日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎兵庫県知事選とメディアリテラシー

○兵庫県知事に斎藤元彦氏再選に思う。

この度の兵庫県知事選は、マスメディアの影響力低下とSNSなどソーシャルメディアにおける選挙情報の拡大という世界で共通する大きな潮流がある。

 

齋藤氏再選に関しては、SNSが大きな役割をはたす。また、マスメディア批判に加えて支持者動員の大きな要因になったのが、ボランティアと称したPR会社の社長の応援や斎藤氏を当選させるために出馬したというNHK党の立花孝志による発信だ。

いつになくあらゆる角度から調べて、わたしが投票した稲村和美氏は「外国人参政権に賛成している」などのデマが流され、応援アカウントが大量通報によって凍結されるなどの妨害も受けたという。

 

今回のことに限らないが、このような時どのような情報を信頼するのか、わたし(たち)のメディアリテラシー(メディアから得た情報を見極める能力)が問われてくると思う。

○メディアリテラシーについて

メディアリテラシーとは、メディアの機能を理解するとともに、あらゆる形態のメディア・メッセージを調べ、批判的に分析評価し、創造的に自己表現し、それによって市民社会に参加し、異文化を超えて対話し、行動する能力である。『ウィキペディア(Wikipedia)』より。」

 

メディアリテラシーについて、わたしが参考にしている内田樹は次のことを述べている。

《いま肝に銘ずべきことは、「私たちひとりひとりがメディアリテラシーを高めてゆかないと、この世界はいずれ致命的な仕方で損なわれるリスクがある」ということである。

 そのことをもっと恐れたほうがいい。

 メディアリテラシーというのは、勘違いしている人が多いが、流れてくる情報のいちいちについてその真偽を判定できるだけの知識を備えていることではない。そんなことは誰にも不可能である。自分の専門以外のほとんどすべてのことについては、私たちはその真偽を判定できるほどの知識を持っていないからである。

 私たちに求められているのは「自分の知らないことについてその真偽を判定できる能力」なのである。

 そんなことできるはずがないと思う人がいるかもしれない。けれども、私たちはふだん無意識的にその能力を行使している。

 知らないことについて、脳は真偽を判定できない。けれども、私たちの身体はそれが「深く骨身にしみてくることば」であるか「表層を滑ってゆくことば」であるかを自然に聞きわけている。》

(内田樹の研究室「メディアリテラシーについて」2019-02-22 )

 

わたしも同じように考えている。全体の文脈、立論の立て方、語り口などから察している。

それと、鶴見俊輔氏をはじめ、信頼の置ける方々は、どのように考えているのか参考にしている。だが、考えるのはどこまでもわたしである。

むろん、見当違いをしていたこともいくつもあるが。

 

そのような体験を積んで、ささやかでもよりよき社会に寄与できればいいと思っている。

それと、これは大切だなと思うことは、できる限りいろいろな角度から考えることが大事だと思う。これは大層難しいことだが、思わぬ展開になることもある。