日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎「子どもの育ち」の講演について

 最近滑舌が悪いことや「子育て」について特に人に語るようなことをしていないので、戸惑うものがありました。だが、集まったメンバーが、どの子も青年も健やかに育っていける場を用意しようとしている人たちということもあり、少しでも何かのきっかけになればと思い、引き受けることにしました。
 当日は、障害を抱えた子どもを育ててきている人、地域で里親活動をしている人、現在幼児を育てている人など十数人の集まりで、隣の部屋では子どもたちがお泊まり会をしていました。
 以前僕も、病院併設型の筋ジストロフィー症や肢体不自由児が多くいる養護学校のボランティアグループを立ち上げ、要請を受けて非常勤講師をしていたとき、いろいろなことを味わいました。
 みんな意欲はあっても身体が思うようにならない。身体的な支援を受けながら暮らしていくといったような意味では、赤ん坊や小さい子どもとも共通する何かがあるように思い、そういう体験をふまえて、共に考えていきました。

 その後、妻に録音テープの起こしをしてもらい、言い足りなかったことなどを捕捉しながら編集を進めています。
 
○当日は、次のようなことを考えながら、話をしました。
 人の発達、成長について、未熟な段階から、様々な経験、知識、思考力を培いながら、成熟した大人になるというのが一般的なとらえ方になっています。
 それについて、乳児から青年に至るまでの、小さな子どもの時期に、人としての核になるような大事なもの(基本的信頼感、親密感、探求心、社会性、自律性など)が、より培われていくのではと考えていました。
 そのために、子どものもつ生命力や自発性を大事にすること。心の要素としての、知・情・意の中でも、感情、情緒の感度を豊かにすること。記憶については、小さい時期に旺盛に働く手続き記憶、方法記憶の重要性。知識を覚えていくよりも身体で覚えていくことの大切さ。欲求については人の一次的欲求ともいえる関係欲求に焦点を当てました。
 そのようなことを身に着けていくのに、環境的要素、人的な要素、特に核家族化した現社会では、人の和の広がりの中で育っていくことが大きいのではないかというようなことを話しました。
 
引き続き、皆といろいろな角度から探っていきたいと考えています。