日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎たまゆらの記⑥

〇100分de名著について

 楽しみしているTV番組に「100分de名著」がある。

 名著と言われる原書の情報を有効に活用して、現代の問題に活かすことが大事なので、簡潔に焦点を絞った番組は貴重である。

 

 解説本と番組は、読みたいと思っていて読んでいなかった名著や評判の高いと言われる本や作家を簡潔に紹介してくれ、著者もそれなりの人が選ばれている場合もあるし 選ばれた著者もしっかり書いているものが多いので、原典に手が出しにくい今の自分にとってありがたい。

 

 また触発されて、原著(翻訳されたものも含めて)を読み始めた書籍もある。

 ここでは『ボーヴォワール“老い”』を見ていく。

 

 ボーヴォワール『老い』(朝吹三吉訳、人文書院)は未読ですが、社会学者・上野千鶴子の視点で、原著から引用し、その解説を中心に置きながら、「老い」というテーマについて語っている。

 

 私自身の大きな関心が「老い」というテーマであり、一か月4回に亘った番組からもいろいろ考えたし、解説本も含めて印象に残ったことを記録する。

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 〇上野 千鶴子『ボーヴォワール“老い”』より

 解説本の基底音は、「現実を否認せず、年齢に抗わずに、老いを受容する必要がある」というメッセージ。

 

 上野は次のように述べる。

 変革のためには、まず現実を知ることが必要です。ボーヴォワールは膨大な資料を読み解いて、厄介者扱いされる高齢者の現実を直視します。また「自分は厄介者になってしまった」と悲嘆する高齢者の心理をも直視します。そして、老いとはこんなにもみじめでみっともないものであるということを、これでもか、これでもかと書いています。読んでみるとわかりますが、『老い』は陰惨な本です。前向きに老いるヒントなどほとんど書いてありません。しかし同時に、全世界で高齢化率が上がり、高齢あるいは超高齢社会に突入した現在の老いの問題を先取りした、先駆的な本でもあります。

 

 わたしは番組でも解説本でも第4回「役に立たなきゃ生きてちゃいかんか!」にもっとも印象に残った。

 

 第4回では、「老いは文明が引き受けるべき課題だ」という視点から、老いてもなお尊厳のある生き方ができる社会とはどんな社会なのかを追求したボーヴォワールの論を、「介護保険」「在宅ケア」など私たちにとって身近な事例を交えて、自分たちの問題としてとらえなおす通路を開いた。

 

 そして「役に立たないからと厄介者扱いするのではなく、役に立てないと絶望するのではなく、わたしたちは老いを老いとして引き受ければいい。それを阻もうとする規範、抑圧、価値観が何であるかをボーヴォワールの『老い』はわたしたちに示してくれます」(p.103)と述べる。

 

 

 第4回「老いという冒険」で上野はボーヴォワールの死についての見解を紹介する。

〈忘れられるか、理解されないか、けなされるか、賛嘆されるか、そのいずれかにせよ、自分の死後の運命が決定されるときは何人もそこには居合わせないのだ。この、知らないということだけが確かなのである。私の考えでは、それゆえ、どんな仮定を立てることも所詮つまらぬことであると思われる。〉

 

 そして、未来に希望を託すボーヴォワールの言葉を紹介する。

〈世のすべての人と同じように私は無限を想定することができないが、しかし有限性を受諾しない。私は、そのなかに私の人生が 刻みこまれているこの人類の冒険が無限につづくことを必要とする。私は若い人びとが好きだ。私は彼らのなかに、われわれの種〔人類〕が継続すること、そして人類がよりよい時代をもつことを望む。この希望がなければ、私がそれに向かって進んでいる老いは、私にはまったく 耐えがたいものと思われるだろう。〉

 

 ボーヴォワールは1986年78歳の人生を全うする。

 ボーヴォワールが亡くなったあとの、フランスの哲学者エリザベート・バダンテールが寄せた追悼文が紹介される。

 

〈子どもをもちたいとけっして願わなかったこの女性が世界じゅうの何百万の娘たちの精神的な母であることはなんという矛盾であり、なんという勝利であることか!〉

(エリザべート・バダンテール「ボーヴォワール ある恋の物語」福井美津子訳「訳者あとがき」より)

 

 第4回番組の最後に、ボーヴォワールの言葉が紹介される。

〈書くとは瞬間を救い出すこと、第一が自分の経験を伝達する喜び 次に言葉で人や事物を永遠化させる喜び。〉

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 わたしは、今の自分の状態を冷静に見つめ、どのような状況になろうと今やれることに心をおいていくこと。

 

 そして、希望を持ち続けることを大切にしたい。

 ボーヴォワールの言葉のように「未来に希望を託す」ということに.