日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎福井正之『追わずとも牛は往く』-労働義務のない村でー書評

〇本書は、著者の40年ほど前の1976年から2年程の「北海道試験場」(「北試」―ヤマギシ会)の体験をふまえ、書き進められた記録文学である。

 読むに従って、共同体とは何か? 労働とは? 人と人との生身の人間としての心の交流とは? など、ともに考えていく内容に満ちている。

 

 著者が1976年から2年間体験した「北試」は、当時さまざまな研究者などから注目されていた。

 小学校教員をやめて、「北試」で暮らした体験をもつ野本三吉は『いのちの群れ』(社会評論社、1972)に次のように語っている。

「北試の人びとは、北海道の土に自ら還ることが、最も自然な姿なのだということを知っている。土と人間はもともと一体であり、無数の死者によって大地が形成されていることも知っている。北試には単なる共同生活体への興味を越えた、ある種の前衛的なパイオニアとしての興奮も感じさせる。それはあくまで理念を固定せず、北試という冒険の中でとらえようとしている姿勢そのものの中にあるものだろう。」

 

 1978年、北海道試験場は、太平洋戦後日本の社会に形成されたコミューン(共同体)の中で、かなりの影響をもたらし、今も活動を取り上げられることがある「実顕地」の一つとして位置づけられることになる。

 

 この作品では、「北試」の体験をもとにした物語上の村「睦みの里」に、一家四人が入村するところから始まる。

 主人公の西森丈雄(34歳)は、60年代吹き荒れた学生運動に関わり、その後北海道東部で高校の教職についていたハンカクサイ(現実離れの青臭さを諷するこの地方の方言)な青年だった。

 ある時に、北海道別海町で農民が主力になって、そこに仕事をしないブラブラ族の若者もいて、小さなコミューンを築いていたことを知り、半ば閉ざし埋没してきた夢想がときめくのを感じる。-------

 

 一読しての感想は、「理念」でつながる共同体と、一人ひとりの「生命力」でつながる共同体の本質的な違いを思う。

 

 本書は不思議な構成の作品である。

「睦みの里」の「大空と大地と牛と夢太き人々」との一年余交流が、本書280頁のうち248頁に及び、終章「岐路」に、全国的に展開されていた「全人愛和会」に取り込まれていく過程が10頁余に書かれる。

 丈雄は、もっとも信頼している慎ちゃんから「結局は自分のことは人任せになってしまうんや。それはつまり人事や指導部任せになっていくちゅうことや。良さったて最後は全人愛和会のあり方・理念の線に合うかどうかやろ」と言われ、全人愛和会への期待が急速に萎みだした。

 

 エピローグでは、一九七八年三月『睦み』メンバーはほとんど全員が『全人愛和会』に最参画。『睦みの里』は解散した。(会支部として残る)

 慎ちゃんは、他の何人かの若者といっしょに全人愛和会への参画を拒否し、皆から離脱していった。「なーに理念に負けたんやない、ゼンコに負けたんや」慎ちゃんが丈雄に告げた最後の言葉だった。

 西守夫妻は残ることにした。丈雄はわずか二年の体験だけでは、たとえ全人愛和会に模様替えしたからといって、この道の可能性に見切りをつけられそうな気がしなかったのだ。

 

 上記の記述から始まり、『全人愛和会』=『ヤマギシズム実顕地』での著者の体験の20年余にわたる総括が述べられる。

 

 さらに10数年後になって『睦み』についての記述が始まる。

〈そう、今思い返しても、あそこは独特のあたたかさがあった。そこは、今だからこそかえって心底願う「働かざる者食ってよし」の世界に見える。そしてあの『睦み』の体験がなぜかしら、深い哀惜の念とともに蘇ってくるのである。とすればそれは何なのか。おそらくそれは理念でもシステムでもない。もっと単純で心豊かなもの、丈雄にはそれはやはり『好きな』世界だったというしかない。それももちろん雑多な人間集団のことだから、いいことばかりでなく、辛いことも、厳しいことも、いろいろあった。ただそこにいつも地のまま、過度のままであるような人々がいたということ。それも大空と大地と牛という存在に照射されながらの。〉

 

 最後に著者の現在が語られる。

〈「このことは人生についても言えるだろう。死期に近づけば近づくほど人生を右肩上がりに描きたくなる。丈雄ももはや七十半ばである。しかし三度も人生コースを変更してきた自分には、これからの余生に寄りすがれる記憶は何もなかったように思っていたのである。しかし、まったくそうではなかった。今、その悔恨を別海『睦み』への愛惜によって溶かしながら、希望への、言いかえればわが自己肯定への道に、微かながらに灯りがついたように感じる。(完)〉

 

 このエピローグの10頁程の文章は秀逸で、本書のある意味「核」となるのではないだろうか。

『睦みの里』での、厳しいが豊かな自然・大地の中で、追わずとも牛は往く農体験の記録、里人との心温まる交流と共に。

  

 ※本書の紹介チラシから

幻視される「金のためには働かない時代」

〈著者は、巨大化したコミューンを離脱して十数年。しきりに想い出すのは別海町の「睦みの里」である。仕事をしないブラブラ族の若者、東北からの転住農民---たちが小さなコミューンを築いていた。厳しい冬、はじけるようにやってくる春、牛たちとの生活。 労働とは?  共同体とは何か? 

 机上のコミューン論を超えた、草まみれ糞まみれの記録文学である。〉

 http://blog.livedoor.jp/chalk27/archives/7900278.html 

 

(追記)エピローグはよく纏まっているが、今後の希望も含め、次のことも考える。

 エピローグの『ヤマギシズム実顕地』での著者の体験の20年余にわたる総括部分は、ある程度「実顕地」を知る人にとっては、簡潔にまとめてあるように思う。

 しかし、著者自身のことを主にして、「実顕地」の村人一人ひとりがどのように変容していったのか、その心の動きなど、著者の視点から、きめ細かく描いていくことが、「ヤマギシズム実顕地」について、さらに『睦みの里』と併せて読むことを通して、机上のコミューン論を超えた一つの記録文学になるのではないだろうか。(4月11日記)