日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎私の滑舌のこと(たまゆらの記㉘) 23/2/4

〇先日韓国のTさんから写真つきのメッセージをもらい、懐かしかったです。

私は40年程前、しばらく20歳前後の若者や青年たちと関わっていました。その青年たちも、その当時の私以上の年齢になっていて、ブログやFacebookなどで、各地で活躍しているのは楽しく嬉しいです。たいしたことはできないですが、何かと応援したくなります。

 

今は様々な機能を使えばすぐに話しはできます。Tさんと少しでも話をしたかったですが、滑舌が悪く電話でも何を言っているのか分からないとよくいわれることもあり、今回は文章交流だけにしました。それでも直接お会いして面と向かえば話はできると思います。

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〇私の滑舌の悪さの小歴史

・出雲時代  

10年程前出雲にいた頃から隔絶が悪く、知人のアドバイスで「あえいうえおあお」と舌のまわりを意識しながら練習していた。

そのための時間を取るというよりも、散歩しながら、運動しながら、風呂につかりながら等々、ちょっとした合間を使って、口を大きく動かしていた。結構面白いので、クセになっていたのだろう。

 

それ以来、妻は「お宅の旦那おかしくなったんじゃない」と、よく声かけられたそうである。

人のいるところでは声を出さずに口を動かすようにはしていたのだが、つい声が出てしまうときもある。それを見た人は、何か不審な感じがしたのだろう。ちょっとした話題になっていたそうである。この地域では、そういう類は、すぐに話題になってしまう。

 

 「変な人」と思われても、33%ぐらいあてはまるので別にかまわないが、妻はたまらないので、噂に大きな影響のある人が集まっている場で、発声練習のことを説明したので、それ以来、不審の眼差しから好奇心の目に変わってきたそうである。

 

・難病診断以後

3,4年前から、耳が遠くなったことに加え、徐々に滑舌が悪くなって、聞き違えや、聞き返されることが多くなり、失敗談もあり、数年前から福祉関連の仕事をやめていた。もともと舌足らずで、年齢的に仕方がないなと思っていた。

 

また、病状とともに滑舌も耳の聞こえなさも嵩じてきて、テレビも字幕付きで見ている現状である。発声練習もおろそかになってきた。

だが、孫との会話、絵本読み聞かせや友人、知人がきてくれた時に話をできるように、これ以上悪くならないよう、発声練習に取り組んでいるところである。

 

何事も使っていなければ衰えていくという、単純な理を感じている。

【参照】

※発生練習項目として「般若心経」、北原白秋「あめんぼの歌」に加え自作の「季語入り発声練習帖」を作った。

・「季語入り発声練習帖」

暖かな 朝だ歩こう あえいうえおあお

かたつむり 風とかけっこ かけきくけこかこ

爽やかな 山河に誘われ させしすせそさそ

田植え歌 土と楽しく たてちつてとたと

七草の なずなをつんで なねにぬねのなの

初日の出 浜のはるかに はへひふへほはほ

満月に ミモザ満開 まみむめもまも

八重桜 行く吉野山 やえいゆえよやよ

落葉樹 瑠璃色落暉 られりるれろらろ

若布刈る 若人ワイワイ わえいうえをわをん