日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎家の娘は甲でも乙でもなく美帆です。

〇「津久井やまゆり園」事件関連のニュースで次のことが印象に残った。

 2016年7月、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で、障害者ら45人が殺傷された事件の裁判員裁判が8日、横浜地裁であった。

 

 初公判を前に7日、事件で亡くなった女性(当時19)の遺族が、女性の名を美帆さんだする手記を発表した。

 

〈「大好きだった娘に会えなくなって3年が経ちました」。母親の手記は、そんな言葉から始まっている。自閉症の娘は、障害者施設「津久井やまゆり園」の事件で命を奪われた。当時19歳だった娘の名前は「美帆」さんという▼ジブリのアニメや、いきものがかりの音楽が好きだった。「言葉はありませんでしたが、人の心をつか…(朝日・天声人語より)」

 

 大きな殺傷事件が起こると、往々にして、被害者、当事者の声以上に事件の内容や背景についての論説が多くなる。

 特にこの事件は、植松聖被告が語った動機「意思疎通できない障害者は不幸しかもたらさない」。との思い込みから事件を起こし、一部そこに同調するような空気もある。

 

 それに対し様々な立場から、被告に直接向き合うことで、事件を乗り越えようとしている人たちが相次いでいる。

 最首悟さんの娘の星子さん(41歳)はダウン症で、重度の知的障害がある。最首さん夫婦は40年にわたって星子さんを自宅で介護してきた。

  氏は、「今社会には社会資本を注いでも見返りのない障害者や寝たきり老人は〝社会の敵”だと見做す風潮がある」と指摘している。

 

 氏と植松被告との対話を含めて、インターネットでその概要が閲覧できる記事がある。

https://www.nhk.or.jp/special/plus/articles/20180817/index.html

 この記事は、2018年7月21日に放送した 「NHKスペシャル “ともに、生きる” ~障害者殺傷事件 2年の記録~」 を基に制作していて、NHKオンデマンドで配信している。

 

 しかし、いろいろな事情から被害者、その家族からの声があまり表面に出てこない。

 その中で、事件で長男の一矢さん(46)が重傷を負った尾野剛志さん(76)、チキ子さん(78)夫婦は、実名を公表し、その意思を表明してきた。

 

 横浜地裁はこの裁判で、尾野一矢さん以外の被害者を「甲A」「乙B」などと呼び、匿名で審理し、美帆さんは「甲A」とよばれた。

 

 美帆さんのお母さんは次のようにいう。

〈美帆は一生懸命生きていました。その証しを残したいと思います。こわい人が他にもいるといけないので住所や姓は出せませんが、美帆の名を覚えていてほしいです。

 どうして今、名前を公表したかというと、裁判の時に「甲さん」「乙さん」と呼ばれるのは嫌だったからです。話を聞いた時にとても違和感を感じました。

 とても「甲さん」「乙さん」と呼ばれることは納得いきませんでした。ちゃんと美帆という名前があるのに。

 どこにだしても恥ずかしくない自慢の娘でした。

 家の娘は甲でも乙でもなく美帆です。

 この裁判では犯人の量刑を決めるだけでなく社会全体でもこのような悲しい事件が二度とおこらない世の中にするにはどうしたらいいか議論して考えて頂きたいと思います。

 障害者やその家族が不安なく落ち着いて生活できる国になってほしいと願っています。

 障害者が安心して暮らせる社会こそが健常者も幸せな社会だと思います。

 2020年1月8日 19才女性 美帆の母。〉

 

 亡くなられた方、大きな傷を負った方の一人ひとりには、その人ならではの人生があり、物語がある。同時に、その親にも身内にもその子に対するさまざまな思い、物語がある。

  

 そして石原吉郎の次の言葉を思う。

〈ジェノサイド(大量殺戮)という言葉は、私にはついに理解できない言葉である。ただ、この言葉のおそろしさだけは実感できる。ジェノサイドのおそろしさは、一時に大量の人間が殺戮されることにあるのではない。そのなかに、ひとりひとりの死がないということが、私にはおそろしいのだ。人間が被害においてついに自立できず、ただ集団であるにすぎないときは、その死においても自立することなく、集団のままであるだろう。死においてただ数であるとき、それは絶望そのものである。人は死において、ひとりひとりその名を呼ばれなければならないものなのだ。」

(石原吉郎『望郷と海』「確認されない死のなかでー強制収容所における一人の死」ちくま学芸文庫、1990年より)〉

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 ※最首悟さんと植松聖被告との手紙について

「津久井やまゆり園」事件について、社会が事件を乗り越えるカギを探ろうと、植松被告と直接面会する人も出てきている。

 事件直後から新聞やインターネットで発言を続けてきた社会学者で、和光大学名誉教授の最首悟さんもその一人だ。

 

 最首さんは新聞の論評の中で、植松被告は社会が作り出した病だと指摘していた。経済的に役に立つかどうかだけで人を判断する、行きすぎた合理主義の風潮を感じ取ったからだ。

 今年4月、そんな最首さんのもとに、論評を読んだ植松被告から突然手紙が届いた。そこから交信が始まった。

 

 その手紙は、神奈川新聞「カナコロ」に【〈序列をこえた社会に向けて〉やまゆり園事件 最首悟さんの手紙】に随時掲載されている。

 最首さんは次のようなことを述べている

〈植松青年に向かって、書くとか語るというのをこえていきますね。むしろ、もっと多くの人たちに向かって、答えていくということになるでしょう。重度の寝たきりの障害者とか、認知症老人というのは、意思疎通ができなくなったら、人間としては疑わしくなるんじゃないか。そういう考えは非常に多いと思う。それは違うということは指摘しなきゃいけない。〉

 

 私はこの事件は今の社会風潮を色濃く反映していると考えている。今回の障害者殺傷事件を通して、他人事としてではなく、自分の生き方の問題として考えていきたいと思う。