう。 平成30年という1つの時代の節目に、私はそう思いを新たにするのだ。〉

 

 桑田(62歳)をはじめ60歳代前半のサザンが、どの様な高齢化をたどり、その面白さを醸し出していくのか楽しみである。

◎「生物的な親」から「受けとめ手としての親」へ(ひこ生えの記⑧)

  出産後、自分の体のことで娘が病院に行くことになり、孫はわたしたちの居室で過ごすことになった。誕生後40日ほどで、母親から離れて別の部屋での初めての体験である。

 孫にとっては、未だ母というより受けとめ手として、お腹がすく、あるいは何か不快なことにより泣けば、受けとめ手の母親は何をおいても適切に対処しようとする。

 そんな身近な受けとめ手(娘)がいない環境でどのようになるのか、興味深くみていた。

 

 まず、わたしたちのベッドに寝かせ、妻は「そばに誰かいれば安心するのよ」といいながら添い寝をした。はじめ珍しそうに眺めていたが、そのうち眠りにつく。しばらくすると泣き出し、妻が抱きかかえると、すぐに気持ちよさそうに目をつむる。ベッドに戻すとまた泣き出す。やがて眠りにつきベッドに寝かせる。

 むろん孫には血縁意識などあろうはずがなく、傍に受けとめ手がいることが大事なのだろう。3時間ほどであったが、とても面白かった。

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〇「生物的な親」と「受けとめ手としての親」は必ずしも一致しないことを踏まえて、芹沢俊介は次のようにいう。

〈生物的な親子は「親子である」という親子関係の出発点にすぎず、そこから受けとめ/受けとめられを基本関係とする「親子になる」というプロセスがはじまるのである。

 子どもといういのちにとって望ましい親子の対幻想は、生物的な親が、いのちの受けとめ手というモチーフに先導され、受けとめ手の親というあり方にその重点をシフトしてゆく過程に、あるいは生物的な親が受けとめ手の親というあり方を新しく獲得してゆく過程に生じてくるのである。この両方の親子の対幻想に抱擁されてあるとき、子どもといういのちは安心し、安定する。そうなってはじめて、約束されているはずの自らの成長・発達の過程を歩むべく全エネルギーをそこへと注ぎこむことが可能になるのである。

 これをウィニコットは「子どもは誰かと一緒のとき、一人になれる」というふうに命題化したのである(『遊ぶことと現実』)。「誰か」とは誰でもいい誰かではなく特定の誰か、受けとめ手のことである。〉(『家族という意志』P67)

 

「生物的な親」から「受けとめ手としての親」への移行が未完了だと、子育てに困難を覚えたり、拒否感を覚えたり、はては暴力、遺棄や虐待につながっていくこともある。

 さらに、受けとめ手が現れないこと、受けとめ手がいなくなること、受けとめ手を失うこと、要するに受けとめ手の不在、欠如という事態があると不安を抱えたまま成長することになる。

 

 乳幼児期の体験はそのまま「心の核」に保存されていて、成長後の人間を支配する面があり、その時期の母子関係がのちの他者との「関係の原型」になる。当然このことは人間一生にも通じるという指摘をする人も少なからずいる。

 

 だが、子どもからみたら、どのような家庭に生まれ、母親や養育者を予見できるわけではない。自分の暮らしで精一杯の親もいるだろうし、生まれながらにして、あるいは何らかの事情により児童養護施設などに入れられるケースもある。

 

 わたしの知人に、熊本の赤ちゃんポストから乳児を引き取り、何年か一緒に暮らし可愛さが増したころ、里親となる人に引き渡すことになり、それまで育つ過程の話や写真を見せていただいたことがある。そのような里親活動をしているグループがあるそうだ。

「受けとめ手」は血縁関係と関係なく、その他の関係でも機能するのだろう。

 

 広げて考えれば、特定の「受けとめ手」がいること、それを支える人の和は、乳幼児期には切実な問題となるが、ある程度成長するまで、子どもの育ちに関する大きな課題ではないだろうか。

 

※ウィニコット:イギリスの小児科医、精神科医、精神分析家。特に対象関係論の領域や「ほどよい母親」「独りでいられる能力」などが広く知られている。

〈独りでいる(いられる)能力(the capacity to be alone)とは、情緒的成熟と密接に関連した、安心して孤独を楽しんでいられる力のことである。独りでいられる能力は洗練された現象である。----いろいろな体験が独りでいられる能力の確立に寄与するが、その最も基本的なものは、「幼児または小さな子どものとき、母親と一緒にいて独りであった」という体験である。つまり独りでいる能力は逆説であり、誰か他の人が一緒にいるときにもった、「独りでいる(to be alone)」という体験である。他者と一緒にいて独りであるということは、未熟な自我が、母親に自我を支えてもらうことによって自然な均衡を得る人生早期の現象である。こうして時を経るとともに、自我支持的な母親を取り入れ、母親が四六時中横にいなくても、独りでいられる能力が育ってくるのである。(『ウィキペディア』より)〉

 

参照・芹沢俊介『家族という意志』(岩波新書、2012)

・ウィニコット『遊ぶことと現実』(橋本雅雄訳、岩崎学術出版社、1979)

 

◎他者とは「時間差を伴った私」であるという想像力(ひこ生えの記⑦)

〇最近、息子が技術を生かして独立することになり、新たな事業場を借りて着々と準備を進めている。その事業場はかなり汚れていて、それなりに清潔にするために、日曜ごとに私たち夫婦が出かけて一緒に掃除、磨きなどしている。家族なら当然のような気もするが、娘の出産さんのときも感じ、何かと支援していきたい気持ちが起こる。

 50歳過ぎてから、25年余所属していたある共同体を離れた。介護仕事のかたわら、精神障がい者の支援グループに加わったり、病院併設の養護学校のボランティアグループを立ち上げたりと、その共同体を離れた高揚感や50歳半ばのバイタリティーもあったのか、かなり精力的に動いていた。生活にほとんどゆとりはなかったが、あれは何だったろうかと思う。

 身近な人や友人に何かあると、出来ることは限られているし、身体的には足手まといにならないともいえないが、「猫の手」くらいにはなろうとする気概はどこから出てくるのか。

 どちらかといえば、のんびりと好きな小説でも読んでいたい自分ではあるが、動きのぎこちないこの身になっても、何かと支援したい気持ちはどこから生じてくるのか。

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〇内田樹は、講演「共生する作法」で次のようにいう。

〈若い者からみれば「老人」というのは「いずれそうなるかもしれない自分」です。「幼児」というのは「かつてそうであった自分」です。老人も幼児も他者の支援がなくては生きていけない、栄養もとれないし、移動も出来ない。周りの支援がないと生きていけない。病人や障害者もそうです。それは「そうなったかもしれない自分」です。それを今健康で十分に活動的である「自分」が、「かつてそうであった自分」「将来そうなるであろう自分」「高い確率でそうなるかもしれない自分」を支援する。それは相互支援というよりもむしろ「時間差を伴った自己支援」なのです。ある分岐路で違う道を選んでいたら「こうなっていたかもしれない自分」、自分の可能態に対する支援なのです。

 こういうふうに考えるためには、別に人に抜きんでた倫理性や愛情深さなんか要らない。そんなものものを求めるのはむしろ有害だと僕は思います。自分が他の人よりもずっと人格的に高潔で、慈悲の深い、例外的な善人であるという自己評価が強化されればされるほど、そのへんでうろうろしている幼児や老人を見て、「ああ、これは私」と思う可能性は減ずるからです。〉(内田樹講演「共生する作法」p314)〉

 

 最近街で出会うよぼよぼ歩いている老人や、ぎこちなく何かをしようとしている障がい者に出会うと、かぶさって見えてくる自分を感じることが多い。介護など福祉関連の活動をしていたときは、対象となる人にもよるが、「施す自分」と「施される他者」との距離があり、自分自身に引き付けては、あまり思えなかった。また、娘の出産後、乳幼児を抱いている親子を見ると、おお頑張っているなと、なんとなく身近な感じを覚えている。

 過去の自分、未来の自分、多元宇宙における自分を支援できる想像力が問われている気がする。

 

〈実際に、自分の中をじっと観察すると、「自分らしくない要素」がいくらでも見つかります。自分の中には幼児もいるし、老人もいる。おじさんもいるし、おばさんもいる。毅然とした人間もいるし、卑屈な人間もいる。器の大きい人間もいるし、せこい人間もいる。いろいろな人格ファクターが散乱している。でも、それは全部「自分」であるわけです。

 自分の中に、そういうわけのわからない他人をたくさん抱え込んでいる人にとって、まわりにいる「わけのわからない他人」はだんだん自分の親類のように思えてくる。そういうメカニズムだと思うんです。自分を絞り込まない、決めつけないほど人間は他者に対して寛容になり、親身になる。自分の中に弱さや卑しさや愚かさを認められる人間ほど、他者の弱さや卑しさや愚かさに対して寛容になれる。逆に、自分の中の弱さや卑しさや愚かさを認めない人間は、他者に対しても非寛容になります。目標を高く掲げて、自己陶冶に励むこと自体は悪いことではありません。でも、その結果、自分ほど努力していない他人に対しては非寛容になり、意地悪くなるなら、そんな努力はしない方がましだと僕は思います。〉(『内田樹による内田樹』p43)

 

 実際に、自分の中をじっと観察すると、いろいろな要素がある。上記の「いろいろな人格ファクター」は、ほとんど当てはまりそうである。

 以前、身近な人と口論するときがあり、そのうち腹が立ってきたことがある。そのようなことは近来なかったこともあり、70歳過ぎてのこのありさまに、少し落ち込み、自分自身に対し嫌な気持ちがしばらく残った。おそらく相手もかなりショックだったのではないだろうか。

 

〈相互支援というのは、「立派な人間」になることをめざすのではなく、こわばった「自我」の枠組みを解体することからしか始まらない。大事なのは、個人の倫理性や社会的能力を高めるということではありません。そうではなくて、自我の枠組みをはずし、自我の壁の隙間からしみ出していって、まわりの人たちとどこまでが自分でどこから他者なのか、それが不分明になるような「中途半端」な領域をどこまで拡大できるか、そういう技術的な課題なのです。〉(内田樹講演「共生する作法」p315)

 

 この提言は、面白いと思えるものの、長い間、「自我の枠組み」を大事にしてきたいまの自分には厳しい課題かも知れない。

 ことさら、自己実現とか自己責任といわなくてもいいと思うが、一人ひとりが、自分の頭で考え自分の足で立つことができる「自立」は大事なことだと思っている。その上で自我の枠組みを外し、他者との「中途半端」な領域をどこまで拡大できるかが課題となるのだろう。

 どちらにしても、支援したいとき、無理なく出来る範囲で支援するし、そのような気持ちがないときは、しないでおくことが大切だと思う。

 

参照・内田樹『内田樹による内田樹』(140B、2013)

・内田樹講演「共生する作法」(『最終講義』文藝春秋文庫版所収、2015)

◎乳幼児の知覚発達から「心の世界」へ(ひこ生えの記⑥)

 娘の出産後、妻は3週間ほど家事支援に入る。乳児の風呂入れをするたびに、その子の身体が逞しくなっていくのを感じるそうだ。左手で頭を支え、右手で体を洗うのだが、日に日にどっしり感が伝わり、ときおり足をける動作もあり、出産時2800余の体重の増加が500~1000gほど増えて、ぐっと重さを覚え、より緊張するようになったという。

 妻はわたしに比べかなり体は動くが、70歳過ぎての家事支援は大層堪えたそうだ。

 

 近来の「赤ちゃん学」の研究で、生まれた直後からさまざまな能力が成長し、新生児は、ほとんど目をつむっているが、視力も0.01~0.02ほどあり、脳の未熟な状態もあり、認識はおぼろだと思うが、顔などに反応を示すそうだ。10日ほどしたとき向かい合う機会があったが、こちらをじっと見ているような気がした。

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〇乳幼児の「心の世界」の成長に大いに関係するするだろう知覚の発達に関して、関心を寄せている鈴木秀男『幼時体験』から取り上げてみる。

 

〈新生児は、最初、反射的に乳を吸い始める(吸飲反射)にしても、毎日何回となく吸乳を繰り返している間に、自分と母親との関係をしだいに了解するようになってゆく。いいかえると、吸乳をとおして、自分と母親とを結びつける意識、すなわち最初の関係意識が分化してゆくということである。しかも吸乳は、単なる接触ではなく、生命の維持に不可欠な食物をとるための行為であり、それがそのまま母親を確かめる行為になっているところに、重要な意味がかくされているのである。〉(p86)

 

 生まれてから、ある種の感覚は働いているだろうが、それを何かと結び付けること、あるいは意識化するには、同じような体験の積み重ねと、脳機能の成長が欠かせない。

 五感の中で大きな役割をなす視覚は、それまで漠然と眼でとらえていたことを、繰り返しと「脳」の成長にともなって、意識しやがて認識するのだろう。それはさまざま説があり、その子の状態によるが、ほぼ生後2か月後ぐらいとする見方が多い、授乳に伴ってまず母親の乳房が、次いでその顔が視覚に入ってくる。もちろんそれもはじめは単なる像にしか過ぎないが、くり返しによって次第にその切実な意味が了解されるのだろう。

 

〈子どもは母親を視覚によってとらえることができるようになると、母親との関係にある変化が起こってくる。子どもは最初、直接触れることによって母親を確かめて安堵を覚えるのだが、視覚が加わってくると、その姿を見ただけで安心するようになる。つまり、子どもは母親から空間的にすこし離れても不安を持たなくなるのである。それは、子どもが母親とある距離をとることができるようになるということで、それ自体母親からの独立の開始を意味している。この、最初の直接接触の段階で母親に不安を持った子どもは、母親に距離を置くことができず、いつまでも直設接触の関係に固執すると考えられる。〉(p94)

 

 視覚の発達により、母親との関係が密接になり、やがてある変化が起こってくる。そしてもっとも遅れて発達するといわれている聴覚は、その対象である音を、じかに触れてみることも、眼で見ることもできないので、人間の知覚の中でいちばん高度な関係意識を必要とするという

 

〈抱かれて乳を吸いながら聞く母親の声、あるいは、眼の前で自分に語りかける母親の声というように、母親とその声とを結びつけられるようになるまでには、触覚や視覚による確認が何回も繰り返される。その点からいえば、直接触れてみることも、眼で見ることもできない音というものは、知覚の対象としてはもっともとらえにくいものなのである。そして聴覚においても、視覚のばあいと同じように、母親の声をほんとうに聞き分けられるようになってから、それ以外の音をとらえられるようになるのである。〉(p97)

 

 この知覚の発達から、ひとの「心の世界」へと考察は展開する。

〈人間の「心の世界」というものは、自分自身を含めた対象を、どこまでも正確にとらえられるように発達していくものと仮定すると、わたしたちが絵や彫刻を眺めるときにある距離をとる必要があるのと同じように、対象に対して空間的な距離を取ることを覚えなければならない。したがって、子どもが視覚や聴覚によって母親をとらえられるようになることは、その最初の体験だといえよう。そのばあい、母子関係がどれくらい安定したものであるかによって、母親とどれだけ距離をとれるかが決まるのである。母親からすこし離れただけでも「置き去り」にされるのではないかという不安を克服できず、母親との空間的な距離をとることができない子どもは、自分を含めたすべての対象にたいして、距離をとれないまま成長することになる。〉(p98)

 

 ひとの成長の基盤づくりに、3~4歳の時期がかなり重要となるという見解は、発達心理学などの専門家に限らず、そのようにみる人も多いのではないか。

 マズローの欲求5段階説を発展、修正を加えた、アルダファによるERG理論は、人間の欲求を、生存欲求・関係欲求・成長欲求の3つに分類する。

 関係欲求とは、他人との良好な関係にまつわる欲求をさす。関係欲求の重要性を唱えた脳型コンピューターの先駆者・松本元は次のようにいう。

 

〈人は集団として生きる動物であり、集団の中で生活し、行動する社会的な動物として進化してきた。いってみれば、われわれは他の人と関わることによってのみ生きることができるのである。そのためわれわれには、生まれつき人との関わりを求めようとする関係欲求が、遺伝的ともいえるようなものとして備わっているのではないかと考える。この関係欲求が充足されないと、たとえ生理的欲求がよく充足されていても脳活性は上がらない。

……脳にとっての最大の価値、そして活性化のもとは、関係欲求の充足であり、それは愛という概念で表現されるものなのである」(『愛は脳を活性化する』)〉

 

 乳幼児期の母親はむろん、身近な人との関係による、信頼感、安心感の構築は、その後の人生の基盤になるのではないだろうか。

 

参照・鈴木秀男「幼時体験」(北洋社、1979)

  ・松本元『愛は脳を活性化する』(岩波科学ライブラリー 、1996)

 

◎「いのち受け吾子は花野をかけめぐる」(ひこ生えの記⑤)

 娘の妊娠中に、生まれてくる子の名前をどうしようかと話題になったことがある。10月出産予定なので、女の子だったら俳句で秋の季語となっている「花野」で〈かの〉とよんではどうだろうかと言ったところ、娘も気にいったようで、そのように名付けた。

 

「花野」は秋の草花が色とりどりに咲き乱れる広々とした野をいう。

 平安時代から詩歌に使われているそうで、次のような歌・句が思い浮かぶ。

・天渺々笑いたくなりし花野かな(渡辺水巴)

・神の子の地に低く飛ぶ花野かな(正岡子規)

・なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな(与謝野晶子)

 

 病院併設の養護学校に携わったとき、まず、一人ひとりの名前、顔や身体状態をつかむことからはじまった。介護を仕事にしていたときもそこからはじまる。

 名前は記号にすぎないが、あの子、あの人ととらえるよりも、生身のその人に、より近づいていくような気がする。

 最近は犬や猫を家族と位置づける人たちも増えている。友人の飼い犬に「ころ」と名付け親しんでいるのを見ると、いのちの息吹を感じ、いいものだなと思うことがあった。

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〇鶴見俊輔などによる共著『いま家族とは』(岩波、1999)に収められた「その他の関係」の表題で、耕治人『そうかもしれない』にふれた文章で、鶴見は次のようにいう。

 

〈自分が、やがては家族にとっても「見知らぬ人」となる。そして「物」となって終わる。物になれば、宇宙のさまざまなものと一体になるので、そんなに寂しいわけではないんですよ。存在との一体を回復するわけですね。

 どんな人でも、家のなかでは有名人なんです。赤ん坊として生まれて、名前をつけられて、有名な人なんですよ。たいへんに有名です。家のなかで無名な人っていないです。それは、たいへんな満足感を与えるんです。私は、人間がそれ以上の有名を求めるのは間違いではないかと思いますね。そのときの「有名」が自分にとって大切なもので、この財産は大切にしようと思うことが重大なんじゃないですか。(中略)

 自分は、かって家のなかで有名な「者」であった、その記憶を大切にする。そして、やがて自分は「物」となって、家族の者にとってさえ見知らぬ存在になっていくという覚悟をして、そして物としての連帯に向かってゆっくりと歩いていくという覚悟をもって、家を一つの過度期として通り抜ける。それが重要じゃないんでしょうか。〉

 

 耕治人『そうかもしれない』は、作家の実生活をもとに描かれた作品である。

 お互いに80歳を過ぎ、50余年連れ添った妻が脳軟化症で特別養護老人ホームに入所。介護していた「私」も喉頭がんになり入院する。

 のち、老人性痴呆症の症状がさらに進んだ妻は、もはや「私」を夫と識別できなくなっている。妻が付き添いの人に連れられて車椅子で夫の病院に面会に来たとき、付き添いの人に、「この人は誰ですか」とか、「このかたはご主人ですよ」などいわれたが、返事をしなかった。何度日かに「ご主人ですよ」と言われたとき、「そうかもしれない」と低いが、はっきりした声で応える。

 そのとき戸惑いを覚えた「私」の心を占めるのは、「家内と一緒になって五十年、なに一つ亭主らしいことをしていなかった」という悔恨の情であり、結婚以来困難に対して常に「逃げ腰」だった「私」を批難するどころか黙って矢面に立ちつづけた妻に対する尊敬の念である。

 作家本人もがんで入院し、妻よりも先に81歳で死去。この作品が絶筆となる。

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 鶴見のこの一節から次のことを思う。

「その他の関係」に包まれて「私」の成長は成り立っている。

「通り抜けるものとしての家族」のなかで、子どもは有名人として育まれていく。

「老い」を迎え、やがて「物」となって、宇宙に包まれていく。

 

参照・鶴見俊輔・春日キスヨ・徳永進・浜田晋『いま家族とは』(岩波書店、1999 )

  ・耕 治人『そうかもしれない』(晶文社、2007)

◎「相互扶助的共同体」が成り立つ気風(ひこばえの記④)

 ※先回の投稿「先行世代から後続世代」に若い友人K君から次のようなコメントがあった。

「パプアニューギニアを見ていると、オーストラリア中国日本などを追い掛けているようです。日本のようにならなくたっていいのだよ、なってはいけないって、よく思うのですがね。」 

 

〇内田樹『グローバル宣言』は、資本主義に先はない、と「直感」した青年の一部、「経済成長モデル」に疑いを持つ青年たちが、近年、地方へ「ターン」し始めている。というような動向を踏まえて、あらゆるものが商品化され、「お金」に一元化されていく風潮に対し、具体的に自らの実践も紹介しながら「ローカリズム」と「相互扶助的共同体」というプランを提出している。

 この面から取り上げてみる。

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 2011年に大学を退任した内田樹は神戸に「凱風館(かたくなな心を開く広場)」を開いた。それは合気道の道場であり、住まいでもあり、「私塾」でもある。同時に三百人の「相互扶助活動」のハブともなっている。

  

〈先行世代から受け継いだものを後続世代に引き継いでゆく、そういう垂直系列の統合軸を持った相互扶助・相互支援的な共同体が、もう一度、たとえ局所的にではあれ再建されなければならないと思います。その共同体の最優先の課題は、子どもを育てること、若者たちの成熟を支援することです。〉(『街場の共同体論』p200)と述べている。

 

『グローバリズム宣言』では凱風館のことについて次のように記録している。

〈メンバーそれぞれが、自分の持つ特技や情報(※農漁業、育児、IT,医師等)によって共同体にサービスを提供してくれます。そうやって凱風館では、実に活発な交換が行われています。でも、そこには貨幣が存在しない。凱風館で行き来している財貨やサービスは、これらを市場で購入しようとすれば、それなりの代金を支払わなければならない質のものです。でも、ここでは貨幣は用いられません。受け取ったサービスに対して自分がいつか、自分が得意とする分野の仕事で「お返し」をすればいい。そういうルールになっている。貨幣が動かないので、凱風館で行われている経済活動はGDP的にはゼロ査定されます。------- 

 凱風館が小さいなりに非市場経済、非貨幣経済の場となりえているのは、ここが教育共同体だからです。(69p))

 

  先人から渡されたものを次の世代へ、仲間から提供されたサービスを、出来る機会が来れば、自分の得意技やできる範囲でお返しする。凱風館はこの気風が当たり前のように根付いているのだろう。

 本書では他にも,岐阜県中津川市の自治体の「人口3000人の村で27軒の飲食店がつぶれない」などの実践例や群馬県上野村で暮らしている内山節氏の村づくりの思索を援用しながら論を進めている。

 〈ローカリズムとは何かというと、自分たちの生きている地域の関係性を大事にし、つまり、そこに生きる人間たちとの関係性を大事にし、そこの自然との関係を大事にしながら、グローバル化する市場経済に振り回されない生き方をするということです。

 ここが自分たちの生きる世界だという地域をしっかりもちながら、そういうローカルな世界を守ろうとする人々と連帯していく。(内山節『ローカリズム原論』p106)

 

「相互扶助的共同体」における一人ひとりの基本的な心のありようとして、内田樹の次の見解は「そうだよな」と思っている。

 

〈ひとりひとりおのれの得手については、人の分までやってあげて、代わりに不得手なことはそれが得意な人にやってもらう。

 この相互扶助こそが共同体の基礎となるべきだと私は思っている。

 自己責任・自己決定という自立主義的生活規範を私は少しもよいものだと思っていない。

 自分で金を稼ぎ、自分でご飯を作り、自分で繕い物をし、自分でPCの配線をし、自分でバイクを修理し、部屋にこもって自分ひとりで遊んで、誰にも依存せず、誰にも依存されないで生きているような人間を「自立した人間」と称してほめたたえる傾向があるが、そんな生き方のどこが楽しいのか私にはさっぱり分からない。

 それは「自立している」のではなく、「孤立している」のである。

 私は自分で生活費を稼いでいるし、身の回りのことはだいたいひとりでできるけれど、そんなことを少しもよいことだと思っていない。-------

 自分がしなければならないことを誰かがしてくれれば、そうやって浮いたリソースで他人のしなければいけないことを私が代わりにやってあげることができる。----

 それが「交換」であり、それが人性の自然なのだと私は思う。〉

(内田樹著『ひとりでは生きられないのも芸のうち』文庫版p270)

 

「相互扶助的共同体」には乳幼児もいるだろう、病気、高齢などによりほとんど寄与できない人もいるだろう。

 また、「人間が集団として生きて行くためになくてはならぬもの、自然環境(大気、海洋、河川、湖沼、森林など)、社会的インフラ(上下水道、交通網、通信網、電気ガスなど)、制度資本(学校、医療、司法、行政など)は、機能停止しないように定常的に維持することが最優先される。」

 そういうことも含めて「相互扶助的共同体」が成り立つには、その規模によるがさまざまな英知を結集する仕組みがいる。

 そこには、そこで起こることは「私たち」のことだと思える一人称複数的な主体がある程度いることが欠かせない。

 いずれにしても、贈与と反対給付のルールを内面化した人たちや気風があることが、大きいのではないだろうか

 

文献・内田 樹『ローカリズム宣言』―「成長」から「定常」へ( デコ、2017)

・内田 樹『街場の共同体論』(潮出版、2014)

・内山 節『ローカリズム原論』(農文協、2012)

・内田 樹『ひとりでは生きられないのも芸のうち』ーあなたなしでは生きてゆけない(文藝春秋・文春文庫、2011)

◎先行世代から後続世代へ(内田樹『ローカリズム宣言』から)(ひこ生えの記➂)

 ※ここのところ身近な人が亡くなり、一方新たないのちが誕生している。そこで、改めて自分の立つ位置を考えてみる。

 最近ともすれば自己の衰えに目がいきがちになるが、そのことよりも、人生リレーの一員として、世話を受けてきた先行世代からバトンを受け、そのよきものを引き継ぎ、精一杯生き抜き、できる限りよきものを次の世代にバトンを渡したいと思っている。

 大学駅伝で注目されている青山学院の原監督によると、リレーの一員になる走者は、精一杯よりよきものを繋いでいこうとする心は独特のものがあるという

 ささやかなことしかできようもないが、気概だけは持ち続けていきたい。

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〇贈与と反対給付が根源的に人間社会を成り立たせてきたとの見解から、贈与論を展開している内田樹『ローカリズム宣言』に次のような一節がある。

 

〈私たちが享受しているもの、この社会制度も、言語も、学術も、宗教も、生活文化も、すべてが先人からの贈り物であって、僕たちが自力でつくり上げたものなんか、ほとんどありません。ですからこれをできるだけ損なうことなしに未来の世代に手渡さなければならない。贈与を受けたものには反対給付の義務がある、そのルールを内面化したもののことを人間と呼びます。商品と貨幣のやりとりというスキームでしか人間社会で起きていることの意味を考量できないものは、厳密には人間ではないのです。人間にしか共同体はつくれない。だから、現代日本では地域共同体も血縁共同体も崩壊したのです。〉(内田 樹『ローカリズム宣言』(74p)

 

 この著は移住雑誌『TURNS』連載の「若者よ! 地方へめざせ」に加筆したものである。

 基本インフラ(産業・生活関連などの社会資本)の建設がある程度整備され、人口減少と少子化が進む日本の経済活動が活性化する要素は存在しない。

 そのような中、あらゆるものが商品化され、「お金」に一元化されていく風潮に、ひとにとって本当に豊かな社会とは、生き方とはと問いかけていく。

 そして「いい加減、経済成長を目指すのを止めましょう」といい、これからは従来の「成長経済モデル」から「定常経済モデル」へ基本的な考え方を変えるべきではないだろうかと問う。さらにそこから脱出する方向性について、「ローカリズム」と「相互扶助的共同体」というプランを提出している。

 

 ローカリズム(英: localism)とは、中央による画一的・普遍的なコントロールに対して、各地方の独自性や特徴を重視・尊重し、そこに生きる人間たちや自然との関係性を大事にし、グローバル化する市場経済に振り回されない生き方をする考え方をいう。

 定常経済とは「経済成長を目標としない経済」、つまり「活発な経済活動が繰り広げられているものの、その規模自体は拡大していかないゼロ成長経済」のこと。

 

 これに関して、定常経済という考えを提唱したといわれている、ハーマン・デイリー「定常経済について語る」を参照してみる。

〈定常経済の定義は、「人口と資本ストックが一定で、それを可能な限り低いレベルでのスループットで維持するもの」となります。エントロピーの法則に従う人口や資本ストックを一定に保つには、維持したり置き換えたりするための資源が必要になります。この資源を地球から取り出し、汚染物として地球に排出するところまでをスループットと言います。この資源のスループットをできるだけ低いレベルにして、地球の扶養力の範囲内に抑えます。

 人口と資本を維持するスループットのレベルは、長期間にわたって人々が「良い暮らし」を送るのに十分であるということ。これが定常経済の考え方です。〉

※ハーマン・デイリー「定常経済について語る」(岩波「世界」2014年8月号)

 

「スループット」」というのは、地球、地域が持っている持続可能な処理能力のことかと思うが、よくわからなかった。

 ポイントは、「手持ちの資源をできるだけ高い質において維持する」ことになるのかな。

 

『ローカリズム宣言』第1章 脱「経済成長」グローバル資本主義は終焉する。で次のように述べている。

〈成熟社会とは「生理的な基礎的な欲求がすでに満たされている社会」のことです。ですから、消費活動が鈍化する。それは個人レベルで言えば「ありがたいこと」なんです。けれども経済成長しないと存立し得ない資本主義という仕組みにとっては「困ったこと」です。だから、成熟社会に達した後にさらに経済成長させようとすると、もうできることは限られてきます。

 一つは身体というリミッターを外すことです。衣食住の欲求とは関係のないものの売り買いに経済の主軸を移すことです。それが金融経済です。金融経済とは金で金を買う経済です。株を買い、債権を買い、土地を買い、ダイヤを買い、石油を買い、ウランを買う。これらはすべて貨幣の代用品です。「貨幣で貨幣を買っているの」のです。これならエンドレスです。(P22)

 

〈「成熟社会において経済成長を無理強いする手立てがあります。これまで誰もが等しく受けられた公共サービスを商品化するのです。「それなしでは人間が生きてゆけないもの」を全部商品にして市場で売り買いするようにする。自然環境、上下水道、交通通信網、電気、ガス、教育、医療、治安、消防……そういった制度資本を僕たちはいま無償あるいは安価で享受できています。それらは公共的に管理されていて、基本的には私有できないようになっている。

 近代市民社会というのは、人間が生きる上で必要なものは公共的に管理して、すべての市民が等しく享受できるようにすることで成立したわけですけれど、これを否定して、「それなしでは生きてゆけないもの」についても「受益者負担」の原則を適用して、「欲しければ金を出せ」というルールに切り替える。教育と医療については、もうすでにその切り替えは始まっています。」〉( p.24)

 

 自分たちが当たり前のように営んでいることのほとんどは、先人たちが時間と英知をかけてつくりあげてきたものであり、見直したり作り直したりすることはしていくとしても、よりよきものを後続世代に繋げていくというと考えることが大切ではないだろうか。

 特に、人々が集団として生きて行くためになくてはならぬもの、自然環境(大気、海洋、河川、湖沼、森林など)、社会的インフラ(上下水道、交通網、通信網、電気ガスなど)、制度資本(学校、医療、福祉、司法、行政など)は機能停止しないように定常的に維持することが最優先されると思う。

 経済活動は人々の暮らしを支援するために人間が創り出したものであって、経済活動を維持するために人間がいるのではない。それが経済について考えるときの基本と思う。

 

 ここで「価値の遠近法」の見方が浮かんでくる。

〈わたしは「教養」や「民度」ということについて、次のように考えています。なにかに直面したとき、それを以下の四つのカテゴリーのいずれかに適切に配置できる能力を備えているということです。まず、絶対に手放してはいけないもの、見失ってはいけないもの。二番目に、あったらいい、あるいはあってもいいけど、なくてもいいもの。三番目に、端的になくていいもの。なくていいのに、商売になるからあふれているもの。そして最後に、絶対にあってはならないこと。-------

 大体でいいから、この四つのカテゴリーに仕分けすることができているというのが、教養がある、あるいは民度が高い、ということなのです。わたしはこれを経済学者の猪木武徳さんにならって「価値の遠近法」と呼びたいのですが、本当の意味での市民としての教養とはそういうことで、それが、市民性があるということだと思うんです。〉

(鷲田清一『語りきれないこと 危機と傷みの哲学 』)

 

 自分の身の回りを見ていくと、二番目以下が随分多いなと思う。杓子定規になることはないが、「絶対に手放してはいけないもの、見失ってはいけないもの」は、そのまま後続世代に繋げていき、四番目の「絶対にあってはならないこと」をなくしていきたいと願っている。

 どの段階にあるのか判断することは大変難しいことだと思うが、そのことを心においておくことはしていきたい。

 

 文献・内田 樹『ローカリズム宣言』―「成長」から「定常」へ( デコ、2017)

 ・鷲田清一『語りきれないこと 危機と傷みの哲学 』(角川oneテーマ21、2012)

 

◎乳幼児期の心の世界とは(鈴木秀男著『幼時体験』から)(ひこ生えの記②)

※旧友F氏が、ご自分が深く関わった体験からこの著に触れているブログ記録が印象に残っていて、この機会に著書を取り寄せて読んでみた。

 

〇鈴木氏は内科医として、人間の病気の成り立ちについて、乳幼児期の生活がきわめて重要な意味を持っていると、どうしても認めないわけにはいかなくなり、乳幼児期の生活の持つ意味を研究し始めた。それに加えて最近の親子関係の異常な現象(1979年時点)に触れて、どうしても育児の本質を考えずにおられなくなったという。

 

 本書刊行の10年ほど前、おとなの気管支喘息患者について調べたとき、その患者の乳幼児期に母親が死亡、あるいは母親代理者に育てられたケースが少なくなかった。またそうでなくとも、いわゆる過保護的、支配的、ないしは拒否的といってよいような母親が多かった。いずれの場合も、ようするに母性の欠如であるといえるのではないかという。さらに、いてもいなくてもあまり変わらない精神的不在の父親が多いことも目につき、それは父性の欠如ではないかともいう。

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 娘の乳幼児期、私自身はある理想を掲げたコミュニティ(ヤマギシの村)に所属していて、そこの「親離れ、子離れ」方式に任せきりで、その頃の娘の状況の記憶があまりにも漠然としていて心もとなく、精神的不在の父親だったのではないかと思う節もある。

 その時点では疑うこともなかったが、いまから振り返ると、幼い時期から子どもを放し、専門分業による子どもを見る役割の人たちに任しきりで、親たちは持ち場の仕事に専念できる体制の下で、父性の欠如だけではなく、母性の欠如も生み出していたのではないだろうか?

 そこで乳幼児期を過ごした子どもたちの内面(心)にどのような影響を及ぼしていたのだろうと、この著書を読みながら、しばしば立ち止まるようになる。

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 鈴木氏は次のようにいう。

 喘息患者たちは、気象の変化や自分の身体の変化にたいし、異常ともいえるほどの強い不安を示す傾向があり、それは本人にも理由が見つからない。

 この「理由(いわれ)のない不安」のように見える不安こそ、その人らの乳幼児期の生活に根ざしているのではないかと思い、その後喘息患者に限らず多くの病人を観察し続けているうちに、人間の心身の異常性の根源は「いわれのない不安」にあるのではと考えるようになり、「いわれのない不安」が生じてくる「心の核」とでも呼ぶべき存在を想定するようになる。

 

〈それは乳幼児期頃までの生活によってかたち作られ、その後も「心の世界」の核心に存在し続けて、成長してからの人間をも根本のところで衝き動かす「原動力」になるもの、と考えられる。----「意識の世界」は、この「心の核」の一部分が分化して作られる〉(p13)

 

 もちろん、ひとりの人間が形成される過程は、出会った他者との接触、環境や時代性などが複雑に絡み合った全生活史から影響を受けるが、乳幼児期の生活をやり直せない以上、その「心の核」を作り直すことできないからこそ、育児の問題はゆるがせにしてはならないと、「心の核」がどのようにかたち作られ、それが人間の生涯をいかに基本的に支配するのか、を追求するようになる。

 

〈育児学の発展のおかげで、わたしたちは、いま過去のいかなる時代よりも、子どもを衛生的かつ生理的に育てることができるようになっている。しかし、結局はそれだけであって、新生児や乳児の心的な面の発達にかんしては、いまなおほとんど明らかにされていないのが実情である〉(p15)

 

 そういう中、フロイドをはじめ精神分析、精神病理学、児童心理学、育児学(書)、文学作品、不安神経症の症例などの知見に、内科医としての自らの体験を踏まえて考察していく。

  著者の育児のことを探求することになった経緯を踏まえて、第二部の「乳幼児の発達過程」は、「親子の関係」から始まる。

 

〈子どもは、生まれ落ちてから一年以上の間、ほとんど母親だけを相手にして生活するようなものだが、その間にふたりの間の関係の「型」がかたち作られる。この関係の「型」は、その後子どもが母親以外の人間と関係を持つばあいの「原型」になる、と考えられる。この期間に子どもが、その世話を受けなければ生きられない母親にたいして、基本的に安心感を持つか不安感を持つかによって、母親以外の人間にたいして安心感を持つか不安感を持つかが決まる。つまり関係の意識の「原型」は、乳児期の未分化な心の世界に属しているのである。

 だから、もしわたしたちが日常しばしば、他者にためらい脅えのような「いわれのない不安」を覚えるようなことがあるとすれば、その根源は最初の他者である母親との関係にあるということになる。それは、母親の代理者に育てられるばあいも同じであって、ようするに、子どもは最初に密接な関係を持つ人間との接触をとおして、その「原型」がかたち作られるのである。そうだとすれば、誰の子として生まれるかというより、誰にどのように育てられるかということのほうが、人間にとってはるかに切実な意味を持つはずである。〉(下線強調は原書による。p62)

 

「誰にどのように育てられるか」が切実な意味を持つとあるのは押さえておきたい。

 大人の家族観は、血縁と実体としての我が家が基礎になっているが、乳児は無論、小さな子どもの家族観には血縁意識などというものはないだろう。

 乳幼児期の子どもにとって、「自分のいのちの受けとめ手が一緒にいること」が家族ではないだろうか。親身を伴った「受けとめ手」であることが肝要だが。

 

 広げて考えれば、子どもの育ちや親・誰かの介護支援に限らず、ひとが生きていくとき、密接な「受けとめ手」がいるということの大きさを思う。

 その特定の「受けとめ手」を支える、拡大家族あるいはローカルなつながりも必要となる。

 

※参照・芹沢俊介『家族という意志』(岩波新書、2012)

   ・鈴木秀男『幼時体験―母性と父性の役割―』( 北洋社、1979)

 

 

 

◎娘の出産について(ひこ生えの記①)

※先月、小さいころ家族の一員としてなにかと面倒をみてもらってきた叔母(享年94歳)が亡くなった。ほどなく娘の出産があり、ひとが生まれてやがて死んでいくことについていろいろ思うことが続いている。

 

〇孫の誕生経過

・10月19日:昼頃に娘の陣痛が始まりKクリニック(神戸市)へ入院。

 母体の産もうとする生命力と胎児の生まれ出ようとする生命力に配慮した助産師の指導により、出産に至るまで、散歩したりスクワットを取り入れたりして、直前まで結構動いていたそうである。

・20日(土):午前8時過ぎ出産。女児で2820g。母子とも健やかな状態だったという。

 娘は、陣痛が始まってからの激痛と生まれたいのちへの喜びから、このようにして出産を体験した母親たちすべてに畏敬の念を抱いたという。喜びの出産は、男には決して味わうことのない、生きることへの貴重な体験だったのではないだろうか?

・23日:乳児に黄疸の症状が出て、周産期医療専門病院でもあるP病院に移動する。

・25日:黄疸の治療が落ち着き、午後から母子とも退院することになる。

午後7時過ぎに、夫・Hの母・K子さんが、産後のお手伝いにS市から来訪。

・30日:K子さんは実家に帰り、主に私の妻が家事支援に入り、産後2週間ほどたつ。

――――

 

 すぐ近くで暮らしている娘が妊娠してから胎児の世界、乳児の心などに関心を寄せていろいろな文献などを読んできて、実際に娘の体験に触れ、絶対依存にある赤ん坊といういのちを見ていると、私自身もこのように生まれて育ってきたのだなと感慨めくものがありおもしろさを覚えている。

 

 鈴木秀男著『幼時体験』によると、「(出産は)はじめ(母子)一体であったものが、二つに分けられる」-「人間の生涯で最大の生理的激変」であるという。

〈分娩で胎外に出された新生児は、外気に触れると同時に、肺による呼吸を始める。それまでの過程は、いわば人間の生涯で最大の生理的激変だといっていい。分娩が開始されると子宮の収縮によって、胎盤から胎児へ向かう血液の流れが断続的になる。それで、胎児の血液中の酸素が減って二酸化炭素が増え、血液が酸性に傾いて胎児が仮死状態に陥る。それが刺激になって第1呼吸が始める。新生児死亡の原因として、呼吸不全が第1位に挙げられている事実を考え合わせると、この最初の呼吸運動の調整は、新生児がまず乗りこえなければならない難関だということになる。〉(p79

 

※鈴木秀男著『幼時体験―母性と父性の役割―』( 北洋社1979)

 

 この著は、子どもの「心の世界」が、生まれからの生活体験をとおしてどのようにかたち作られるか、を探求した好著と思っている。

 はたして新生児に「心の世界」はあるのか、あると推察しているが、今この子はどのような心的状態にあるのだろうかと、興味は尽きない

 

 ※参照:新生児黄疸:新生児黄疸は新生児にみられる黄疸。

 胎生期の胎児は成人と比較して赤血球数が1.5〜2倍程度多い。これは胎盤での酸素交換が肺より効率が良くないため、胎児は成人と比較するとわずかながら酸素不足に陥る。これを補うため赤血球を増やし、必要な酸素量を確保している。新生児のことを「赤ちゃん」と呼ぶのは、赤血球数が多いため皮膚が赤く見えるためである。出生後、肺が使えるようになると赤血球過多となり、余分な赤血球は脾臓で破壊される。この破壊された赤血球中の赤い色素ヘモグロビンが、黄色い色素のビリルビンとなり、皮膚が黄色く見えるようになる。これが新生児黄疸である。新生児黄疸自体は生理的な現象ではあるが、時として血中ビリルビン濃度が過多となると大脳基底核などに沈着し悪影響を及ぼすことがある。(疫学:日本人では 98%の発生)「ウィキペディア」より。

 

◎人の「弱さ」に焦点をあてることで見えるもの

〇人は根本的に”弱い“生き物

 NHKスペシャル「人類誕生」第 1 集「こうしてヒトが生まれた」は、次のように構成されていた。

 霊長類から人類誕生の過程で、二足歩行‐道具の発明‐脳の発達、と身体の進化に相伴って、最近の研究成果から、家族の形成・一夫一妻‐仲間と協力する集団・連帯感‐心の進化・共感力‐好奇心が、過酷な自然条件の中で生き延びてきた大きな要因であるとする見方で展開されていた

 

 第2集「最強ライバルとの出会い そして別れ」は次のように構成されていた。

 霊長類から人類誕生の過程で、現在の人間につながるホモ・サピエンスとネアンデルタール人の出会いと共存がテーマになっていた。屈強なネアンデルタール人が絶滅したことに対して、華奢なホモ・サピエンスが現在につながっていったのは、「実はその弱さにこそあったと考えられている。弱いからこそ、安全な狩りを行うことができる道具を生み出し、仲間同士で力を合わせる「協力」を高めたのだ。そうして人口を増やしていったことで、脳の進化が促され、ホモ・サピエンスは全く新たな力「想像力」を獲得したと考えられている。」と紹介されていた。

参照:http://www.nhk.or.jp/special/jinrui/archive.html#onair2

 

「その“弱さ”が人類の進化を促してきたと考えられている」ところに、何かしら共鳴するものを感じた。

 

 以前にブログ「高齢社会に思うこと」に、エリック・ホッファーの「病弱者や障害者、老齢者に対する思いやりがなければ、文化も文明も存在しなかっただろう。」との一説を取り上げたことがある。

 

〈・「思いやり」:37人間は「この世の弱きもの」として生まれたが、「力あるものを辱めるため」に進化した。そして人間という種においては、弱者は往々にして生き残るだけでなく、強者に打ち勝つための能力と装置を開発している。実際、人類の驚異は、弱者の生き残りに由来する。病弱者や障害者、老齢者に対する思いやりがなければ、文化も文明も存在しなかっただろう。部族の男たちが戦いに出ている間、背後にとどまらざるを得なかった不具の戦士こそ、最初の語り部であり、教師であり、職人であった。老齢者と障害者は、治療と料理の技術の開発にあたった。尊い賢人、発狂した呪医、の預言者、盲目の吟遊詩人、才知に長けたせむしや小などが、そうした人々である。〉(「人間の条件について」からの考察)

 

 1902年生まれのエリック・ホッファーは7歳の時に母と死別、同年失明するが15歳の時に回復、その後、正規の学校教育を受けることがなく、季節労働者、港湾労働者としての厳しい生活の中から独自の思索を深めていく。 上記の言葉は、「力あるものを辱めるため」など、どうかなと思えるような表現もあり、随分強引なところもある人類史へのアフォリズム(評言)だと思うが、ホッファーの著作に一貫して流れている独自の観察力と洞察力からの、ある一面面白い見方だなと思う。

 

 あたりまえのことだが、病弱者や障害者、あるいは老齢者や幼い子どもに限らず、人は自然環境に、他者たちに依存しないでは生きてゆけない。

 ところが現社会は「自立」した個人を前提とした秩序であり、何かを生み出すことをあるものの価値基準とする思考法である。成長、成熟ということをわたしたちの社会は、自分の身体を含めて、さまざまのことを自分でできること、生きるに必要な多くのものを「意のまま」にできることとして了解してきた。

 つまり、自己決定と自己責任が可能な「強い」主体という概念を骨格にした法と社会制度の社会である。

(※鷲田清一『老いの空白』「4〈弱さ〉に従う自由」(p105)参照)

 

 このような社会で暮らしていくことで、成長するのがよい、できるのがよい、意のままにできることがよい、などというようなことが無意識的に根付いているのではないだろうか。

 一方、さまざまな理由で、それの困難な“弱い”人たちへの、多かれ少なかれ精神的な圧迫感を与えていると思う。

 

 だが、ことさら自己決定・自己責任といわなくとも、一人のひととしては、他にかけがえがない一人ひとりであることは自明の理である。また少し考えてみれば、一人では生きられない根本的に“弱い”生きものである。

 一人ひとりの自立的で創造的な交わりと自然環境との交わりのなかで、ともに依存しあうことで生きてゆけるのだろう。

 

 内田樹は次のように述べている。

〈ひとりひとりおのれの得手については、人の分までやってあげて、代わりに不得手なことはそれが得意な人にやってもらう。この相互扶助こそが共同体の基礎となるべきだと私は思っている。自己責任・自己決定という自立主義的生活規範を私は少しもよいものだと思っていない。

 自分で金を稼ぎ、自分でご飯を作り、自分で繕い物をし、自分でPCの配線をし、自分でバイクを修理し、部屋にこもって自分ひとりで遊んで、誰にも依存せず、誰にも依存されないで生きているような人間を「自立した人間」と称してほめたたえる傾向があるが、そんな生き方のどこが楽しいのか私にはさっぱり分からない。

それは「自立している」のではなく、「孤立している」のである。〉(内田樹『ひとりでは生きられないのも芸のうち』より)

 

 自分のことを見ていくと、年を取るにつれて、いろいろなことが以前に比べてできなくなっている、ぎこちなくなっているのを感じている、特に身体面において。だがその視点から、逆に老いるということはどういうことなのか考えている。

「老い」に限らないが、人生を「できる」ということからではなく、「できなくなる」というほうから見つめてみると、また、人は根本的に”弱い“生き物であるとみることで、もっと違ういのちの光景が眼に入ってくるのではないだろうか。

 

参照:鷲田清一『老いの空白』(岩波書店、2015)

内田樹『ひとりでは生きられないのも芸のうち』(文春文庫、2011)

◎高齢社会に思うこと(エリック・ホッファーの「人間の条件について」からの考察)

※改訂再録

〇病弱者や障害者、老齢者に対する思いやりがなければ、文化も文明も存在しなかっただろう。

 先日老年学会から「高齢者の定義を75歳以上に」という提言があった。老齢意識は人それぞれであり、目安として健康寿命があり、統計では男女いずれも70歳を超えている。

 一人ひとりの状態に合わせた見方、あるいはそれぞれの意識の持ち方で、ひとくくりにできないが、施策上70歳~75歳を一つの目安とするのは致しかたない気がする。
 ただし、個人レベルでどう見るのかはそれぞれに任せること、社会保障については今適用している枠組みに直接結びつけず、慎重に見ていく必要を感じる。

 また、老年学会が提言している就労意識には結び付けないでと思っている。個人意識にもよるが、ある程度の年齢になったら、好きなことをしながら暮らせるような社会を望むし、それが就労につながることもあるだろう

 私は福祉活動をしてきて、それなりに高齢社会のことに関心があったが、70歳近くになる現在、改めて自分の状態に腰を据えながら、高齢社会の課題に向き合っていきたいと思っている。

 

 この項では、病弱者や障害者、老齢者に対するユニークな見方をしている、エリック・ホッファーの『魂の錬金術』の「人間の条件について」の項目に照らして、私見を述べてみる。

「思いやり」37〈人間は「この世の弱きもの」として生まれたが、「力あるものを辱めるため」に進化した。そして人間という種においては、弱者は往々にして生き残るだけでなく、強者に打ち勝つための能力と装置を開発している。実際、人類の驚異は、弱者の生き残りに由来する。病弱者や障害者、老齢者に対する思いやりがなければ、文化も文明も存在しなかっただろう。部族の男たちが戦いに出ている間、背後にとどまらざるを得なかった不具の戦士こそ、最初の語り部であり、教師であり、職人であった。老齢者と障害者は、治療と料理の技術の開発にあたった。尊い賢人、発狂した呪医、の預言者、盲目の吟遊詩人、才知に長けたせむしや小などが、そうした人々である。〉

 

 1902年生まれのエリック・ホッファーは7歳の時に母と死別、同年失明するが15歳の時に回復、その後、正規の学校教育を受けることがなく、季節労働者、港湾労働者としての厳しい生活の中から独自の思索を深めていく。
 上記の言葉は、随分強引なところもある人類史へのアフォリズム(評言)だと思うが、ホッファーの著作に一貫して流れている独自の観察力と洞察力からの、ある一面面白い見方だなと感じた。

 この著作は、「情熱的な精神状態」「人間の条件について」の二つの大きな論考から構成してあり、印象に残る評言が数多あり、ものごとの正・負両面から見ているので、一つの項目だけではわかりにくい面もあるが、まず、「病弱者や障害者、老齢者に対する思いやりがなければ、文化も文明も存在しなかっただろう。」の文章に絞ってみていく。

 

 福祉分野の根幹をなす理念に「ノーマライゼーション」がある。
 ノーマライゼーションとは,障害者(広くは社会的マイノリティも含む)が一般市民と同様の普通(ノーマル)の生活・権利などが保障されるように環境整備を目指す理念で、逆にいえば,このような考え方が出る背景には,障害者を取り巻く環境は,普通ではなかった(アブノーマル)ということになる。(※「普通」というとらえ方は曖昧で曲者ではあるが)

 また、福祉に携わるひとによく取り上げられる著名な言葉に、「この子らを世の光に」がある。
 知的障害者福祉の父と言われている糸賀一雄の、〈この子らを世の光にとてささげける いのちのかぎり春をまちつつ〉からの悲願ともみえる思想だ。

「福祉に力を入れるのは依存体質から人間をだめにする」という発言が公然となされている一方、多くの人は福祉のあり方、可能性の関心はかなりあるとは思う。

 だが総じて、「普通の生活ができるように援助する」「ひとりの尊厳ある人として見ていく」「ハンデキャップを抱えた人としてケアしていく」など、支援を必要している人へのほどこし的な色合いが濃い〈客体〉的な見方、対象者とする見方が多いのではないだろうか。

 もちろん、この観点は大事なことではあるが、〈強者〉とされている人たちによる社会保障関連の施策や方式が決められていくことが多い現状である。

 それに対してホッファーの言葉は、弱者とされる人たちも、文化や文明を担ってきた〈主体〉ではないだろうかと、通常とは逆転した見方であり、その見方に至る観察、実証と思索を踏まえたものである。
 そのような面もあるのではないかと思い、このような角度から見るのも大事ではないかと考える。

 

 疑問あるいは留意点として思ったことをあげる。
「力あるものを辱めるため」「強者に打ち勝つため」というのは、弱者の集団化から組織化した場合の陥りやすい論理である。一旦、組織の力が強大になり権力的になると、反面して始末の悪い様相を顕すことが多い。

 どうであれ、「力あるものを辱めるため」というような視点は結局弊害をもたらすことになるのではないか。

 障害者や老齢者の個人レベルでは、上記のような論理ではなく、自分らしく自由に生き生きと暮らしたいとの思い、願いが強いだけである。

 障害者の運動史を見ると、集団として機能することで影響をもたらしたことは多々あるが、ホッファーのいう人間は〈未完〉であるという自覚が強いのか、整然と秩序ある組織化にはなじまず、紆余曲折しながらの重なり合いによる色合いが濃いものになっていくことが多いような気がしている。

 また、障害者運動では当事者の個々の声、それに携わる人たちの取り組みで、相当な影響を及ぼしてきた面があるが、老齢者からの声は、ほとんど取り上げられていない現状である。

 

 ホッファーの評言に魅力を覚えるのは、私は未だかってない超高齢社会の当事者にならんとしている。私を含めた当事者、〈弱者〉のあり様の蓄積が、次なる社会に影響を及ぼすのではないだろうかと思うからだ。

 生産性や労働能力に基づく人間の価値の序列化、進歩や効率や出来ることに価値をおく前のめりの気風などが色濃い現社会を変えていけるのは、厳しい生産現場に直面している人よりも、そこにある程度の距離をおいた、数々の経験、失敗の豊富な老齢者たちのあり方が大きな役割を担うのではないかと考えている。

 鶴見俊輔の岡部伊都子との対談『まごころ』の最後の部分に、次の発言がある。
〈鶴見:若さからの解放が、そうとう楽しいことなんですよ。—-それは若い人にはわからないね。年をとっているのは、みんなみじめで、若くなりたいと思ってると、それが若い人の錯覚なんだよ。〉

 このような心境にはまだまだな私であるが、弱者感覚というよりも、「年をとるのは面白いな、いいものだな」と思えるような生き方をしていきたいと思っている。

 

【参照資料】
※ホッファー「人間の条件について」第一章に絞って、いくつか挙げてみる。
・「未完の動物」1〈自然は完全なものだが、人間は決して完全ではない。完全なアリ、完全なハチは存在するが、人間は永遠に未完のままである。人間は未完の動物であるのみならず、未完の人間でもある。他の生き物と人間を分かつもの、それはこの救いがたい不完全さにほかならない。人間は自らを完全さへと高めようとして、創造者となる。そして、この救いがたい不完全さゆえに、永遠に未完の存在として、学びつづけ成長していくことができる。〉

・2〈完全さには、どこか非人間的なところがある。熟練者の仕事は、われわれの目には本能的かつ機械的なものに映る。技術の習得にかける努力はこの上なく人間的なものだが、技術の完全な習得は非人間的なものへの接近である。これはひとつの逆説である。人間を完成させたものにしようとする者たちは、結局、人間を非人間的なものに変えてしまう。〉

・3〈人間の創造性の源泉は、その不完全さにある。人間は、自らの欠陥を補うために創造力を発揮する。人間は、特殊器官の欠如からホモ・ファーベル(武器や道具の製作者〉に、生来の技術のなさからホモ・ルーデンス(演奏家、職人、芸術家)になり、動物がコミュニケーションの手段としているテレパシー能力のなさを補うために言葉を話すようになった。そして、本能の不十分さを補おうとして思索者になったのだ。)

・「遊び」27〈—-アルタミラ洞窟の天井に比類のない動物壁画を描いた旧石器時代の狩猟民たちは、粗末な道具しかもっていなかった。芸術は実用品の製作よりも古く、遊びは労働よりも古い。人間は必要に迫られてしたことよりも、遊びでしたことによって形作られてきたのだ。人間の独自性と創造性の源泉は、その子どもじみたところに隠されているのであり、遊び場はその能力と才能を開花させる最適な環境なのである。〉

・「学ぶこと」32〈教育の主要な役割は、学習意欲と学習能力を身に付けさせることにある。学んだ人間ではなく、学び続ける人間を育てることにあるのだ。真に人間的な社会とは、学習する社会である。そこでは祖父母も父母も、子供たちもみな学生である。激烈な変化の時代において未来の後継者となりうるのは、学び続ける人間である。学ぶことを止めた人間には、過去の世界に生き術しか残されていない。〉

・「思いやり」36〈人間のほとんどすべての高貴な属性(勇気、名誉、愛情、希望、信仰、義務、忠誠など)は、魂の錬金術によって無慈悲さへと変えられうる。そのなかにあって、思いやりだけが、われわれの内面で生じる善と悪との不断の往来から距離を置いている。思いやりは魂の抗毒素である。思いやりがあるところでは、最も有害な衝動でさえ相対的に無害のままでいられる。—-〉

・37〈人間に対する限りない、すべてを包みこむ思いやりをもってしても、巨大で激烈な変化の時代の明らかに解決不能な問題に対処することは、できないのでなかろうか。これまでのところ、社会が再出発をはかると、そこにはつねに悪魔がひそんでいた。〉

◎前未来形で自分の過去を回想する(改訂再録)

〇みなで支え合いながら、よりよく生きていこうよ
​ 多くの人にとって、過去のつらい出来事や思い出話を語るとき、「過去におきた事実」をありのままに語ることはできないだろうと思っている。意識的か無意識的であるかは、人によって違いはあると思うが、現在の自分に納得できるように、あるいは、そのように思いたいように語っていることもあるだろう。

 相談など自発的に人に聴いてもらうとき、関係のあり方により多少の違いがあるにしても、その話の聴き手に「自分はどういう人間だと思ってほしいか」を願っている。話を聴き終わった時点で、聴き手からの人間的な理解や信頼や愛をめざして、人は自分の過去を語り出すことも多いのではないだろうか。私自身を振り返っても同じようなものだと思っている。

 

 精神分析家のJ・ラカンはこのような人間のあり方を「人間は前未来形で自分の過去を回想する」と説明している。

「前未来形」というのは、「明日の午前中に私はこの仕事を終えているだろう」「四月に私は介護職についているだろう」という文型に見られるような、未来のある時点において完了した動作や状態を指示する時制のことである。

「わたしを他者に認知してもらうためには、わたしは「かってあったこと」を「これから生起すること」をめざして語るほかないのである。

 わたしは言語活動を通じて自己同定を果たす。それと同時に、対象としては姿を消す。わたしの語る歴史=物語のなかでかたちをとっているのは、実際にあったことを語る単純過去ではない。そんなものはもうありはしない。

 いま現在のわたしのうちで起きたことを語る複合過去でさえない。歴史=物語のなかで実現されるのは、わたしがそれになりつつあるものを、未来のある時点においてすでになされたこととして語る前未来なのである。」
(J・ラカン「精神分析における言葉と言語活動の機能と領域」、『エクリ(Écrits)』。『コミュニケーションの磁場』内田樹訳より)

 

 だがこれについては、多かれ少なかれ誰にとっても抱えている限界でもあり、これを自覚していることが大切だと思う。
 語りに限らず自分のことを表現するのは、過去の体験や最近の出来事を振り返り、今の自分に引き付け他の助けを得ながら、結局は、何とか人に理解してほしいと願い、これからもっとより良く生きようとする希望があるからだろう。

・甚だしい瓦礫の中で、母と生き別れた遺族代表の方の話に次のような言葉がありました。
「あっという間で、そしてとても長い4年間でした。家族を思って泣いた日は数え切れないほどあったし、15歳だった私には受け入れられないような悲しみがたくさんありました。すべてが今もまだ夢のようです。

----震災で失ったものはもう戻ってくることはありません。被災した方々の心から震災の悲しみが消えることもないと思います。しかしながらこれから得ていくものは自分の行動や気持ち次第で、いくらにでも増やしていけるものだと私は思います。前向きに頑張って生きていくことこそが、亡くなった家族への恩返しだと思い、震災で失った物と同じくらいのものを私の人生を通して得ていけるように、しっかりと前を向いて生きていきたいと思います。」

 

 過去に体験した決して消えることのない苦しみを抱えながらも、何とか今を生きようとする、また、自分たちと同じような苦しみを決してさせまいと人々に語りかける、その話は私に鮮明な印象を残した。

 その語り口の真摯な姿に、「並々ならぬ悲嘆」と「皆で支えながら、よりよく生きていこうよ」という強い意志の力を感じました。

 

【折々のことば】
 鶴見俊輔悼詞』編集グループSURE、2008。より(※鶴見さんが、交わりのあった百数十人の故人について悼む心を綴ったもの)

 「あとがき」

 私の今いるところは陸地であるとしても波打際であり、もうすぐ自分の記憶の全体が、海に沈む。それまでの時間、私はこの本をくりかえし読みたい。

 私は孤独であると思う。それが幻想であることが、黒川創のあつめたこの本を読むとよくわかる。これほど多くの人、そのひとりひとりからさずかったものがある。ここに登場する人物よりもさらに多くの人からさずけられたものがある。そのおおかたはなくなった。

 今、私の中には、なくなった人と生きている人の区別がない。死者生者まざりあって心をゆききしている。
 しかし、この本を読みなおしてみると、私がつきあいの中で傷つけた人のことを書いていない。こどものころのことだけでなく、八六年にわたって傷つけた人のこと。そう自覚するときの自分の傷をのこしたまま、この本を閉じる。
(二〇〇八年八月一九日  鶴見俊輔)

◎「人間の人間たるゆえんは家族にあると考えている。」(山極寿一)

〇ダーウィンの進化理論以後、そもそも霊長類からヒトはいかにして生まれたかの根本問題に光が当たるようになり、戦後日本において霊長類学が再興されたことなどにより、様々のことが解明されてきた。

 

 その研究成果から、700万年の間に、霊長類から人類誕生の過程で、直立二足歩行‐道具の発明・使用‐身体の構造変化‐脳の発達と身体の進化に関しては一般的な見解となってきた。その身体の特徴とともに、家族の形成・一夫一妻‐仲間と協力する集団・共同作業‐心の進化・共感力‐分配・交換‐同情心・好奇心など過酷な自然条件の中で生き延びてきた大きな要因であるとする見方が強まってきた。

 

 つまり、ヒトになるための大きな三つの条件、直立二足歩行・家族の成立・コミュニケーションとしての言葉がそれぞれそれ絡み合いながら進化していき、現在の人類につながっていったらしい。

 

 特に、家族形成が人類進化の源流であり、一見そのように見える「種」はあるが、ある一定の期間だけで、生まれてから死ぬまで生涯にわたって家族であり続けるという形態は、人間の家族だけだといわれている。

 

 家族とは人間社会だけの普遍的な現象らしい。さらに人間の特徴は、単体ではなく複数の家族が集まって共同体を作る二重構造を持っていること。複数の家族を内包した共同体は人類だけの不思議な社会システムらしい。集団が巨大化し複雑化しても、家族という基本的な社会単位が崩れることなく存続し続けた事実があり、共同体を中心に、食物を共同で生産し、分け合って食べる。子育ても共同。家族単体ではできないから、共同で行なう。

 

 原初の人類の在りようから直ちに現社会や家族のあり方に結び付けることは留意する必要があるが、現在の家族を考えるうえで、その知見に学ぶことの多い山極寿一は次のことを述べている。

〈どうしてそんなにお節介になるかというと、共感力を高めて作り出したシンパシー(同情)という心理状態がもとになっている。

同情心とは、相手の気持ちになり痛みを分かち合う心です。この心がなければ、人間社会は作れません。共感以上の同情という感情を手に入れた人間は、次第に「向社会的行動」を起こすようになります。

向社会的行動とは、「相手のために何かをしてあげたい」「他人のために役立つことをしたい」という思いに基づく行動です。人類が食べ物を運び、道具の作り方を仲間に伝えたのも、火をおこして調理を工夫したのも、子どもたちに教育を施し始めたのも、すべて向社会的行動だろうと私は思います。

大昔から人類は家族のために無償で世話を焼き、共同体の中では互いに力を出し合い、助け合っていたのでしょう。認知能力が高まったから、このような思いやりのある社会が作られたというよりは、その逆で、向社会的行動が人類の認知能力を高めたのだと思います。(山極寿一『「サル化」する人間社会』p161~162)

 

「向社会的行動が人類の認知能力を高めたのだと思います。」の箇所が印象に残る。また、向社会的行動は、直面する現実対処とともに明日に向けて描く、行動する力を強化することになったのではないだろうか。

 

 そして、人間の持っている普遍的な社会性について、次の三点をあげている。

(1)見返りのない奉仕をすること:人は自分を愛してくれる家族のもとで「見返りのない奉仕(献身的にしてあげる)」の精神を培い、その環境の中で「誰かに何かをしてあげたい」という気持ちが育っていく。その思いは家族の枠を超えて共同体にたいして、もっと広い社会に対しても広がっていく。

(2)互酬性(何かをしてもらったらお返ししたくなる):互酬性とは個人あるいは集団間で、贈与を受けた側が与えた側に何らかの返礼をすることによって、相互関係が更新・持続されること。人類学において,贈答・交換が成立する原則の一つとみなされる概念。

(3)帰属意識:自分がどこに所属しているかという意識を、一生持ち続ける。その帰属意識がアイデンティティの基盤になり、そこにたって、自分自身の行動範囲や考え方を広げていけることになる。人は相手との差異を認め尊重し合いつつ、きちんと付き合えるのはその基本に帰属意識があるという。

 

 現社会のいろいろな家族関係は、複雑な様相があるように思い、また、あまりにも社会性を単純化して捉えているように見える。

 

 だが、自分のことを振り返ってみると、家族(特に父母)や叔母などから一方的に何かをしてもらっていたなと思える。50歳すぎてから、ある共同体を離れ介護関係の仕事に携わるとき、養護学校のボランティア活動を立ち上げるときも、何か役に立つことをしていきたいなと考えての選択だった。

 今も、無理はしない程度に、何かをしてあげたい気持ち、贈答をしたくなるこころ、役に立つことをしていきたいことも、素直に見ていくとあるのではと思っている。

 ことさら社会性と言わなくても、手助けしたいこと、街中のゴミを拾う・汚れたものを片付けることなど、何の見返りも求めず、多くの人の心の中にあるのではないだろうか。

 

 そして社会性は、信頼が培われるような家族や質のよい人間関係のもとで、より育っていくのではないだろうかとも思えてくる。

  また、このような家族関係が広がっていくような社会になっていく道筋もあるのではないだろうか。

 

※参照:山極寿一『「サル化」する人間社会』(集英社インターナショナル、2014)

河合雅雄『サルからヒトへの物語』(小学館、2004)

◎共同体は一つの大家族ともいえないか(福井正之『追わずとも牛は往く』から)

〇『追わずとも牛は往く』は、著者の40年ほど前の「北海道試験場」(「北試」―ヤマギシ会)の体験をふまえ、書き進められた。記録文学である。

 この作品では、「北試」の体験をもとにした物語上の村『睦みの里』での、厳しいが豊かな自然・大地の中で、追わずとも牛は往く農体験の記録、里人との心温まる交流が描かれている。

 実際の「北試」というより、その可能性をひろげた著者自身の想定した「睦みの里」であり、創作を加えることで、より真実性を帯びる面もある。その本文からいくつかの特徴を見ていく。

 主人公の西森丈雄(34歳)は、ある時に、北海道別海町で農民が主力になって、そこに仕事をしないブラブラ族の若者もいて、小さなコミューンを築いていたことを知り興味を抱き、『睦みの里』を初めて訪問し、そこで東北山形から入植した五十歳代後半の須崎氏など三人の男から説明を聞く。

 

 さまざまな説明受けて、須崎氏から次のように言われる。

「ここじゃ『財布ひとつ』の『大きな家族』という考え方になる。お互い助けおうて必要を満たしていく生活体をつくるのはそんな大げさな難しいもんやない。むかしは空想的社会主義とかいうたが、今はイスラエルのキブツでも、他の共同体でもやってることや。しかしそういうところは契約でそうしてるようや。

 でもな、うちらはもっと心境面を大事にしたいんや。お互いもっと家族みたいに仲良うなって、お互いのことをもっと思い合えるようになったら、そんな細かい約束事もあんまり要らんようになる。それに家族は金のやり取りはせんやろ。その家族がそのまま大きくなっていったらいいんや。もっとも最近の家族はバラバラで先細りのようじゃがのう」

 

 なるほど、これはわかりやすいと丈雄は思った。もちろん実現可能性はわからないが、別に社会運動の経験がなくとも、離農問題への関心がなくとも、血のつながっていない人々同士が大家族のように仲良く助け合って暮らしたいというのは、夢としては不自然ではない。少なくとも自分たちのような故郷親族から離れ、いったん事あれば危うい核家族の小市民的生活者にとって。

 

 その後、「なにか報酬があるわけじゃない。まるっきりのタダ働きですから。そこが自発的にできるかどうか、つまり『他を思う』というのが、ここでの最大の課題になりますね」と言われ、身が引き締まった

そこで須崎氏が言い添える。

 

「そうやな、『他を思う』なんていうと話がちと固うなる。一軒の家じゃ親が働いて子どもらを食わせる。もちろん自分らもそれで食う。その動機は家族を養うということや。子どもは働かんから、家賃、食費を払わんから食うな、という親はまずおらんやろ。まあ《働かんでも食ってよし》じゃ。別に遠慮せんと大きな顔していてよい。ところがこの家をもっと大きく広げて考えてみなされ。中には子どもみたいな大人もおる。働いても稼ぎが乏しい人、体の具合が悪うて働けん人、それにブラブラしていたい人もおる。親ならそんな人らを放っておけんやろ。いや別に親とは誰と決まっとるわけやない、なんとかそんな人らを食わしていくのが親や」

「まあ大変かもしらんが、これまたよくできたもので『してあげる』のは苦労も多いが、楽しみも多い。子どもらもそれなりにだんだんと育ってくるしな。それから長い目で考えれば、人間、親ばっかりやっとるわけやない。子どものときもあれば、年寄りのときもある。親はやれるときにやったらいい。人間お互い様じゃ」

 

 ふうむ、そういうことになるのかな。それにしてもこの「大きな家族」の大きさはどの範囲まで拡張可能なのか、いささか心許ない。丈雄は須崎氏の語りに理論的信憑性はよくわからないながら、深い人生智のようなものを感じる。

 特殊な共同体を考えるとき、「一つの大家族」というような比喩で語られるが、この説明の中に共同体の原初的な心があるのではないかと思っている。

 それには、一人ひとりの息遣いが感じられ、少なくても適度に交流できる人たちの適正規模であることが欠かせないが。

 

 最近の研究成果から、家族形成が人類進化の源流であり、一見そのように見える「種」はあるが、ある一定の期間だけで、生まれてから死ぬまで家族であり続けるという形態は、人間の家族だけだといわれている。

 家族とは人間社会だけの普遍的な現象らしい。さらに人間の特徴は、単体ではなく複数の家族が集まって共同体を作る二重構造を持っていること。複数の家族を内包した共同体は人類だけの不思議な社会システムらしい。集団が巨大化し複雑化しても、家族という基本的な社会単位が崩れることなく存続し続けた事実があり、共同体を中心に、食物を共同で生産し、分け合って食べる。子育ても共同。家族単体ではできないから、共同で行なう。

※(集団の規模が大きくなり)人数が増えると百人から百五十人の集団ができる。これは信頼できるコミュニティとして最大の規模で、互いの顔と名前が一致する関係性の上限人数。百五十人という人数は、人類学では「マジックナンバー」と言われている。(山極純一『「サル化」する人間社会』より)

 

 内田樹は共同体について次のようにいう。

〈あらゆる人間はかつて幼児であり、いずれ老人になり、高い確率で病人となり、心身に傷を負う。だから、集団のすべての構成員は時間差をともなった「私の変容態」である。

 それゆえに集団において他者を支援するということは、「そうであった私、そうなるはずの私、そうであったかもしれない私」を支援することに他ならない。

 過去の自分、未来の自分、多元宇宙における自分を支援できることを喜びとすること。

 そのような想像力を用いることのできない人間には共同体を形成することはできない。〉

 

〈ひとりひとりおのれの得手については、人の分までやってあげて、代わりに不得手なことはそれが得意な人にやってもらう。この相互扶助こそが共同体の基礎となるべきだと私は思っている。自己責任・自己決定という自立主義的生活規範を私は少しもよいものだと思っていない。

 自分で金を稼ぎ、自分でご飯を作り、自分で繕い物をし、自分でPCの配線をし、自分でバイクを修理し、部屋にこもって自分ひとりで遊んで、誰にも依存せず、誰にも依存されないで生きているような人間を「自立した人間」と称してほめたたえる傾向があるが、そんな生き方のどこが楽しいのか私にはさっぱり分からない。

 それは「自立している」のではなく、「孤立している」のである。〉

(内田樹『ひとりでは生きられないのも芸のうち』より)