日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎子どもや若者の育ちを支援する場を

〇共同体の最優先の課題とは
 昨日のブログで乙武洋匡氏に触れたことで、ある記憶を思い出した。

 小さい頃、言葉が上手く喋れずに、よくぐずっていたそうだ。中には知恵おくれではないかという人もいたらしい。
 ところが、近所の庭師さんが可愛がってくれて、「大器晩成だよ、この子は」とよく言っていた。母も何かと、「この子は大器晩成だ」と言っていた。

 幼稚園の卒園に向けて、同期の仲間で、さるかに合戦をすることになり、「クリ」の役をすることになった。どの役をするのか皆でワイワイやっていたが、僕の場合は、セリフがほとんどないので、すぐに決まった。

 さるかに合戦は「サルをこらしめるために、囲炉裏に潜んでいたクリがパチーンとはじけて、サルのお尻にぶつかる」というような場面がある。そのクリの「パチーン」と大きな声を出すのが唯一のセリフだ。当日は緊張しながら、声を出した。あとで母が、あの「パチーン」は「とても良かったよ」と言ってくれて、嬉しかったのを覚えている。

 妹などの話を聞くと、母に対しては、ことさら良く評価しているのではと思うが、絶対的ともいえるような信頼感は揺らがない。だからなのか、末期状態のひどい状態の時に、兄と妹に全面的に見てもらえて、かえってよかったなと思えている。

 

 出雲に来て以来、家内の従妹の子どもがうちに時々遊びにくる。小学校五年生と一年生の姉妹。姉の方は四歳ころから、妹は、お母さんのお腹にいるときから。来ると暴れまくって遊ぶ。その子達のおばあちゃん(家内の叔母さん)はすぐにダメダメと意見をしたがる。一旦おとなしくなるが、お父さんお母さんも叱りはするけれど、可愛いから迫力がない。だから子どもは、また天真爛漫に遊び始める。

 家には百坪以上の庭、畑もあり、小さな子どもにとっては、花や草、ダンゴムシ、アリなどの虫、畑の作物収穫、土いじり等々、そこで遊びまわるのが楽しいのだろう。それを見て、いいなーと思っている。子どもはそうやって育っていくと思う。

 九州に来てから合宿やけんさん会で、青年たちといろいろな話をしたり、Tくん、という一歳ほどの幼児と生活を共にした。

 みんなから可愛がられている、この子の成長の過程を見るのも、九州に遊びにいく私たちの楽しみになっている。

 父親は大学で研究者として活躍しているが、母親は、東京から九州によく来るそうである。昨年11月、母子と帰りが一緒になるときがあり、大牟田から博多まで、寝ているこの子を私の膝に乗せていた。1時間ほどであったが、ずっしりと重みを感じながら。

 お母さんは、子どもが乳児、幼児前期ぐらいのときには、四六時中、抱いたりおんぶしたりして、育てていく。この過程は、心身ともに鍛えられ、大事なものが培われていくのだろう。そのようなことも感じながら。

 

 武道家の内田樹が『街場の共同体論』(潮出版、2014)の中で、
「先行世代から受け継いだものを後続世代に引き継いでゆく、そういう垂直系列の統合軸を持った相互扶助・相互支援的な共同体が、もう一度、たとえ局所的にではあれ再建されなければならないと思います。その共同体の最優先の課題は、子どもを育てること、若者たちの成熟を支援することです。(p200)と,述べている。

 そのような教育共同体が、規模は様々であろうが、あちらこちらに出てくるのではないかと予測している。
 その一つの実践として、住い・道場も兼ねた広場「凱風館(かたくなな心を開く広場)」を立ち上げた。その関連の記録を読むと、楽しさ、面白さ、思慮深さがひしひしと伝わってくる。

 内田氏のようなバイタリティや人脈は乏しいながら、私たちもそのような場を、ささやかなものでいいので作れないものかと、知人たちと話している。