日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎逆転の発想 「浦河べてるの家」の地域活動から

〇精神障害の分野で、著名でよく紹介される活動に「浦河べてるの家」の地域活動がある。
 ウィキペディア (Wikipedia)によると、「1984年に設立された北海道浦河町にある精神障害等をかかえた当事者の地域活動拠点で、社会福祉法人浦河べてるの家、有限会社福祉ショップべてるなどの活動の総体である。そこで暮らす当事者達にとっては、生活共同体、働く場としての共同体、ケアの共同体という3つの性格を有している。
 特徴ある取り組みとしては当事者研究が有名で、当事者の社会参加を支える充実した支援プログラム、投薬の量が全国平均の3分の1、病床数の削減など、先進的な取り組みがなされており、世界中から毎年3500人以上の研究者・見学者が訪れる。」と紹介されている。

 様々な批判もあるが、精神障害に携わっている関係者には、一つの模範になっている。

 

 べてるの家の理念は、「・三度の飯よりミーティング・安心してサボれる職場づくり・自分でつけよう自分の病気・手を動かすより口を動かせ・偏見差別大歓迎・幻聴から幻聴さんへ・場の力を信じる・弱さを絆に・べてるに染まれば商売繁盛・弱さの情報公開・公私混同大歓迎・べてるに来れば病気が出る・利益のないところを大切に・勝手に治すな自分の病気・そのまんまがいいみたい・昇る人生から降りる人生へ・苦労を取り戻す・それで順調」
 この理念のもとに、ことあるごとにメンバー同士で集まり病気や共同生活のことについて会議をしている。特に当事者研究が盛んで、自分の病気にオリジナルの病名をつけて毎日の経過をまとめ、報告するのが定例化している。例えば統合失調症の場合、幻聴が症状として現れるが、この幻聴の声の主を「幻聴さん」と呼び、尊重する。

 同伴者として、当初から携わっているソーシャルワーカーの向谷地氏は「べてるの家では世間並みに十分醜い人事抗争も発生する」と言う。

 本音やエゴをぶつけ合い、妄想の世界と現実を行き来しながら、自分や相手の病気を受け止め、あるがままを生きる。失敗を繰り返す自分、そういう自分を許し受け入れてくれる仲間がいることを実感し、自分もまた仲間を許し受け入れる。その活力に医療関係者や見学者も巻き込まれ、「がんばり過ぎている自分」「無理している自分」を振り返らずにはいられないらしい。逆に見学者たちが「べてるに来ると病気になる」などと言われている。

 

 私は、講演などでその動きと人に触れたことがある。ささやかな体験だが、そこで接した当事者は、その頃僕が接していた人たちと、身体の動きなどにそれほど違いは感じなかった。

 だが、自分自身のことを語るときに、とつとつだがおどおどした感じはなく、冷静に分析しようとしている人もいた。全体に自己肯定感があり、明るく自分のことを語っているのは印象的だった。

 私が接していた人たちは、時の話題や趣味などを話すときは生き生きしているのだが、自分自身のことは語りたがらないし、自己否定感など付きまとっている人が多かった。

 この自己肯定感があるというのが大きなポイントだと考えている。

 

【参照資料】
「べてるは、いつも問題だらけだ。今日も、明日も、あさっても、もしかしたら、ずっと問題だらけかもしれない。
 組織の運営や商売につきものの、人間関係のあつれきも日常的に起きてくる。一日生きることだけでも、排泄物のように問題や苦労が発生する。しかし、非常手段ともいうべき「病気」という逃げ場から抜け出て、「具体的な暮らしの悩み」として問題を現実化したほうがいい。それを仲間どうしで共有しあい、その問題を生きぬくことを選択したほうが実は生きやすい。
 べてるが学んできたのはこのことである。こうして私たちは、「誰もが、自分の悩みや苦労を担う主人公になる」という伝統を育んできた。だから、苦労があればあるほどみんなでこう言う。「それで順調!」と。」
(『べてるの家の「非」援助論』「今日も、明日も、あさっても」より、浦河べてるの家編、医学書院、2002)

「地域で、最も弱い立場にある人たちのつながりが、地域の枠を越えて新しい文化を創造しはじめている。しかし、べてるの家は、きっと、このまま、ずっと問題だらけであり続けるに違いない。一級品の生きづらさを抱えた当事者達が、生きるというエネルギーを地域にもたらし、当事者研究のように、そこで生まれた生き方のアイデアが、世界中に発信されようとしている。それは単に問題を問題に終わらせず、思い煩うのではなく、常に「研究する」という営みを大切にする生き方の提案である。統合失調症などの症状をかかえる当事者の生活場面には、実に数多くの「苦労の素材」がころがっている。

 特に、浦河は町全体に手つかずの苦労が充ちている。この地域全体を濃霧――浦河の語源はアイヌ語で霧深き河(ウララベツ)である――のように覆う“生きづらさ”を素材に、町民みんながそれぞれの苦労のテーマを持ち寄り、共に研究――生涯研究の町――しあう風景を、今、私たちは夢見ている。
(『ケアその思想と実践① ケアという思想』「逆転の発想―問題だらけからの出発」向谷地生良、岩波書店、2008)