日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎安心感と信頼感に支えられる

〇 一月半ほど前に妻が帯状疱疹にかかり、疱疹そのものは薄れてきているのだが神経の痛みは消えていなくて、特に仰向けに寝るときに痛みが激しいので、眠りが浅くなるときがあるそうでスッキリしない日が続いている。

 診察によると、特に処置はしないでいいが、痛みそのものは、その状態や年齢などに応じてしばらく続くそうである。

 完全になくなるまで3年かかったという知人もいる。妻の不調が続くと、自分にも影響があり多少心配になってくる。近年、私の身体的な衰えもすすんできて足元がふらつくことが多く、自分でも心もとなく思っていたが、それ以上に妻は大層心配していた。特に勾配のきつい坂道や階段の下りでは、身体のこわばりを覚えるようになる。

  同時に妻は、私の斜め後ろから、いつでも手を添えることが出来る位置取りで歩むようになる。一緒に出掛けるときには、後ろの妻の様子を感じながら歩むことが多くなった。介護の仕事、特に重度の障害者の場合には、移動に限らず何時でも支えられるような位置取りに気をかけている。

 そこを感じてもらえれば、その人には安心の感情が生まれ、さらに困難な状況が出てきたときに、その対応の仕方の積み重ねで信頼されるようになる。対応がまずいことが続くと信頼されなくなる。今のところ私たち夫婦には、それほど困難な状況に出くわしていないが、お互いに高齢を迎えてあちこちに変調が出るようになっていて、より信頼関係が深まっていくのはこれからではないかと思っている。

 また、超高齢社会を迎えて、末期症状の看取り、老老介護、認知症、一人暮らしの高齢者などなどを巡って、夫婦、身内という狭い範囲ではとても対応しきれない様々な困難事例が山積している。

 10年後(2025年)には65歳以上の五人に一人は認知症になるという試算もある。そうなるとますます、地域社会のあり方が大きな課題になると考えている。

 

【参照資料・詩】
「つもり」天野忠
ある夜明け じいさんとばあさん二人きりの家に ひょっこり 息子が様子を見に来た。
ばあさんはまだ起きていて 台所の調理用の酒の残りを振る舞った。
――ところで、と陽気な顔になって 息子は云った。
――ところで、ここの夫婦は どっちが先に死ぬつもり------
じいさんは次の間で寝ていて 暗闇の中で眼を開けた。
――おじいちゃんが先き ちょっと後から私のつもり------白い方が多くなった頭をふりながら 次の朝早く息子は帰った。急がしい仕事がたくさん待っているので。
じいさんはおそい朝めしをたべた。おいしそうにお茶漬けを二杯たべた。「伴侶」天野忠
いい気分で
いつもより一寸長湯をしていたら
ばあさんが覗きに来た。
―何んや?
―…いいえ、何んにも
まさかわしの裸を見に来たわけでもあるまい…。フッと思い出した。
二三日前の新聞に一人暮らしの老人が
風呂場で死んでいるのが
五日後に発見されたという記事。

ふん
あれか。
(天野忠『天野忠詩集』思潮社現代詩文庫1986より)