日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎桂米朝の死去と立川談志

〇米朝さんも逝ってしもうた 「水仙花談志は死んだ完成す」(詠人知らず)

  昨日、桂米朝さんの告別式が行われた。2011年の立川談志に続いての訃報で、私にとっても、貴重な人たちを失ったと思う。

 私が落語を聞きだしたのは、1960年代前半の高校生の時だ。テレビよりもラジオに親しみのある時代で、五代目古今亭志ん生、五代目柳家小さん、六代目三遊亭圓生、八代目桂文楽、若手では柳家小ゑん(談志)、三代目古今亭志ん朝、さん治(十代目柳家小三治)など錚々たるメンバーがいて、落語番組も盛んであった。

 私は人情噺、怪談噺などよりも、荒唐無稽な長屋ネタなどの滑稽噺、頓珍漢、支離滅裂な話が好きである。落語の長屋のような社会になったらいいなとも思っている。実際になったら、ついていけないかもしれないが。

 落語の楽しみ方には寄席、録音テープ、活字からの3通りあると思っている。

 まず寄席(準じて演芸ホールなど)。高校時代のお小遣いは、ほとんど映画と寄席で使っていた。寄席の醍醐味をもっとも感じたのは初代林家三平である。落語通といわれる人には、三平の評価は低い。私も生意気に三平を軽く見ていた。

 ところが浅草演芸ホールで、時間にすれば15分足らず、その舞台と観客席が一体となって「笑い」が沸騰していた。「コイツハスゲーエヤ」。もちろん三平に限らず、寄席、口演会場で聴く落語は、他では到底味わえない観客と一体になった楽しさだ。

 28歳の時からおかしな団体に所属し、三重県つづいて島根県の暮らしが続いたので、生で聞く機会はほとんどなかったのだが、一昨年、三枝改め六代桂文枝の襲名公演が松江であり、ゲストで立川志らくが来ていた。

 志らくは一部に大層人気があり、なかなか口演切符も手に入り難い。この口座を聴いたとき、落語はこれからだが、談志の後を繋いでくれるのはこの人だというのを確認できて、とても嬉しかった。やはり、落語は生に限る。

 

 次は録音テープ、CDなど。近来少なくなってきたがラジオ、ごくたまにテレビで視聴できる。CDは充実してきて、せっせと自分用にダビングしている。たまに、客のいない独演のCDなどあるが、演者がだれであろうと、これは全くお話にならない。面白くもなんともないのである。寄席ほどでなくても、客と一体になって初めて落語になると思っている。

 文芸作品などのCDでは、逆に笑い声など入っていたら邪魔になるだけだ。これはどういうことなのだろうかと、宿題になっている。また、テレビよりもラジオの方が面白いのも不思議な感じがしている。想像力が旺盛に働くのだろうか。

 それと、よほどの演者でないと何度も聞く気にはならない。最近の人をあまり知らないこともあるが、どうしても、米朝、談志、志ん生、小さん、圓生を何回も聴くことになる。

 三平などもあまり面白くない。残念なのは桂枝雀である。生で聴いたことがないから、同じ録音の場合、面白さがだんだん薄れてくる。そうはいっても、新しい人を見つけていくのも楽しみである。

 最後に活字の分野。これは米朝と談志が抜きんでている。談志の『立川談志遺言大全集・全14巻』、『談志絶倒 昭和落語家伝』、『談志百選』も楽しいが、何といってもこの分野では、米朝さんである。『上方落語ノート・全4巻』、『米朝落語全集・増補改訂版全8巻』、『落語と私』など。

 これだけの記録を残してくれたことに感謝である。この人は紛れもなく、落語史に残る中興の祖であり、司馬遼太郎が言うように、この人そのものが「文学作品」である。

 なお、冒頭の俳句は「すいせんかだんしはしんだかんせいす」、回文である。頑張って自作を作ろうと思ったが、あきらめた。