日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎異文化間比較が未来をつくる(川田順造『三角測量による文化比較』より)

〇人類学では人類の進化を言い表す表現として、"自己家畜化現象" という言葉を用いる。

 

 "自己家畜化現象"とは、ヒトが自己をあたかも家畜のごとく管理する動物であるという認識から生まれた概念で、1930年代のドイツの生物学者たちがそのように呼んだ。

 

 “自己家畜化”とは、野生生物をさまざまに家畜として「改良」ゆくなかで、そのまなざしが反転して、馴らすが側、つまり人間自身のほうへも反転して送り返されるということ。

 

 つまり、人類は家畜を有用性や効率性という観点から選別し、改良し、廃棄し、そのおなじ視線を反転させて、自己自身に向けるようになったのではないだろうか。

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 川田順造は、自己家畜化の過程は、ある社会がもつ文化によって大きな違いが生まれるとの観点から、「技術文化」という概念を使い、「三角測量による文化比較」で具体例をあげて説明する。

 

「技術文化」というのは、ある技術上の原則を、その技術を運用する人間の価値志向(世界観とくに自然観、生き物に対する考え方、経済観、労働観など)と組み合わせた複合として著者が提唱した概念。

 

 なぜなら、技術はその文化のもつ世界観の具象化であり、その技術もその文化のなかで生きている人間の経済観や労働観を通して実現され、社会関係によって運営される活動だから。

 

 三角測量とは、西ヨーロッパ文明(フランス)とアジア(日本)とアフリカ(モシ族)の三点の指向性の特徴を、A、B、Cの「理念型」操作モデルとして、自己家畜化という尺度から3つの文化を比較測定する。

 

 

 異なる文化を比較する場合、大きく分けて二つの行き方がある。

 一つは連続の中の比較で、隣接する地域の文化間における伝播、受容、受容拒否など、相互の影響関係を比較によって検討するもの。例えば、日本と中国や朝鮮半島の文化比較。

 

 もう一つは断絶における比較で、日本、フランス、西アフリカ(旧モシ王国)のように、十九世紀末まで互いに直接交渉がなく、地理的にも隔たった、自然条件もまったく異なる地域で、それぞれの道を歩んできた文化の比較。

 

 第1の連続の中の比較の目的を『歴史的な探求』と呼ぶとすれば、第二の断絶における比較では、まったく異なるようにみえる現象を比較しながら掘り下げることで、その現象の人間にとっての根源的な意味を、比較を通して『論理的』に問うことを目的としている。

 

 この「地測の方法から比較的に借用した」という三角測量は、二者関係からではなく、三者関係から物事の本質(=その現象の人間にとっての根源的な意味)を探ろうという方法論である。

 

 

三文化の基本的な指向性の差異

 川田氏は『三角測量による文化比較』の手法で、、ヒトと道具における三つのモデルを措定する。

A=道具の脱人間化(フランス文化)

B=道具の人間化(日本文化)

C=人間(人体)の道具化(旧モシ王国)

 

 フランスから抽出される技術文化のモデル(モデルA)は、「二重の意味での人間非依存」への指向性による特徴がある。

第一に、個人的な巧みさに依存せず、誰がやっても同じようによい結果が得られるように道具や装置を工夫することであり、第二に、人力を省き、畜力、水力、風力など、人力以外のエネルギーをできるだけ利用して、より大きな結果を得ようとする嗜好性に、その特徴を見ることができる。

 

 これに対して、日本文化から抽出される技術文化のモデル(モデルB)の「二重の意味での人間依存」への指向性による特徴がある。

 第一に、人間の巧みさによって単純で機能未分化な道具を多機能に使いこなすことであり、第二に、よい結果を得るために、人間の労力を惜しみなく注ぎ込むことである。

 

 これに対して、モデルCに認められる基本的な指向は、依存のなかのはたらきかけとして特徴づけられる。

 厳しい生活条件の中で、とにかくあり合わせのもので何とかする・してもらう、したたかな知恵にみちた価値観と著者はいう。技術の面では「ブリコラージュ」(あり合わせのもので器用にやりくりすること)によって特徴づけられる。

 

 

 具体例として、食事の道具を見ていく。

 一七世紀ころからフランスでも使われるようになったナイフ、フォーク、スプーンの三点セットは、切る、刺す、掬うという分化した機能は、それぞれにおいては日本文化の箸より優れており、箸を使うのは長い間の訓練が必要だ。

 

 当面利用できるものを工夫して使う価値指向をもつモデルCでは素手で食べる。

 むしろこれは三点セットや箸よりも、かなり広い地域の社会で行われていて、それなりの技術、仕方があり、一種の「人間の道具化」とみていいだろう。

 

 ちなみに二歳半過ぎの孫は、手掴みから、徐々にスプーン・フォークを使いはじめ、今では巧みに使っているが、箸はまだである。

 

 食事の道具に限らず、さまざまな職人が使う道具の具体例をあげて考察していく。

さらに「身体技法」にも及び、「モデルA=道具の脱人間化」と「モデルB=道具の人間化」の比較検討は読んでいて、興味は尽きない。

 

 

「他の生き物との関係をどう考えるか」

 労力については、モデルAが、畜力、水力、風力など、人力以外のエネルギーを最大限に利用しながら、人間の労力をできるだけ省くための工夫を重ね、やがて近代の機械テクノロジーの発展へとつなげてゆく。

 

 一方モデルBでは、より大きな成果を得るために人間の労力を惜しみなく注ぎ込むことがよしとされる。

 

 例として生活に密着した稲作をあげる。

《限られた水田(灌漑による稲作は、同じ土地でいくらでも連作が可能な、まれな農法だ)で、労働生産性は無視して土地生産性を上げるための、惜しみない勤労を推奨する価値観に見ることができるだろう。》

 

 この背景にあるのは、モデルAにおいては、他の生き物の利用は人間の当然の権利とする「人間中心主義」であり、人間が牛や馬や豚や鶏を家畜化し,肉を食べたり労力補助に利用したりすることを正当化している根拠は,旧約聖書の創世記にある。

 

 一方モデルBにおいては、人間と他の生き物とを地続きの自然の一部と見、みずからが生きてゆくために他の生き物を殺生せざるを得ない場合は、「供養」のしきたりをもつ場合もある。

 

 モデルCの背景は、「自然と社会の両面での既存の状況に依存しながら、それに対してはたらきかけ懇願して、何とかしてもらう」、そのうえでとりあえずは、「ブリコラージュ」(あり合わせのもので器用にやりくりすること)という風がある。

 

 これは「労働契約」「はたらく」という概念にもつながる。

 モデルAのヨーロッパにおけるキリスト教世界では,「はたらく」というのは人間の原罪を贖う行為である。禁断の樹の実を食べた人間に,創造神ヤハウェが課した罰が「労苦」であった。

 

 そのためヨーロッパでは,日本やアフリカに見られるような労働に対する感謝やねぎらいという考え方や,それを表す言葉がない。

 

 例えば,日本語の「ご苦労さま」にあたる,労をねぎらう言葉はフランス語にはない。逆に,アフリカのモシ語には「ご精が出ますね!」「あなたの骨の折れる労働ともに!(頑張ってくださいの意)」など,働いている人を励ます慣用句が多くある。

 

 キリスト教思想の根付いたヨーロッパでは,日本やアフリカとは違い,「はたらく」ことを「労苦」「罰」だとする考えがある。その考えが,労働するときにはなるべく人間以外のものに頼り,人力を省こうとする「道具の脱人間化」という指向性を生み出したともいえる。

 

 もちろんこの「三角測量」はあくまで多様な技術文化を比較分析するときの操作モデルとして具体的な調査から抽出されてきたもので、地球上のさまざまな地域の商品経済と文化とがグローバルな次元でかき混ぜられた現在、純粋な形ではほとんどあり得ない。

 

 だが、モデルAがグローバル標準として圧倒的な覇権を印している現在社会において、モデルBやモデルCのことを取り込み、再評価してゆくかが、今や人類社会に大きな課題として迫っているのではないかというのを川田は考えている。

 

 川田は次のように述べる。

《現在世界に求められているのは、根本的なパラダイム、考え方の枠組みの変換だ。局所療法、対症療法が、いたるところで頭打ちの困難に直面している現状で、人間の技術と、ヒト=自然関係のありかたについての、パラダイムの根源的再検討と変換への模索が必要だ。(-----)

 

 文化、とくに月まで到達した科学技術の進歩に人々が喝采する一方、二十世紀は未曾有の規模で、ヒト同士の大量殺戮が行なわれた世紀だ。ヒト同士が大規模に殺し合っただけでなく、「知恵のある人」がその技術力で、ヒト以外の種の生物を無制限に殺し、生態系の調和を危うくしたのも二十世紀だ。(-----)

 

 こうした暗い未来図を前にして、私たちが抱きうるせめてもの希望は、ヒトを絶望に向かって追い立ててきたグローバルな流れの底で、あちこちにささやかな逆流をおこしてきた、それ自体決して固定されたものでない、「エスニック」なものの芽を、「グローバル」との関係で育ててゆく努力ではないだろうか。》

 

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「参照」

・尾本惠市編著『人類の自己家畜化と現代』(人文書院、2002)―川田順造)「人間の自己家畜化を異文化間で比較する」の『三角測量による文化比較』

・川田順造『〈運ぶヒト〉の人類学』 (岩波新書、 2014)

・川田順造『人類の地平から―生ること死ぬこと』(ウェッジ、2004)

・鷲田清一『つかふ 使用論ノート』(小学館 2012)