○一歳余の幼児を育てている東京の知人から、ときどき農業や畜産などの自然環境を感じられるところに、子どもを連れていきたい。そのような場として岡部実顕地を一度訪ねてみたいとの連絡があり、岡部の知人に繫げた。昨年何度かその子と接していて、その成長を楽しみにしている。
子どもの育ちについて、自然環境の中での生の体験の重要性が言われている。日常的にその子どもが自由奔放に動き回るのを見ているお母さんにとって、また日常の雑多なものにまみれている暮らしから、農や自然環境に触れさせたいとの気持ちが高まってくるのも、分かるような気がする。
そのお母さんも参加していた、昨年の九州での談話とかさなってくるので、生物学者のレイチェル・カーソン著『センス・オブ・ワンダー』(sense of wonder・上遠恵子訳、森本二太郎写真(新潮社、1996)の中から取り上げたい文章をいくつかあげてみる。
彼女の死の翌年(1965年)に出版された全60ページの写真も収めた小編だ。幼い甥のロジャーとともに体験したこと、地球や生命の美しさを見て、聞いて、触れて、嗅いで感じることのよろこび、そして子どもたちが豊かな感性を育むための時間の過ごし方が、詩的な言葉で綴られている。
「センス・オブ・ワンダー」は直訳すれば「驚く感覚」ということになる。訳者の上遠恵子さんは「神秘さや不思議さに目を見はる感性」という訳を当てられている。
○・「子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。
もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっていたとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない『センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性』を授けてほしいとたのむでしょう。
この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対するかわらぬ解毒剤になるのです」(p23)
・「「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。
子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生みだす種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。
美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたびよびさまされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。そのようにして見つけだした知識は、しっかりと身につきます。
消化する能力がまだそなわっていない子どもに、事実をうのみにさせるよりも、むしろ子どもが知りたがるような道を切りひらいてやることのほうがどんなにたいせつであるかわかりません。」(p24~26)
・「人間を超えた存在を意識し、おそれ、驚嘆する感性をはぐくみ強めていくことは、どのような意義があるのでしょうか。自然界を探検することは、貴重な子ども時代をすごす愉快で楽しい方法にひとつにすぎないのでしょうか。それとも、もっと深いなにかがあるのでしょうか。
わたしはそのなかに、永続的で意義深いなにかがあると信じています。」(p50)
全編が詩的な文章で、子どもを育てているお母さんに、ぜひ薦めたいと思っている。併せて、このような環境、それを支える人的なネットワークも大事だと思っている。
そのお母さんも参加していた、昨年の九州での談話とかさなってくるので、生物学者のレイチェル・カーソン著『センス・オブ・ワンダー』(sense of wonder・上遠恵子訳、森本二太郎写真(新潮社、1996)の中から取り上げたい文章をいくつかあげてみる。
彼女の死の翌年(1965年)に出版された全60ページの写真も収めた小編だ。幼い甥のロジャーとともに体験したこと、地球や生命の美しさを見て、聞いて、触れて、嗅いで感じることのよろこび、そして子どもたちが豊かな感性を育むための時間の過ごし方が、詩的な言葉で綴られている。
「センス・オブ・ワンダー」は直訳すれば「驚く感覚」ということになる。訳者の上遠恵子さんは「神秘さや不思議さに目を見はる感性」という訳を当てられている。
○・「子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。
もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっていたとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない『センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性』を授けてほしいとたのむでしょう。
この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対するかわらぬ解毒剤になるのです」(p23)
・「「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。
子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生みだす種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。
美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたびよびさまされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。そのようにして見つけだした知識は、しっかりと身につきます。
消化する能力がまだそなわっていない子どもに、事実をうのみにさせるよりも、むしろ子どもが知りたがるような道を切りひらいてやることのほうがどんなにたいせつであるかわかりません。」(p24~26)
・「人間を超えた存在を意識し、おそれ、驚嘆する感性をはぐくみ強めていくことは、どのような意義があるのでしょうか。自然界を探検することは、貴重な子ども時代をすごす愉快で楽しい方法にひとつにすぎないのでしょうか。それとも、もっと深いなにかがあるのでしょうか。
わたしはそのなかに、永続的で意義深いなにかがあると信じています。」(p50)
全編が詩的な文章で、子どもを育てているお母さんに、ぜひ薦めたいと思っている。併せて、このような環境、それを支える人的なネットワークも大事だと思っている。