日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎「比べる」について思うこと(「ありのままを見る」ことの模索

※安義寺住職の吉水氏のFacebookの記事に示唆されることがあり、その投稿記事の「『比べる』について」を私の関心にてらして考えてみる。

〇吉水氏が述べる「比べる」は「慢」mānaマーナのことで、アビダンマの「不善心所」14項目の「欲」のグループにあり、その3つのグル分けの「慢」mānaは「計る」「比べる」の意になるという。

「比べる」を知ること、理解すること、比べていることに気づくことが大事だと、具体的に調べる順序として次の問いかけをする。

① 比べるとはどういうことなのか?

② なぜ比べるのか?

③ 比べることで幸福になっているのか?

 そして次のようにいう。

〈スマナサーラ長老は、『比べることは「ちょっとした病気」のようなものです。』と仰っていました。私たちも「ちょっとした病気」を持っていると理解されたら、その対処に良いと思います。〉

『比べる』について その二では、次のように述べている。

〈どうやら私たちは、「比べる」「比較する」「計る」「計算」「区別」「選択」「葛藤」「判断」「評価」「拒絶」「受入」「正当化」などは得意なようですが、「ありのままを見る」ことは得意ではありません。注意深くただ見つめることはしないのです。しかし、冥想とは実にこのこと以外に何もありません。〉

 大雑把だがそのようなことを書かれていると思った。

----- 

〇ものごとや自分のことを「ありのままを見る」ことは、何かを考えるための初めに自覚すべき大事なことと思っている。だが、その自覚の不十分なまま、憶測したり、穿った見方をしたりして、失敗をくりかえしている現状である。ここではまず「比べる」「計る」のなかで「比べる・比較する」について思うことを書いてみる。

 

「比べる」は、①今現在の自分と、過去の自分像や望ましい自分像との比較。②他者との比較。➂何かと何かとの比較。などあるが、いずれの場合も、真直ぐものを見ることからはじまる。

 

 50歳を過ぎてから介護など福祉関連の活動を始めてから、さまざまな高齢者や障がい者に接してきて、自身の今の状態を「ありのままを見る」こと、あるいはその人自身の心身状態との折り合いを付ける(受容)ことの大事さを感じていた。

 私も60歳代になって、あちこち身体的な衰えを感ずるようになり、なんとなく落ち着かない気分の増えてきたこともあり、そのことをより一層感じるようになった

 

 介護関係で高齢者に接してきて、また、父母や義父母を見てきて、「この程度ならまだやれるはずだと思い込んでいる自分、あるいはそう思いたい自分」と「やれることが減っている現実の自分」にはギャップが出てくる。心身がある程度健康な時は適当な折り合いをつけながら暮らしていくのだが、老齢化により身体が弱ってくると、頭や想像力で考え感じていることと、実際の行為・行動の距離が益々大きくなり、その間の調整がつきにくくなる。

 他のだれかに言われるまでもなく、自分自身によって自己評価が下がることが、もっともつらく、受け容れ難いのだろう。

 このことは高齢者に限らないが、特に高齢期は身体的な衰微が目に見えるように進むので、それに伴って精神的な不安感がさし迫ってくるようだ。

 

 しかし、老齢化よって身体が衰えていくというのは自分で作り上げた一番良い状態の基準から見た思い込みであり、「身体」は生まれてから何れのときでも、刻々と変わりながら、自分の状態とまわりの状況との平衡状態を保とうとする働きをしている。

 過去の自分というのは、現在の自分から見たら「他者」のようなものだともいえるのでは。生きるとは変化するということであり、まさにそれが生命活動なのだろう。

 

 私については、体のギクシャクした動きで「アレッ」と思うことも増えてきている一方、70歳代になって、いろんなことを味わう深みがかわってきているのも思う。ブログなどで同年齢近く、それ以上の人の記事などを見て、こういう楽しみ方があるのだなど、より身近になってきている。老齢に応じて、心の面では深くなることもあるのだろう。

 

 鶴見俊輔の岡部伊都子との対談『まごころ』の最後の部分に、次の発言がある。

〈鶴見:若さからの解放が、そうとう楽しいことなんですよ。—-それは若い人にはわからないね。年をとっているのは、みんなみじめで、若くなりたいと思ってると、それが若い人の錯覚なんだよ。〉

 このような心境にはまだまだな私であるが、比べることのない、今の自分を「ありのままを見る」ことで、いろいろなことを素直に見ることで、「年をとるのは面白いな、いいものだな」と思えるような生き方をしていきたいと思っている。