日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

脊髄小脳変性症と診断される (「難病とともに」➂)

〇2019年11月13日退院する。

地元の外科医の紹介によりK病院(甲南医療センター)で検査を受け小脳萎縮がみられ脊髄小脳変性症の疑いで、10月23日から3週間の予定でK病院に入院することになった。

結局、遺伝性脊髄小脳変性症と診断され、11月13日退院してきた。

 

この間、20日に渡って注射(ヒルトニン1mg)を毎日する。同時に薬の効果を確かめつつ、今後に向けて病状にあったリハビリとして言語聴覚療法、理学療法、作業療法の指導を受けながら練習した。

今後治癒することは考えられなく、そのためのリハビリは大事だと思う。

そしてこの症状とつき合いながら、心身の経過を見ていこうと考えている。

 

薬は運動失調症状(小脳症状)に効能が有ると言われているが、それで治癒がされるというわけではなく症状が緩慢になるといわれている。

また、一人ひとりに応じて効果はさまざまであろうし、当然副作用もあるだろう。だが、それ以上のことは皆目分からず、この主治医に任せている。

 

面白いのは各種リハビリで、それなりに意識していることもいくつかあるが、自己流のこともあり、なるほどそういうことなのだなと合点いくことも多々あり楽しい。

退院後も部位を意識しながら継続していこうと思っている。

 

入院中、見るからに私以上に難儀を抱えた人たちと一緒で、様々な思いが出てきたし、自分のことのようにも感じることもあった。

比較的体は丈夫な妻は大層気遣って、ほとんど付き添いのように共に行動することが多く、入院中適宜来て着替えや要望したものを持参し、いろいろな話をするのも楽しみだった。

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○長期入院は3度目である。

1度目は31歳の時。精肉の仕事で三重県津市から和歌山県御坊市に行く車中での事故である。車中から救急車の職員からようやく引き出されたのはかすかに覚えているが、あとは朦朧として、気がついたときは和歌山の病院にいた。真夜中の居眠り運転で喫茶店の壁にぶつかる事故で、運転手は内臓破裂、助手席にいた私は椎間板や足腰をやられ下半身不能の恐れも疑うような大事故だったようだ。

幸い1月半である程度回復したが、背骨が歪んでいて歩き方に独特の癖があり、外科医や理学療法士によると、その影響はあるという。

 

2度目は50歳の時。昼は精肉の仕事をし、夜津市から車で30分ぐらいの伊賀市に通っての研修関連の仕事で、帰りの車中で少し違和感を覚え、居宅に戻ってから息も絶え絶えになって、診療所そして病院に担ぎ込まれた。

病名は肺気腫で、1月半後に退院した。それ以来肺にまつわることが弱弱しいと思う。

 

2度とも今から見ると異常ともいえる仕事人間で入院期間は本を読んだりして、ほどよい息抜きの時間だった。

今回は3回目の入院であったが、入院生活をそれなりに味わい、同時に今後のことをいろいろ考えていた。

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