日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎どの人にも無限の可能性がある(乙武洋匡氏から)

〇乙武洋匡氏に触れて
 精神障害者や重度心身障害者などの介護ヘルパーや精神保健ボランティアグループなどで活動していたとき、当事者の親御さんと、打ち合わせ、検討会、懇談会などで一緒に考えたり、行動を共にしたりした。

 当事者は様々な困難を抱えているが、それ以上に、親御さんもたいへんな苦労や困難を抱えている人もいた。当事者は年齢を重ねてくるし、親御さんも高齢化してくる。

 そのような機会は、お茶を飲みながら、とりとめのないような話になることもあるが、楽しみにしている方が多かった。でも、どうしようもないほど袋小路に入っている親御さんもいて、「こうしたらいいですよ」なんて、とても言えないような、ただただ頷いて聴いていくだけのときもあった。そのようなときに、何とも明るい人がいると、ほっとする気風が生まれる。

 福祉活動を始めてから、乙武洋匡氏に触れ合う機会があり、その漂っている明るさに圧倒されたことがある。
 その著、『五体不満足』を読んでいたが、これはほんものだなと感じた。

 

 『五体不満足』から、その一部を見ていく。
「ひとりの赤ん坊が生まれた。元気な男の子だ。……先天性四肢切断。分かりやすく言えば、『あなたには生まれつき手と足がありません』という障害だ。……(出産直後)の母親に知らせるのはショックが大きすぎるという(病院側の)配慮から、母とボクは一ヶ月間も会うことが許されなかった。……対面の日が来た。その瞬間は、意外な形で迎えられた。
(胴体にジャガイモがコロンとくっついているような体)に『かわいい――』母の口をついて出てきた言葉である。……母がボクに対して初めて抱いた感情は、驚き・悲しみではなく、『喜び』だった。生後一ヵ月、ようやくボクは『誕生』した」(※山口要約)と書いている。

 乙武氏にとって、この母の言葉が、明るい生き方の原点となる。あとがきで、「五体が満足だろうと不満足だろうと、幸せな人生を送るには関係ない。そのことを伝えたかった」と述べている。(乙武洋匡『五体不満足』講談社、1998年)

 穿った見方をすれば、その場のことは、赤ん坊の乙武氏には分からない筈である。後から聞いた話をもとにした物語ともいえる。しかし、そんなことはどうでもいいので、乙武氏の中では、実際にあった話であり、その後の生き方を左右する原点である。それは、目の前の乙武氏の姿からグッと入ってくるものがあった。

 

 2013年に出版された『自分を愛する力』(講談社現代新書)は、「僕が明るく生きられる理由」として、「自己肯定感」「自分は大切な存在だ」と思う、というような内容で、「人を愛する力」へのバネとなるものである。そして、「第一章 息子として」で触れられているご両親の愛情をたっぷり受けたことが原点になっている。

 私は、親、親代わりの人からたっぷり愛情を受けて育っていくことの大きさ、そのことが自分を愛する、明るく生きる、人を愛する力になると考える。

 子どもに限らず、障害がある・ないに関わらず、すべての人に対して、「どの人にも無限の可能性があり、その生命力を信頼する」という人間観を根底におきたいと考えるようになり、昨年の座談全体の通底音とした。