〇友人の手記を読む機会がありました。
若い頃の体験や印象に残ったことなど現在の見方で振り返り、およそ30数年後の今の活動や気をおいていることを簡潔に綴った記録です。
多少その経緯を知っていることもあり、よく伝わってきて楽しく読みました。
30数年前、私は青年に関わる活動をしていて、その時の私よりも年齢が上になった若人が各地で活躍している記事を読むのは、嬉しい限りです。
その手記の末尾に〈社会を変えるとか大層なことはできませんが「一隅を照らす」そんな人でありたい。〉とあり、「一隅を照らす」にアフガニスタンで亡くなられた中村哲さんのことを思いました。
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中村哲さんは、よく「照一隅」というメッセージを伝えていました。
自身が置かれた場所で、一つのことに最善を尽くす、という意味です。
2003年の若い医学生対象の講演『病気はあとでも治せるからまず生きておりなさい』の最後の節「患者にとって良いことは何なのかを考えることで、豊かな心を得た」に、「照一隅」にふれています。
〈「一隅を照らす」という言葉があります。一隅を照らすというのは一つの片隅を照らすということですが、それで良いわけでありまして、世界がどうだとか、国際貢献がどうだとかという問題に煩わされてはいけない。世界中を照らそうとしたら、爆弾を落とさなくちゃいけない。それよりも自分の身の回り、出会った人、出会った出来事の中で人としての最善を尽くすことではないかというふうに思っております。今振り返ってつくづく思うことは、確かにあそこで困っている人がいて、なんとかしてあげたいなあということで始めたことが、次々と大きくなっていったわけですけれど、逆に二〇年間それを続けてきたことで私たち自身が、本当に人間にとって大事なことは何なのか、人間が無くしても良いことは何なのか、人間として最後まで大事にしなくちゃいけないものは何なのか、ということについてヒントを得たような気がするわけです。結局自分が助かったということですね。助けるとは助かるという言葉がありますけれども、その通りでありまして、この事業を通じて私たち自身が、気持ちが豊かでかつ楽天的になったということがいえます。〉
社会を変えるとか、世の中のためとかと称した人や集団が初めは善意からはじまったとしても、おかしなものになっていくのはよくあります。
それよりもまず、自分の身の回り、出会った人、出会った出来事の中で人としての最善を尽くすことではないかというのは無理がないと思います。
夢というか志を持つのは大事なことだと思いますが。
自分の身体状態や社会状況がどうであろうと、わたしも楽しく「一隅を照らす」を心においていこうと思っています。
参照:「照一隅」(中村哲)
https://masahiko.hatenablog.com/entry/2019/12/14/215923