日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎共に分かち合える人に包まれて

〇迷惑かけてありがとう
「福祉関係の活動をしていたとき、精神障害などを抱えた当事者の親御さんと、様々な機会に、考えたり行動を共にしたりした。当事者は様々な困難を抱えているが、それ以上に、親御さんに、たいへんな苦労や困難を抱えている人もいた。」

 というような記事をFacebookに投稿したら、ある人から個人的に相談を受けた。それは「こうしたらいいよ」なんて、簡単に言えないような内容で、とにかく一緒に考えていくことにした。

 先日娘から家内に電話があった。最近、娘がある知人と会って様々な話をしたという内容である。

 その知人は、彼女の娘のことで葛藤が続いていたが、娘も結婚し落ち着いていて、今は知人も気持ちが穏やかになっている。とのことで、妻も娘も大層嬉しかったようである。

 私の娘もいろいろなことを抱えていて、一時は妻との関係もぎくしゃくしたものであったが、今は二人の関係は和やかなものになっている。そのようなことからも、知人親子のことが嬉しかったのではないだろうか。

 福祉活動の中で、自死遺族には自死遺族。アルコール依存症の人を抱えた家族には、同様の苦しみを抱えている家族、引きこもりの子どもを持った親には、同じような困難を抱えている親などなど、一緒に支援グループを作っていることが多い。仔細に見ていけば一人ひとりは違っていても、共感して話を聞いたり、安心してともに考えたりできるのだろう。

 嬉しいこと、楽しいことだけではなく、悲しいこと、困ったこと、苦しいことも共に分かち合える人に包まれているのは、人が前向きに生きていくときに、大きなことだと思っている。

 昨年の座談では、子どもはこんな風に育っていったらいいと思うが、という内容だった。聞いた人の中で、もっと早く気づいていればとの感想もあった。

 しかし、現実には様々な困難があり、気付いたところから始めるしかない。むしろ苦労をしたからこそ、その苦労を分かち合ってくれる人の輪の中で、考えていけるのではないだろうか。

 

「めいわくかけてありがとう」ということばがある。
 元日本フライ級チャンピオンのプロボクサーからコメディアンに転身した、「たこ八郎」の口癖で自らの“座右の銘”である。歌人・福島泰樹氏のお寺にあるお墓で、そこに平仮名で「めいわくかけてありがとう」と書いてあるそうだ。

 世間では、何か重大な問題が起こると、えらい人たちが「ご迷惑をおかけしまして、まことに申し訳ありません」と深々と頭を下げたりするが、シラーとした印象のときが多い。

 たこ八郎の、「めいわくかけてありがとう」には共感を示す人もいて、よく取り上げられる。
 私も面白いと感じている。どのような分かち合いなのだろう?
 ただ、妻に対しては、面と向かっては言わないが、そのような感情が出てくるときも、たまにあるような気がする。

 海で心臓麻痺を起こし死亡したのだが、弔問に訪れたタモリは「たこが海で死んだ。何にも悲しいことはない」と、たこの死を悼んだ。というエピソードも好きだ。