日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎『イスラム国』人質問題を考える

 
 最初に、投稿記事の抜粋を紹介する。
【一読、まず驚いたのは、信じがたいイギリスの現実の記述だった。「わたしが住んでいる英国は、人権を重んずる欧州国にしては珍しく身代金を払わない国として有名である」
 したがって「他の欧州人は助かったのに英国人だけ処刑されたという不幸なケースもあった」。その肝心の理由であるが「自己責任で現地に行った個人のために血税を使うな」ということではなく、「身代金はテロ組織を拡大させ、もっと多くの人命を奪うことになる」というのである。そして政府は「身代金の代わりに人質奪還作戦に投入する人材や資源を拡大している」。
 これはものすごい正論ではないか。ただ日本で安倍首相が、このような見解に賛同して実行したとすれば直ちに政権を失うだろう。ところが英国首相はその趣旨を国連にまで提案している。その背景にあるのはイギリス国民の庶民末端まで浸透している反テロ意識であるらしい。普通はだれでも「家族が誘拐されたら国に頼るしかない(英国の場合、諦めるしかない)」、せめて家族や雇用主が身代金を支払うことまでは許容している。
 私は改めて、「イスラム国」人質の瞬きする映像に向き合い、貴方がたには本当に助かってほしいとねがう。ただ現実にイギリス国民のような態度も間違いだとは思えない。そこにはおそらく長い犠牲の時を経て、これしかないのでは・・・という確信に近い何かが醸成されてきたように感じる。もちろんこれといった結論はない。ただともに考えるヒントだけは
呈示しておきたかった。
 さらに小生は、このさらに根深い背景であるイスラム諸民族の抱えている現実の課題について、考える余裕がなかった。】
 
○現在、心を尽くしてその問題に立ち向かっている人がいることもあり、ここでは、F氏の投稿から感じた私見を述べてみる。
 様々な角度から見ていく必要があるが、一時的であれ、お金で解決(後藤氏などの解放)できるのであれば、そうしたらよいと思う。お金があることで、組織でも共同体でもあるいは人でも決して強固になるとは限らない。むしろ弱体化するおそれもある。(経過を見ていると、お金の問題というより政治的取引の問題であるようだ)

 日本政府への要求である2億ドルについては、想像つきにくい額ではあるが、そのための判断の目安に次のことを考える。
 国民経済とは、このくにの人たち誰でもが、安心、安定して暮らしていけることが第一義の課題であり、その政治とは、そのための優先順位を決めるための仕組みである。
 

 最初のころ、私の知人は、結局お金は出さないのではないかと言っていたが、後藤氏の毅然とした映像をみて、さらにマスコミなどの後藤氏の紹介などを通して、「絶対助けなければ」と見解が変わってきている。正しい・間違いという判断ではなく、どうしたら、私は納得できるかという問題でもある。
 
 また、真摯にその問題の解決に立ち向かっていると思うが、仮に政府が金を出さない判断をして酷い展開になっても、激しいマスコミのバッシングは受けるが、安倍政権は揺るがないだろう。これまでもいろいろ言われながら、私から見たら、どうかなと思うような法案や事柄が実現している。


○今度のことで、思ったこと。
 情報化社会で様々なニュースがはいってくるが、出来事の空間的な広がりと、時間の流れの中で蓄積された感情への配慮を覚える。
 私の暮らしから、一見程遠いと思われる地域や、その出来事の、「俺とは関係ないよ」と、とても言えないようなことに直面する。
 また、今起きている出来事が、歴史的な時間の流れの中でおこっているので、各国の対応の仕方、イスラム圏内の国々や人々の思い方、過激派といわれている人たちの価値観など、その感情に配慮しなければ見えてこないこともあるだろう。
 
 私の娘は、知人と小さな会社を立ち上げ、海外の業務を担当している。海外を拠点として活動している知人や娘と話していても、今度の後藤氏のエピソードに触れても、意欲的な若者の視野が世界化しているのを感じる。娘は海外主張も多いので、今回のようなことは一層気にかかる。

 今回のような、一時的にせよ解決に向かうのが困難、複雑な出来事であろうと、結局、異質な人々同士との話し合いの和解点を見出しつつ、一つずつ積み重ねていく解決方法しかないような気がする。予測は全く見当つかないにしても。暴力的なやり方は、より困難な方向に向かう恐れがある。

 そのことは、多様な人々の中で暮らしていくときの、異質なもの同士の話し合いによる、その折々の和解点を見出しながら暮らしていくという、私にとっても基本の課題だとも思う。