日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎老老介護、ある事件に触れて

 ○私の母のことに思いをはせる
 6月19日の新聞(山陰中央新報)に「93歳母の首絞め死なす」との見出し記事が掲載されていた。事件をおこした当事者は入院中の父親と介護をしている母親と暮らしている70歳になる長男だ。
 朝方、自宅を訪問した介護施設の職員に話をしたことで警察に逮捕された。容疑は、自宅敷地内の作業小屋で、母親の首を手ぬぐいで絞め、殺害しようとした疑い。本人は「間違いありません」と容疑を認めている、車椅子で座った状態の母親を、搬送先の病院に運び死亡が確認された。死因は窒息死。
 一家は当事者の息子も含めて四人暮らし。地域住民によると、施設に通所する母親と入院中の父親の介護をしながら、米を自給して生活、母親は以前から足が悪く、施設に出向く以外はほとんど家を出ることはなかった。

 近隣の地域住民から次のような話も掲載されていた。
・「明るい方だった。母親の介護に疲れたのかもしれない」。
・今年に入って当事者が「母が熱を出した、排泄の世話もしないといけない。(介護が大変で)今年から田んぼは人にやってもらっている。ようにくたびれた」と介護生活の苦しさを吐露していたという。
・今年5月ごろ、当事者が母親を車椅子に乗せ、日向ぼっこをさせているところに出会った近隣の女性に「母に顔を見せてあげてください」と話しかけられ、その女性は母親と昔話をしたという。
・「父と母の介護に頑張っていた。疲れられたのかも」と困惑していた。
・母親と同じ養蚕場で働いていた女性は、母親について「明るい方だった。気の毒な」とうつむいた。

 

 このような事件は度々おこっていて、身につまされるような思いがある。
 高齢化が進む中、家庭で65歳以上の高齢者がおもに介護を担う、「老老介護」の割合が全体の半数を超えていて、家族が共倒れする危険性や、介護疲れによる心中事件や殺人事件が増加し大きな社会問題となっている。
 老老介護の増加に伴い、認知症の高齢者を介護する高齢者自身が認知症を患い、適切な介護が出来なくなるケース(一部ではあるが「認認介護」と言ったりしている)も増加している。この場合、第三者のケアが必要となるが、プライバシーの問題もあってなかなか家庭内に立ち入ることが出来ない課題がある。
 社会全体で介護を支える趣旨の介護保険制度だが、当事者が申請しなければサービスは受けられない。高齢者、特に男性は「人に迷惑を掛けられない」という意識が強く、孤立しがちになることが多い。家族が親を見ていくのが当然だという気風が、まだまだ残っている現状では、相談にいたるまでいかないことや、相談しても、家族の暮らしの現状まで、共に考えていくようなことはあまりないと思われる。

 

 私の両親は、70歳過ぎてから終の棲家として、ある高齢者施設に入所した。父はそこで死去し、その頃から、母は「早く死にたい」ともらすようになり、昨年の4月に母が亡くなった。
​ 私の兄妹たちは見るに忍びないことも多々あったようだ。私は遠方であることや妻の両親を見ていたこともあり、年に2度ほど訪問する程度であったが、訪れるたびに母の衰弱ぶりと、日常の振る舞いに、心を痛める程度が増していった。

 義弟から電話で、母の死を知らされたとき、何か安堵するような思いも湧いてきた。苦しみがあまりないような死に方であったとも聞いて、よかったなという思いで、悲しいという感情は出てこなかった。
 通夜、葬式のときは、そのような感情も出てきたが、それほど動揺するものはなかったと思っていた。
 ところが、帰ってきてから極度に体調が悪くなり暫く続いた。妹も大層体調を崩したと聞いて、不可思議な気持ちが残っている。

 義母も昨年なくなった。義母は94歳過ぎた頃から目が不自由になり、ほとんどベッド生活になり、本人の希望もあり、グループホームに入所した。その施設に入ったことで、義母が落ち着いたこともあるが、私たち、特に妻にとって、食事・排泄・身体の具合など、常に気をかけていることからの解放で、大層楽になったことがある。

 親の介護を家族だけで見ていくというのは酷である。そうではなくてやはり家族も包み込んで地域社会で見ていくという広がりが必要だと思う。だれか一人の人の世話を、赤ちゃん、あるいは心身の障害を抱えた人、認知症の高齢者などを、特定の人がそっくり見ることは無理なことだと考えている。

 

【参照資料】
※「超高齢社会の悲劇 「老老介護」を知っていますか?」(THE HUFFINGTON POSTより)

 超高齢社会を迎えた日本では、夫婦がそれぞれ介護者・被介護者となる「老老介護」が増えている。介護疲れから殺人事件を起こすケースもあり、決して看過できない状況だ。2つの殺人 事件を例に老老介護の問題を考えてみたい。

 1件目の事件は今年1月、神戸の市営災害復興住宅の一室で起こった。産経デジタルの記事によると、
「母親(93)を殺害したとして、兵庫県警垂水署は10日夜、殺人容疑で神戸市垂水区名谷町の無職、李正子容疑者(68)を逮捕した。李容疑者は「母親から『認知症なので殺してくれ』と毎日言われていた。枕で口と鼻をふさいだ」と供述しているという。逮捕容疑は8日ごろ、市営災害復興住宅7階の自宅で、母親の育子さんを殺害したとしている。李容疑者は10日夕、JR垂水駅前の交番に出頭。署員が自宅を確認したところ、育子さんが介護ベッドの上で死亡していた。 (産経デジタル 2013.1.11 01:38)」

 2件目は2012年2月、大阪府枚方市で妻が寝たきりの夫を包丁で刺し殺した事件。産経デジタルは以下のように伝えた。
「あんただけ先には行かせへんで。私もすぐに行くよ」。今年2月、寝たきりの夫=当時(84)=の腹に深々と包丁を突き立てた妻(83)は、静かにつぶやいた。大阪府枚方市の自宅で介護していた夫を刺殺したとして殺人罪に問われた妻に、大阪地裁は裁判員裁判の判決公判で、懲役3年、執行猶予5年(求刑懲役5年)の温情判決を言い渡した。結婚以来60年間、仲むつまじく連れ添った夫婦の運命は一体、どこで狂ったのか。 (産経デジタル 2012.9.17 18:00)」

 

 介護に関する情報を提供しているポータルサイト「オアシスナビ」は、
「夫婦や兄弟姉妹などの間柄で、高齢になった要介護者を同じく高齢の介護者が介護をしている状態を「老老介護」といいます。老老介護のケースは、たとえば介護サービスへ頼ることに抵抗があり、自分ひとりで介護しているといった場合があります。高齢になると体力や筋力が衰え、健康状態であっても介護を行うのは次第に難しくなっていきます。介護サービスをうまく利用しながら在宅介護が行えている老老介護の現場もありますが、介護の疲れなどから介護者が要介護者を殺害してしまったり、あるいは一家心中でふたりとも命を絶ってしまったりといった、深刻な問題に発展するケースもあるのです。」と老老介護の現状を説明している。

 さらに、要介護者に認知症の症状が現れた場合、介護者と要介護者の間での意思疎通が難しくなり、体力面だけでなく精神面でも極限状態に追い込まれることがある。食事や排泄処理などといった非常にプライベートな分野のため、配偶者や家族以外の手助けを拒否する傾向もある。そのため、自分だけで何とかしようと思い詰め、結果的にトラブルになってしまうこともある。

 同サイトでは「共倒れのリスクから抜け出す」とし、
「限界を感じて自分の子供や近所の人にSOSを出すことは、悪いことや恥ずかしいことではありません。世間の目を気にして、介護サービスの利用を躊躇する必要もないのです。 また周囲も、老老介護をいつか自分たちにも訪れるかもしれない問題と捉えていくことが大切です。老老介護は、高齢化の問題とともに社会全体で考えていかなければならない問題なのです。」と訴えている。
(THE HUFFINGTON POST  2013年5月より)