日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎子育てがしやすい社会へ(孫の育ちから)

〇孫の育ちから思う(8か月)①

 8か月を過ぎた孫を見ていると、いろいろと思うことがあり面白い。

 ハイハイをするようになり、言葉にはならないが、呼びかけなのか喜びなのか大きな声を出しつつ、情緒豊かに動きも活発になってきた。意志・意欲もつよく出てきているのを感じる。

 

 娘が連れてくると、だいたい3~4時間ほど預かり、その間娘は居宅に戻る。少し前までは母親がいなくなると泣き出してしまうのだが、慣れてきたのかすぐに遊ぶようになる。

 ほとんど妻が対応していて、わたしは一応危なくならないように気をかけるが、気楽に見ていることが多い。

 

 私は「子放し」を標榜する特殊な共同体にいたので、1980年そこで末娘は生まれたが、安直にそれ担当の人に任せきりで、子育てには全くといっていいほど関わっていない。

 孫の育ちを見ていると、出産後の赤ん坊を育てていくのは、想像を絶するほどの手間暇がかかる。

 むろん「子育ては大変だけど楽しかった」という豊かな体験、味わいも全くしていない。だからこそその反面、喜びと幸せも伴うのだろうとも思う。

 

〈「この世に生きていることは結局、それだけで十分な奇跡なのだ。」マーヴィン・ピーク『ガラスの吹き工』(1950)〉との言葉があるが、何らかの機縁の重なりによって生まれてきた「ひとりの人」がある程度順調に育っていくこと自体が貴重なことと思う。

 

 昨秋出産した娘夫婦を見ていて、受けとめ手の主体は母親であるが、夫婦をはじめ家族的なつながりの中で、ともに支え合い、協力しながら、子育ては進んでいくのだなと思う。

 それとともに、特定の人たちにだけ負担をかけるのではなく、拡大家族的なつながり、さまざまな地域社会の支援が必要なのだろうと思う。

 

 

  育児について、主にお母さんや夫婦が子どもを見るのは、それはそれでいいが、昔はお婆ちゃんお爺ちゃん、叔父さん叔母さんとか近所の人たちの、ある意味で垣根がなく、様々な人たちがいる中で子どもが育った。でも今はどちらかというと核家族で、特に離婚などでシングルマザーとなって子どもを育てるのは大変だ。

 子育てや介護など家族で抱えがちになる傾向があり、特定の誰かに負担がかかるのは避けたい。やはり家族も包み込んで地域社会で見ていくという広がりが必要だと思う。 

 福祉現場でも何か問題が起こると報道関係で取り上げられますが、おざなりなところもあるるが、真摯に向かい合っているところ、人たちも各地にいる。家族だけでなんとかしようとしないで、地域社会の支援も大いに活用し、 どのような状況にあろうとも子育てがしやすい社会になるといいと思う。