日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎「幸せを分け合う居心地のいい会社」とは(武藤北斗著『生きる職場』から)

※友人のTさんが「イノベーション大学」の企画に参加した報告がFacebookにあった。当日のお題は「働き方」で、講師は「生きる職場」の著者・武藤北斗さんとのこと。

 一昨年パプアニューギニア在住の友人のKさんがわが家に遊びに来てくれた。その後、天然エビの詰めあわせと、その関連の武藤北斗著『生きる職場』という本を送っていただいた。

 その著から示唆されることが多くあり、その感想を書いてみる。

 

〇武藤北斗『生きる職場 ―小さなエビ工場の人を縛らない働き方』(イースト・プレス、2017 )の内容紹介は次のようになっている。

〈出勤・退勤時間は自由」「嫌いな作業はやらなくてよい」など、非常識とも思える数々の取り組みが、いま大きな共感を呼んでいる。そして、その先にあったのは思いもしなかった利益を生むプラスの循環だった。2011年3月11日東日本大震災。石巻のエビ工場と店舗は津波ですべて流された。追い打ちをかけるような福島第一原発事故。ジレンマのなか工場の大阪移転を決意する。債務総額1億4000万円からの再起。

 人の生死を目の前にして考えたのは、「生きる」「死ぬ」「育てる」などシンプルなこと。そしてそれを支える「働く」ということ。自分も従業員も生きるための職場で苦しんではいないだろうか。そんななかで考え出したのが「フリースケジュール」という自分の生活を大事にした働き方。好きな日に出勤でき、欠勤を会社へ連絡する必要もない。そもそも当日欠勤という概念すらない。これは、「縛り」「疑い」「争う」ことに抗い始めた小さなエビ工場の新しい働き方への挑戦の記録。〉

 

 上記の経過が丁寧に記録してある本と感じ、私は主に次のことを思った。

・石巻で著者の両親が立ち上げた「パプアニューギニア海産」で、関わった人たちに支えられて大阪移転の営業が再開するようになる。そこには生産者と消費者という間柄を超えた交流がされていた。

・パプアニューギニアと海を超えたつながりは、国と国という行政的なものではなく、著者の父親として、いいものを産み出したいとの願いからする、個人的なつながりであった。

・多額の債務を抱えての大阪移転後の再起は順調なものではなく、失敗・間違い・後悔の試行錯誤を重ねての日々であった。その中から著者が目指す「居心地のいい会社」への願いがあり、それに応じてくれる従業員の取組で、今のような職場になってきた。

 

 大阪移転と再起への道筋は「第二章・僕らを突き動かしたもの」などに詳しく述べられている。その中の「立ちはだかる二重債務」に次のような記録がある。(要約)

〈東日本大震災の津波による工場の全壊様子などから会社の再起という発想は全く持ち合わせていなかった。ところが顧客からの携帯電話などによる励ましの言葉や、「パプアニューギニア海産の代わりをできる会社はほかにはない」「いつまでも待っている」などの言葉に奮い立つ気持ちがした。

 それとともに、パプアニューギニアのパートナーや現地で働いている人たちのこと、そして、両親が会社を設立してから三十年間で培ってきた意義を考えた。そして、住む場所さえまだ決まっていない状況で、規模は縮小しても、何とか継続できる道を前向きに考えるようになる。

 大阪に来て数種間は、取引先の方が用意してくれた家に住むことになり、別の方からは今の工場がある大阪府中央卸売市を紹介していただくことになる。大阪で水産工場を新しく始めるのは数多の工場設備が必要で本当に難しく、この場所を紹介していただけなければ、どんなに縮小したとしても事業の継続は不可能だった。さらに全国の取引先やお客様から寄付金をいただくことになる。

 多額の二重債務を抱えながらの再出発だったが、被災指定地で再建すれば水産加工場であれば八割以上の援助があるところ、大阪で再建をしたので国かの援助は一切ありません。どんなに国や自治体にかけあっても、助けることはなかった。

 今の自分たちがあるのは、助けていただいた全国の皆さんのおかげです。〉

 

 ところが、再起をかけて奔走する中、石巻時代からの工場長が突然退社してしまう。信頼してすべてを任せていたといえば聞こえはいいが、実のところ様々なことを押し付けていたのではないか。自分のことばかりで従業員の気持ちを考えていなかったのではないかと、自らを振り返らざるをえない状況に陥る。

 このことは武藤氏のやるせない後悔をもたらすが、それまでほとんど営業に奔走していたが、積極的に現場にかかわるような大きな転機ともなる。現場をよく知らないので、従業員のひとりひとりに積極的に聞くようになる。

 じっくりと、働く人々と向き合い、話を聞き、意見を聞いていくうちに武藤さんはどんどん変わっていく。従業員をガチガチに管理していた自分。それは従業員も嫌だっただろうが、憎まれ役なんぞを自認していた自分もまた大きなストレスを抱えて、けっして居心地よく働いていなかったことを素直に認める。ああ間違っていたと気付いた武藤さんが、ずんずん変わっていく。武藤さんが変わり、従業員も変わっていく。管理をやめたら人がやめなくなり、長く勤める熟練従業員が多くなることで商品品質も生産効率も向上、何よりも従業員の意識が変わりさらに働きやすくするためにはどうしたらいいか前向きな提案をしてくれるようになった。

 

 その後も試行錯誤を続けるうちに、「居心地のいい会社」を目指すようになる。

〈僕は根本的には仕事というものは、楽しみではなく、生きていく手段に近いものだと思っています。そのうえで、「働きやすい職場」を作るというのは、従業員一人一人が仕事をどのように感じていようと関係なく、会社がひたすらに職場環境や人間関係を整え、誰もが居心地がいい状態を目指すことだと思っています。

 仕事は必ずしも楽しいものではないけれど、そこで居心地よく働けることは大事であり、その結果として楽しみがついてくる可能性はある。〉

〈誤解がないようにお伝えしたいのは、働きやすい会社とは笑顔の溢れる、笑い声の絶えない、そんな会社のことではありません。朝礼でハイタッチもしませんし、お互いを意識的に褒めあったりもしません。そんな見せかけだけの仲よしごっこは、会社の外部に対するアピールでしかなく、従業員にとってはなんの意味もありません。

人が人を必要以上に管理する中で、幸せを分け合うというのは難しいものです。会社であっても、家族であっても。〉

 

 Kさんから送っていただいたエビは「株式会社パプアニューギニア海産」のパプアニューギニア産船凍天然えびで、大阪の会社からのネット通信販売で送られてきた。見るからに手が入っていて、そのエビの天麩羅が美味しく、娘夫婦とわいわい言いながらいただいた。

※参照: 武藤北斗『生きる職場 ―小さなエビ工場の人を縛らない働き方』(イースト・プレス、2017 )

「パプアニューギニア海産」 http://pngebi.greenwebs.net/