日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎書評:長谷川眞理子+山岸俊男『きずなと思いやりが日本をダメにする』

〇本書は大きく二つの軸「進化で作られた人間の性質を出発点とする」、「人は社会システムの中で動いている」で対談が進む。

 

 テーマごとに次のようにまとめられている。

①何が問題なのか?(観察)

②なぜそのようなことが起こるのか?(機序)

③それを改めるにはどうしたらよいか?(解決)

④そのためにいま何がなされているのか?(現状)

⑤これから何をなすべきか?(将来)

 

 これを長谷川は進化生物学の知見で、山岸は社会心理学の知見で読み解く。

 

 主観的な根拠のない精神論で、大切な問題を安直にあつかう、「心でっかち」な日本型政策のありように警鐘を鳴らすことから、本書は始まっている。

 

 第一章「心がけ」「お説教」では社会は変わらないからはじまり、第二章では、人類進化史からみた「人の心」、「幻想の共有」で社会は作られる。

 第三章で「協力する脳、知性」の秘密、「心の理論」、「共感力」と続く。

 

 ・人間が知性を持ったのは社会なしに生存できないから。

 ・人間の脳は他者の心を読もうとしてしまう。

 ・周囲の視線を気にしたり、集団内の裏切り者を見つけ出したりする能力を持つ。

  ふたりの対話からこうした特性が見えてくる。

  その起源は有史以前、農耕・牧畜をはじめた1万年前にさかのぼるという。

 

 ここまでは、進化生物学の研究成果のエッセンスがわかりやすく解説されているように思う。

 

 

 上記の見解を踏まえて第四章以下で、現社会の問題点「空気といじめ」、「差別と偏見」、「グローバリズムと雇用」など、進化の結果としての人間の脳の働きを基に社会問題に対する処方箋が示されている。

 

 たとえば、いじめを悪い心が原因だと考え、監視や厳罰や良い心の涵養で対処しようとしても意味がない。

 

 いじめとは、子どもたちが自主的に秩序をつくろうとするプロセスのなかで不可避的に起こる現象だと山岸はいう。

 

 具体的には、いじめの傍観者にならない教育、いじめを見たら「やめろよ」といえる教育、「やめろよ」といっても裏切り者と見なされない教育をしていく。教師の役割はその後ろ盾となることだという。

 

  だが、いじめ問題など納得させられる部分も多々あるが、他方で、雇用問題などについては、あまりにも単純化された議論で、特に山岸の観念的な思い込みに合わせた研究を取り上げていて、そうだろうかと思うことが続く。

 

 結局山岸は、グローバリズムという名の実は主にアメリカの生活様式を礼賛してようにも思う。

 

 終章で、本書のタイトルとなっている「きずなと思いやりが日本をダメにする」で、「2種類あった相互強調性」「二つの独立性」「びくびくする日本人」「仲良くすることは正しいのか」「思いやりが大切の落とし穴」と対談がすすむ。

 

 ここでも「多様性とは違うことに耐えること」、「心の教育よりも思考力のトレーニングを」など共感させられる部分もあるが、そうだろうかと思うことも多い。

 

 ものごとには多面的な要素があり、「相互強調性」「独立性」に限らず、「きずな」「思いやり」なども、ことば自体に問題があるわけではなく、そこのどの要素をさしているのか文脈を読みとることで、それについて言えることではないだろうか。

 

 本書のタイトルにもいえることだが、「江戸時代は北朝鮮並の監視社会だった」の、山岸の見解には研究者としての狭さを感じた。

 

「江戸時代」も「北朝鮮」もそれぞれの特徴があり、ある視点から見ると、部分的に同じようなところもあるかもしれないが、まったく異質なものだと私は考えている。

 

 本書は「心がけ」「精神論」では社会は変わらない。私らの脳に染みついた特性に従って、社会をよりよい方向に変えていくことでしか解決できないという視点が一貫して流れていて、そうかなという個所もありながら、一気に読んだ。

 

 参照:長谷川眞理子+山岸俊男『きずなと思いやりが日本をダメにする 最新進化学が解き明かす「心と社会」』(集英社インターナショナル 、2016)