日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎身軽なこころとは

長年、義父母が暮らしてきた家の整理
 ここのところ連日、あらゆるものを整理整頓して、次の準備に取り掛かっている。7月25日に、義母の一周忌法要があり、その後、現在の住まいを次の人につなげ、身軽になって移住しようとすすめている。
 それにしても、随分余計なものを抱えて暮らしていることを実感している。

 妻の両親と暮らすため出雲に移住する際、義父母が大いに安心したことは、自分たちで作りあげた家を、引き継いでくれることであった。
 義父母は、90歳を超えて二人暮らしが厳しくなることを考え、家を処分して、しかるべき老人施設に入る準備をと考えていた。ところがなかなか整理が進まない状態が続いていて、娘である妻に応援を求めたことなどから、私たちが一緒に暮らすことになった。

 移住して、始めに取り掛かったのが、家の整理整頓であった。いろいろなものが、使わないまま部屋の各所に保管してあり、ある部屋などはあふれたようになっていた。妻は「ゴミの山だね」と言いながらしばらくその整理にかかりきりになっていた。
 だが、二人にとって大切にしまっていたものもあるので、義父は全面的に任してくれたが、妻と義母のいさかいは続いた。

 また、中二階があり、そこに貰い物や使わなくなった電気製品、他趣味の義父のあつらえ、揃えたものなど、近来ほとんど使っていないと思われるものが、整然と並べてあり、殆ど手つかずのままになっていたが、次の持ち主に家を明け渡すことになり、処分を始めている。

 TV「開運なんでも鑑定団」に出せるようなものには思えないし、その気力も湧かない。一括処分業者があるので、それを活用すればいいのだが、それもすぐには気が進まず、一つひとつ確かめながら進めている。
 包んである箱や袋、紙などは埃だらけで、貰いもの等同じようなものが多く、黴が生えているようなものもあり、喉のあたりから顔がぐしゃぐしゃになり、頭がいやいやをしはじめ、長時間の労働に耐えられず、後でぐったりとなる。

 二人の性格的なものもあるだろが、生きてきた時代から形成された価値観もあるだろう。同年代の親と暮らしている近所の人からも同じような話をよく聞く。
 だが、振り返って自分の身の周りを見ると、使わないでそのままになっているもの、気付かずにほってあるものが多い。目立たないように整理、整頓をしているつもりだが、はたして今後使うことがあるのか心もとないもの、使わないだろうものが実に多い。

 ごく身軽になって、次の人生をと目論んでいるが、ここのところ頭のかたすみに、いつも整理整頓が引っ付いている。
 大事なのは、心の状態そのものが、身軽になることではないかと思っている。