日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎魂の奥底から思うこと(岩崎航詩集『点滴ポール ~生き抜くという旗印』を読んで。②)

※同日の【貧しい発想(岩崎航詩集『点滴ポール ~生き抜くという旗印』を読んで。①)】に続いての投稿記事。

 

〇2015年5月、6月と読売新聞のヨミドクターの岩永直子さんから5回に亘って編集長インタビューを受けて、その記録が、読売新聞・「yomiDr」に掲載された。

 本文の詩とともにいくつか編集してみた。

 なお、編集長インタビューは次のようになっている。

岩崎航さん(1)「暗闇の灯火 それは五行歌」(5月29日)

岩崎航さん(2)「『病魔』と闘う 医学の力と生活を支える力」(6月8日)

岩崎航さん(3)「祈りと芸術 魂の奥底から思うこと」(6月15日)

岩崎航さん(4)「震災 言葉を見失い、言葉に救われる」(6月22日)

岩崎航さん(5)「人生の胎動 人との関わりが広げる世界」(6月29日)

 

 岩崎航のエッセイ「生き抜くという旗印」の後半部は次の言葉となっている。

〈でも、それができていた子どもの頃に戻りたいとは思わない。多く失ったこともあるけれど、今のほうが断然いい。

 大人になった今、悩みは増えたし深くもなった。生きることが辛いときも多い。

 でも、「今」を人間らしく生きている自分が好きだ。

 絶望のなかで見いだした希望、苦悶の先につかみ取った「今」が、自分にとって一番の時だ。そう心から思えていることは、幸福だと感じている。

 

 授かった大切な命を、最後まで生き抜く。

 そのなかで間断なく起こってくる悩みと闘いながら生き続けていく。

 生きることは本来、うれしいことだ、たのしいことだ、こころ温かくつながっていくことだと、そう信じている。

 闘い続けるのは、まさに「今」を人間らしく生きるためだ。

 

 生きぬくという旗印は、一人一人が持っている。

 僕は、僕のこの旗をなびかせていく。〉

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(1)「暗闇の灯火 それは五行歌」

 筋肉が徐々に衰える難病「筋ジストロフィー」を3歳で発症し、人工呼吸器や身の回りすべての介助なしでは生きられない詩人、岩崎航さん(39)。詩集『点滴ポール 生き抜くという旗印』(ナナロク社 写真・齋藤陽道)に収められた五行歌は、生きる喜びと生き抜く覚悟を歌い、読む者に力を与えてくれる。「多く失ったこともあるけれど、今の方が断然いい。絶望のなかで見いだした希望、苦悶の先につかみ取った『今』が、自分にとって一番の時だ」と書く岩崎さん。命や医療について考えるインタビュー連載は、この人から始めたい。(岩永直子)

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自分の力で

見いだした

ことのみが

本当の暗闇の

灯火(ともしび)となる

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「創作を始めたことで、ゆっくりと心が動き出してきました。心が動き出す中で、人と関わって生きたいという気持ちも強まり、実際の行動にも結びついていったのではないかと思います」

 本名が「稔・みのる」の岩崎さんは、「航・わたる」というペンネームを決めた。

「航海の航、航空の航。サン=テグジュペリの書いた『夜間飛行』を読んで感動があったからです。闇のような、真っ暗で何も見えない中、たどり着く灯台のような灯りも、帰り着く先もわからなくなってしまう状況もある。そういうことが書いてあって、ほとんど自分の人生と一緒だと思ったんですね。迷ってしまって、光も見えない時もあるけれども、それでもやっぱり飛び続けていく、生き続けていく。だから航。人生の大海原も、山坂も渡っていく。自分の人生を渡りきっていこうという思いを込めました」

 

(2)「『病魔』と闘う 医学の力と生活を支える力」

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本当に

「治る」とは

何なのか

一生を懸けて

掴み取る

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 筋ジストロフィーやALS(筋萎縮性側索硬化症)など、進行性の難病を抱えると、人工呼吸器や胃ろうを着けるべきか悩む患者もいる。

「この状態で生かされて、本当にこの人のためになっているのかと、自問せずにはいられない極限的な状況があること。それは自分なりに無視していないつもりです。その問いは、ある意味で周りの支援する人たちの真摯さの表れでもあると思います。そして、当事者も、周りに迷惑をかけてしまうのではないかという思いから、こうした医療や介護の助けを借りることにためらいを感じてしまうことがあるのも事実です。ただ、色々と困難な状況はあると思うんですけれども、『点滴着けてまで』とか、『呼吸器を着けてまで』と言う前に、一人の人間が前向きに生きる力を失うことのないように、もう少しできることはないのかと言いたいんです」

 

(3)「祈りと芸術 魂の奥底から思うこと」

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何にも言わずに

さすってくれた

祈りを込めて

さすってくれた

決して、忘れない

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「私のような病気を持つ患者は、どうしても家族に負担をかけるのは申し訳ないという気持ちがあり、こうした患者の生活を支えるための医療や介護などの社会資源や、生活の質を上げる機器などの情報は十分行き渡っていない。そうすると、患者は、生き続けるための機器や人工栄養を使いたくても言えなくなってしまう可能性があります。また、『終末期』をどこに置くかは、個人の生命観に左右されると思いますが、社会全体に、『動けなくなったら、ものを食べられなくなったら、生きていても仕方ない』と思い込む傾向が、無意識のうちにもあると思います。医師の中にもそういう人はいるでしょう。そうした人たちは、まだできることがあるのに、『終末期』を早めてしまわないかという懸念が拭えません。終末期の苦痛を減らしたいという気持ちは理解できますが、現状で、そんな法案が通過したり、社会通念が広まってしまったりすれば、生きたいのに生きられない人を増やすことになるのではないかと恐ろしさを感じます」

 

(4)「震災 言葉を見失い、言葉に救われる」

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もう言葉がない・・・

まして歌など出てこない

なぜできる?

なぜできようか!

心がこわばり動かない

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(東日本大震災)は病を抱えた自分だけでなく、誰もが先の見えない大変な状況に陥った緊急事態。岩崎さんの心は、閉じていった。

「家族を含めて周りは皆、奔走するのに、自分は動けない。本当は自分も動きたいけれども、何もすることができないというのは、すごくつらいことだったんですね。それはやっぱり僕の中で今までにない経験。今まで、これほどの状況に追い込まれたことはなかったですね。自分は守られるばかり、助けてもらうばかりで、周りの人は奔走して、疲れていく。自分がこんなにも周りを疲労困憊させている。周りの人はそういうふうには思っていないんですけれども、私の心情として、周りが疲労困憊していく姿を見ることしかできない、本当に自分の存在はなんなんだという考えに傾いていきそうになる。それは今思うと、悪循環だと思うんです。答えはないし、そういうつらさは、震災に遭ったことで、改めて強烈に突きつけられたことなんです」

 

(5)「人生の胎動 人との関わりが広げる世界」

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関わりの海

そこで生きるが

全てなのだと思えてきたら

何だか人に

会いたくなった

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 岩崎さんの世界を広げてくれた人との関わり。それは、自身が勇気を出して踏み出した、一歩から始まった。

「人との関わりの海の中で生きるというのは、私がつかんだ実感なんです。詩を書こうと決めたことも、在宅医療や訪問介護を受け始めたこともそうですが、自分から人と関わっていこうと決めた、そういうふうに一歩踏み出したことから、色々な人と出会うし、色々なことにつながっていく。こうした病気や障害という環境にいると、どうしても家族やごく限られた人としか会わなくなっていきがちで、人間関係が広がらなくなってくるんですね。だけど、そのままずっと続けていたら、自分の中でやっぱり、こうしてはいられないという思いが強くなったんです。介助もかつては家族に全面的にやってもらっていたんですけれども、家族だって年を重ねるし、それでは先がない。そういうふうに考えたのも、25歳で創作を始めたのと同時期なんです。自分にできることの模索と同時に、人と関わっていこうと決め、自分なりに努力したんです」

 

「これからもつらいことはあるでしょうし、私は主に病気がつらい状況を生むのですが、病気以外にも色々手も足も出ないようなことは、生きていれば必ずあると思うんです。色々大変な世の中ですけれども、それでも、生き抜くという旗印は、皆それぞれ持っている。僕は僕の生き抜くという旗印を掲げて、生きていこうと思っています」

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